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シン・短歌レッス84
古今集 秋歌上
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藤原敏行朝臣は『百人一首』にも載るほどの歌人で三十六歌仙の一人。立秋の最初に上げられるのだからよほどの人なのだろう。勅撰集にも28首入っているという。
すみの江の 岸による浪 よるさへや 夢のかよひぢ 人目よくらむ 藤原敏行朝臣
『古今集』の秋のストーリーは立秋の風から。そして、七夕、虫の音、月、秋の野、(初)雁、鹿と続いていくのだ。
古今集の和歌
鈴木宏子『「古今和歌集」の想像力』のさらに続き。
哀傷歌・雑歌・雑体・大歌所御歌──巻十六から巻二十まで
哀傷歌は人の死にまつわる歌だが挽歌だけではなく辞世の歌もあるからだった。在原業平の辞世の歌
つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを 在原業平
雑歌は王朝人の生活を歌ったもので、『古今集』には「上」「下」二巻に、「雑上」には、社交の歌、月の歌、老いを嘆く歌、海、川、池、滝などの水辺で詠まれた歌。
さかさまに年もゆかなむとりもあへず過ぐる齢やともに帰ると 詠み人知らず
『源氏物語』若菜下で光源氏が柏木に吐く引歌である。老境に入った光源氏の女三宮に柏木が浮気したのが光源氏にバレて凄まれる歌であり『源氏物語』の中でも重要な引歌として上げられる。『源氏物語』には『古今集』からの引歌が多いが、四季歌や恋歌ではなく、雑歌が多いという。
『古今集』では恋愛の歌は多いが母と子の情愛の歌は少ない。それも「雑歌」に『伊勢物語』八十四段に見られる在原業平と母の贈答歌がある。
(母)
老いぬればさらに別れもありといへばいよいよ見まくほしき君かな
(業平の返し)
世の中にさらぬ別れのなくもがな千代もと嘆く人の子のため
「雑歌 下」は「世」という人生が思うようにならない歌。無常の思い、厭世感、憂愁、隠遁生活、蟄居、不遇、孤独、流離など。
わくらばに問う人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶと答えよ 在原行平
これも『源氏物語』須磨で引歌として光源氏の気持ちを詠んだ歌である。
「雑体」は歌の内容ではなく、スタイルが短歌形式から外れるもの(五七五七七意外)。長歌や旋頭歌。
うちわたす遠方人にもの申す我 そのそこに白く咲けるは何の花ぞも 詠み人知らず
これも『源氏物語』夕顔巻で夕顔を垣間見た光源氏が引歌として口ずさまれる。
また紫式部の祖父である藤原兼輔の七夕の誹諧歌がここに出てくる。七夕の歌は「秋上」に出てくるが、諧謔としたことでここに配置された。
いつしかとまたく心を脛(はぎ)にあげて天の河原を今日やわたらむ 藤原兼輔
最終巻は宮廷での儀礼の歌で、楽器で演奏された歌など。集団的・口承的な歌で、「大歌所御歌」「神遊びの歌」「東歌」など。巻二十の巻軸歌は、『古今集』全体を締める冬の加茂の祭の歌。最後は藤原敏行の歌。
ちはやふる加茂の社の姫小松万代経(ひめかまつよろづよふ)とも色はかはらじ 藤原敏行
「姫小松」は松の種類。万世を経ても色は変わらないという歌。
『キリンの子 鳥居歌集』
鳥居は扱いが難しのは、歌壇では無視されている歌人だからだろうか?プロデュースの仕方が「中城ふみ子」的な作られた歌人のように感じないわけでもない。吉川宏志のあとがきでは鳥居の境遇が語られる。
病室は豆腐のような静けさで割れない窓が一つだけある
死にきれず蛍光灯をみつめおり動けないままエタノール嗅ぐ
夜だけはみんな死んでた夜だけはひおり起きてた(夜だけが味方)
「精神科だってさ」過ぎさる少年は大人の声になりかけていて
錆びているブーツの金具 入水した深夜の海をわすれずにいて
うたの日
「戦争と平和」けっこうベタなお題で作りづらいかも。
『百人一首』
オキナワ・ヒロシマ・ナガサキ噂してトーキョーの人 忘れてならぬ
「やはする」は反語だった。♪一つ。後からもっといい歌が出来たのだけど訂正間に合わなかった。敗戦の日記念カキコみたいなもんだからな。
オキナワとヒロシマ・ナガサキ過ぎ征きてラジオ伝えるミカドのコトバ
映画短歌
『続戦車闘争』か。こっちの方がいいかも。
『百人一首』
安らかに戦争も平和の文字も待っているだけ月を見しかな
上二は句跨り、「戦争も平 和の文字も」最近句跨り好き。