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シン・俳句レッスン39

この朝顔はアメリカアサガオでアサガオと名が付くが、外来種の帰化植物だった。うらぶれたところに雑草としてよく咲いているのだが、植物の逞しさを感じる。

朝顔は太陽に挑んで咲き続け

アメリカアサガオはいつまでも咲いているイメージ。日本のアサガオのように朝咲いて昼に萎むというのではなく咲き続けるイメージがある。もっともヒルガオもそうなんだが。

俳句の諧謔

山本健吉『俳句とは何か』俳諧は対話の短詩であり、俳諧は連歌から改良されたものであり、芭蕉→蕪村→子規というふうにモノローグ的になっていった。芭蕉が切断のポイントだという。難しい。

芭蕉を肯定しているんだけどやりすぎたということか?だからまた俳諧の精神に戻そうという感じ?それが滑稽、挨拶、即興という座の中で行われる座興(文芸)というものだみたいな。それは共同体の文芸であり、表に出すものでもなかった。それが芭蕉の登場によって変わってきた。一つは芭蕉が旅によって共同体間を移動しながら蕉風を伝えていった。また長くなりそうなので、この続きは「シン・俳句レッスン」だな。

俳句ポストのお題が「新酒」。これなんか新酒なんかに興味がない下戸なんて部外者というものだが、そういう共同体「俳句ポスト」のお題だから、勧めるままに俳句を作ろうとするわけだった。すると下戸だから悪酔いして、変に「俳句ポスト」に絡むオヤジのような句になってしまう。こういうときは出さないという選択権はあるのだが。

「俳句ポスト」を主宰している夏井いつきにしろ、その中の長であるから自然とその序列は出来る。それが初心者から中級者のランク付けがされているわけだった。

ただネット句会という一方向的なものだから双方向的な読みの選択というのは夏井いつきだけがしているわけだった。そこに絶対的な組長みたいな崇め方がある。そしてそれを取り巻くグループが「夏井組」と称しているのだった。

「共同体」というのはそういうことだった。だから夏井いつきの詠む俳句にはパターンがあって、それを熟知したものがランクアップ出来る仕組みを作っている。まあ、それがほとんどの伝統俳句なんで、師匠の真似をして師匠もどきになるのが「共同体」の中で喝采されることなのだ。

山本健吉『俳句とは何か』はそういうことだと思う。そして、そういう共同体的な繋がりが嫌なものが純粋俳句という新興俳句系になっていくと思うのだが。嫌というより新興俳句にも共同体的な繋がりがあるわけで、それは伝統俳句を内輪のものにするのではなく、外部の導入を目指すというものだった。それが詩の象徴性で川名大が俳句史で見てきたことなのだろう。そこに齟齬がある。山本健吉は俳句は共同体の中の対話という諧謔性。例えばかなり性的に際どい俳諧も作られたのだが、そういうのは表に出さない。それが秘密結社的な内輪だけの言葉で楽しみを見出すという形になって行った。それじゃいかんと旅に出たのが芭蕉なのか?いまのところそんな理解だった。蕪村は美的な絵画的俳句は中国の漢詩の影響とかあるわけだが、それを萩原朔太郎も近代詩に近いので称賛しているのか?子規は俳諧的世界を俳句というアイデンティティを注入するのだが、それは近代文学の問題に通じることだった。しかし結局は子規庵という共同体の文学になっていくのだと思う。その分岐が碧梧桐から自由律に連なる一派と共同体を守る虚子の「ホトトギス」に分かれていくのだと思う。

永田耕衣

初期の『加古』『傲霜』『驢鳴集』はニヒリズムが根底にあるのだが、それはヒューマニズムの裏返しのしてのニヒリズムであり、『驢鳴集』は亡き母の追想であることからも伺える。つまりそのニヒリズムは人間の原罪意識というべき、そこに自意識過剰な自己中心主義的なものを見出す。

夜もすがら冱ててありけり父の筆  『加古』
冱てながら父の机に座り居る    『加古』
時雨るるや隣の屋根のこのもしき  『傲霜』
休みの日昼まで霜を見てゐたり   『傲霜』
鴨の声蜜柑ひそかに母にやる    『驢鳴集』
寒雀老母と戯談交はしけり     『驢鳴集』
野の石やあらゆる形の椅子を経て  『驢鳴集』
菊から牛から各々還つて来た俺で  『驢鳴集』
虎杖のぽんと折るると折れざると  『生死』
いづかたも水行く途中春の暮    『生死』

