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シン・俳句レッスン19

今日の一句

まだしぶとく鳴いている蝉。鳴いてはなかったか。雌だろうか?季語は秋の蝉でいいのかな?残る蝉とかいいかも。

鳴きもせず壁にへばりつく残る蝉

通常運転の一句。中八がリズムが良くない。

鳴きもせずへばりつくのも残る蝉

桂信子

ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ 
夫逝きぬちちはは遠く知り給はず
夫とゐて子を欲りし日よ遠き日よ
門をかけて見返る虫の闇
雁なくや夜ごとつめたき膝がしら
子を持たぬ女のひけめ縁蔭に
誰がために生くる月日ぞ鉦叩
壮行歌この日霜天晴れきはまる
「天皇陛下万歳」霜の天むらさき
大君に捧ぐる子なきわが悲しみ
いなびかりひとと逢ひきし四肢てらす
衣をぬぎし闇のあなたにあやめ咲く
栗咲く香にまみれて寡婦の寝ねがたし
秋の暮山脈いづこへか帰る

「ひとづま」は新婚時代の句で、句またがりなんて大胆なことをしているのだった。

ひとづまに ゑんどうやはら かく煮えぬ

「ゑんどう」のやわらかさは人妻のやわらかさに通じるのかもしれない。それが「各煮えぬ」と酒のツマミにはちょうどいい具合なのだ。

幸せな新婚生活が一変して寡婦となってしまった。「ちちはは」は義理の両親か。「知り給はず」という敬語。

「子を欲りし日」と婉曲に言っているがセックスした日ということだろう。

「壮行歌」からは聖戦俳句であり新興俳句の俳人でも、一般的な感情だったのだろう。だから「大君に捧ぐる子なきわが悲しみ」という句も出てくるのだった。今では考えられないけど。

「いなびかり」から三句は『女身』からエロティック俳句。「女体」という身体を通して生身の性をイメージする言葉によって自己陶酔するとしている。同じ頃に鈴木しづ子『指輪』が出たが鈴木しづ子の直截性に比べて、詩的言語としての象徴性が優れているとする。それは山口誓子の「過酷となる精神俳句」を表現しようとする境涯俳句に連なるものになっているからだという。

日野草城に俳句を学び、戦後山口誓子『激浪』に出会い衝撃を受けたという。表面は淡にして、内面は滋という。山口誓子は病気によって滋味ある作風を求めたのだった。それに共感していくのが「秋の暮」の句だという。作品には命がこもってないといけないという。

杉田久女

伊藤敬子『杉田久女の百句』から。

女性俳句のパイオニアだったはずが(虚子は「清艶高華」と久女を褒め称えていた〉、虚子「ホトトギス」からの突然の除名。虚子を師と仰ぎ慕う久女は狂女とされてしまった(松本清張『菊枕』のモデル小説に詳しい)

虚子の死後に長女、昌子によって句集が出版されて再評価となっていく。四Sの水原秋櫻子の「馬酔木」にも誘われたという。

花衣ぬぐや纏る紐いろいろ
夏雨に炉辺なつかしき夕餉かな
栗むくやたのしみ寝ねし子らの明日
その中に羽根つく吾子の声すめり
春潮に流るゝ藻あり矢の如く
きこえくる添水の音もゆるやかに
棲とりてこゞみ乗る帆花の雨
谺して山ほととぎすほしいまゝ
ホ句のわれ慈母たるわれや夏痩せぬ
田鶴舞ふや日輪峰を登りくる

「花衣」は花見の時に着る着物。まさに「清艶高華」の句だろう。「女の句として男子の模倣を許さぬ特別の位置に立つ」という虚子評がある。すでにこの時に虚子の俳句を超えていたという評価すらあった。

「炉辺」はろばたのこと「ろへん」と読むが「ろばた」と読ませたのかもしれない。

虚子の主導する「台所俳句」に共感した時代の句であろうか?娘から見れば幸福の中にいた母の姿がある。

「矢の如く」に即物具象の技法があるという。

「きこえくる」は洛北詩仙堂の一句。久女全盛期には各地から吟行の誘いがあって出かけたという(それが派手好きと松本清張の小説には書かれた)。

「帆」は帆付きの人力車か。「棲」は『源氏物語 賢木』にもある言葉で和服では用いられるという。下五の「花の雨」に優美さがある。

「山ほととぎす」は久女絶頂期の句だが「ほしいまゝ」を得るまで何度も山に登ったという。毎日新聞の名勝俳句の一位になった句(虚子選)

「ホ句」は「ホトトギス」か?久女絶頂期で鈴木花蓑と人気を二分していた。花蓑は虚子の写生俳句を忠実に守るタイプか?久女は我が出るタイプだった。

「田鶴」は鶴の歌語。なんか虚子が避けたのもわかるような気がする。

全然俳句が浮かばなかった。久女にちなんだ一句。

雌蝉のふてぶしさは残りけり

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