シン・俳句レッスン15
今日の一句
もう萩の花が咲いていた。花の開花には敏感になったのは俳句のお陰か?
今日は西鶴にあやかって毎日一つの季語で十句読むことにしたんだ。俳句が浮かんだところで、突然出てくると思う。季題は「萩」だった。まず過去作を見る。
池田澄子の俳句は「卍」は記号なので読みは「まんじ」ではないという(でも「まんじ」でいいのではないのか?)。地図記号なんで読みよりも視覚効果か。「卍」が萩の花に見えないこともない。
季重なりだらけの一句。十句だからこのぐらいのところから始める。
渡辺白泉
川名大『挑発する俳句 癒しの俳句』は大好きな白泉だった。
「戦争が」の言葉が季語的に自然に対して社会を読むから無季になると(自然を超越したもの)とする無季俳句の傑作。ただ俳句の定形五七五は守られていた。
戦火想望俳句を一句。
「大盥(オスタップ)」の句は川名大が白泉のブレーンストーミングの傑作とする俳句。憎しみの要素を並べて(連想して)、軍隊の大盥で洗い出すという一句。やっぱ「三鬼」の言葉の唐突さか?「三鬼」は3つの鬼として「ベンデル」「ヘル」「横団」でも意味は通る。
連想ゲームやろうと思ったが浮かばないんで花のリフレイン効果。
「銃後」の真似っ子俳句。
「夏の海」で切れるんだ。「夏の 海水兵」かと思っていた。「水兵」のもの的扱いの句。
「白」はモダンな色なのだが、ここでは「俘虜」だった。
「玉音の」は白泉らしい句なのか?
「鶏たち」から連想句
「冷房へ」
「街灯は」は新感覚派の俳句。都市性だろうか。映画で「夜霧よ今夜もありがとう」とかあったが、あの感じか。
「れうらんと」は肉感的な淫らさという。
「春昼や」と「寒雲の」は古俳句を研究していた時のもの。研究は新興俳句でも必要だ。だから新興俳句を立てたのかもしれない。古俳句は音韻的心地よさか?
その作風は戦後の俳句の中に見出される。「わが胸を」「谷底なき」は戦後の空虚感か、それでも子供を読んだ句に希望は感じる。そして、最後二句は戦後の戦争俳句。それは戦火想望俳句というよりは戦火傷跡俳句なのだろうか?
これはなかなかいいのではないか?
最強句会ルール
北大路翼『生き抜くための俳句塾』から。これをやったら出かけよう。もう29度の残暑なり。8時でこうだ。午前中に宿題という子供たちはクーラーの中で勉強するんだろうな。
いまいちなのはわかっている。
相互批評が分け隔てなく出来るというのが句会の面白さなのだが、主催者の力量にもよるのだろう。確かに新興俳句が出たときを考えるとそういう批評精神というものがあったと思うのだ。それぞれの俳句論もあったと。
人数は10人前後がいいという。一人は俳句の上級者がいる。その上級者がみんなと平等に意見が言える場が望ましいということ。そういう座の魅力はわかるのだが、どこにあるんだろうか?酒が飲める場所というのは北大路翼の趣味なんだろうな。仲間作りは大切なのかもしれない。俳句は座の文芸とは言うような。ただ白泉はそういう組織に属してはいなかった。ただ俳句を確立するまではそういう仲間がいたということだ。その仲間に裏切られるのだが。
北大路翼の句会は短時間で句を作って論じ合って短時間で終わり、それを繰り返すのだそうだ。だから飲み会句会という感じなのだろうか?
実践編でやってみるのがいいかも。
「し」と入っている漢字、「死」でも「師」でも「四」でもそれでは10分集中する。
本当かな?探せばあるかもしれない。荻から離れよう。
離れられない。季語だからな。季語がない投句というのはあまりやらないな。
10分経過。全然出来ない。
一同ため息の句。月がいいし、施設の中は虐待とかありそうだという。これは満点だな。
挨拶句というもの。屍派は紙に書くのが鉄則だという。そこから違っている。なるほど、「し」の漢字が重要でそれと上手い季語の結びつきを発見する。とりあえず「し」で変換して使えるのは片っ端から使って今の季語に合わすという方法か。
詩 死 歯 子 師 詞 史
ちょっとこれで作ってみよう。
すでに二つ入っている。秋の暮が当たり前すぎるか。野垂れ死にぐらいがいい。
山頭火か?放哉だったらもっと軟弱だろうな。
だじゃれは良くない。
これもダジャレ的。帰国子女が出て来ないで帰宅子女を検索したら、そういう言葉があった。離婚した女性のことを「帰宅子女」という。
「うらめしや」は夏の季語?
陽水の詞が夏には聴きたいという気持ち。朔太郎好きなんだが、詩論は面倒くさい。後で感想書かなければ。ポオの詩論もあったのだ。T.S.エリオットの詩も読んでなかった(大江健三郎関係)浮気心が出てきた。ちょっと陽水の曲で休憩。
この歌を最初聴いたとき「陶磁器」が「掃除機」に聞こえて、なんとなく倦怠感の夫婦の歌かと思った。でもいい歌だよな。これ小椋佳の作詞だった。陽水の歌ほうが好きだ。小椋佳だともっと乾いた感じの倦怠期夫婦になる。熟年離婚とか。
二回戦はテーマ詠。こういうのも俳句では慣れてないないな。年末感のある俳句だと今は無理だ。年を超えたらアウトだという。
年を超えてしまうだろうか?年末感は西鶴の小説にはあるな。終末感と重なるからから。
これはなかなかいいのではないか?お七が火刑されたのは桜の季節なんだが。お七がクリスマスを火刑にしたという読みはどうだろうか?最後も音韻的に八百屋のやと夜(や)が呼応している。やは詠嘆でもあるし。
からの連想句。
糸偏の漢字の入った句。こういうのはパソコンはすぐに出てくるから便利なのだけど句としては当たり前過ぎて弱いのかもしれない。強烈に思う糸偏ってなんだろう?
紙か?その前の句会で、出てきたし。
なんとなく吟行気分。
最後にすべての句が乗っているがみんなけっこう10分間につくっているんだな。これは見習わなければ。荻は十句できたかな?
五句だった。その他に十句作ったから良しとする。
これいいんけど季重なりだ。下五の秋はいらないな。何の精だろう?「恋の精」とかベタ過ぎるか?
複写から書くと前のやつ消すの忘れてゴミが残る。