「夜もすがら」は夜通し「冱ててあり」は「凍て」の略字なのか?難しい漢字を使うのは人間探求派とか、そのへんなんだよな。

「冱てながら」も父との断絶を詠んでいるような気がする。父は村役場の官吏であり、叔母の養子となるなど複雑な家庭だったようだ。

「時雨るるや」は平凡な句のような気もするが、「もしき」は「燃し木」のようだ。薪の屋根を眺めているのか?それとも放火魔の心持ちなのか、なんとなく不穏さを感じる。

「休みの日」は中二病か?

鳥に例える亡き母の面影。

『驢鳴集』序は臨済宗の言葉が引用されており、禅の思想を求めていたことがわかる。また『三橋鷹女論』でのレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉を引用している。

「汝が独りでいる間は汝は完全に汝自身のものである、もし一人の仲間をもつならば汝は半分の汝自身でしかない。」

川名大『昭和俳句 新詩精神の水脈』「永田耕衣論」

その言葉から彼はペシミストであるという。しかし晩年になるとさすがペシミストであるよりは「変化する精神」によって晩年意識は生の豊穣を求めるようになってくるという。

「虎杖(いたどり)の」は蓼のこととある。名前とは裏腹に軟弱ということなのか?

百句燦燦

塚本邦雄の一句批評だがサブタイトルが「現代俳諧頌(しょう)」となっている。俳句ではなく、俳諧なのだ。これは、山本健吉に近いのかもしれない。短歌の人が俳句を論じるのも珍しいというか、興味深いものがある。また塚本邦雄だけに独自解釈が読みどころだろうか。解説によると絵画的な見方が多いようである。

朝顔や百たび訪はば母死なむ  永田耕衣
男老いて男を愛す葛の花    永田耕衣
ほととぎす迷宮の扉(と)の開けつぱなし  塚本邦雄
金雀枝や基督に抱かると思へ  石田波郷
河べりに自転車の空北斎忌   下村槐太
みどり子の頬突く五月の波止場にて  西東三鬼
雉子の眸(め)のかうかうとして売られけり  加藤楸邨
転生を信じるなれば鹿などよし  斎藤空華
ひばり野に父なる額うちわられ  佐藤鬼房
目をつむりてゐても吾を統ぶ五月の鷹  寺山修司

まず復習のために永田耕衣から。川名大は、ニヒリズムの奥底にあるヒューマニズムを母の句から捉えていたのだが、塚本邦雄はまたその奥底にあるニヒリズムを捉えている。「母死なむ」という推量が、母の側からしてみれば「死なざりき」が透けて見えるという。つまり「百たび訪はば」で息子の方は否定形の推量に変わるのが息子の気持ちなのだが、「なむ」は推量だが「死」を予測しているのだ。「なむ」はただの推量ではなく「南無」も呼び起こす。朝顔の花が咲き変わるうちにどうして死のう。そう思いつつ母を訪ねる母恋いの業の深さだと言う。

同性愛の歌なのか?葛と言えば釋迢空の「葛の花踏みしだかれて色あたらしこの山道を行きし人あり」が連想されるが、更衣の句からは滑稽な二人組、弥次喜多やローレル・ハディを想像する。老いらくの同性愛なのだ。それを「信ず」と書かずに「愛す」と書くのは愛の極限だと言う塚本の解釈。葛の蔓に足すくわれて転倒したときに口走ったのか、と老いてもなお迷宮にいる作者なのである。川名大は老いの達観を見ていたのだが。

塚本邦雄が自らの句を自解している。俳句も詠んでいたのか(『斷絃のための七十句』という句集からだった)。小説も書くぐらいだからあらゆる創作に手を出していたのだろう。そういう部分では共感性はある。「ほととぎす」は『古今集』の夏に登場しまくるアイテムであり、それを弟分のように解説しているのだ。そして彼らは『聖書』に淫らさを感じているのが迷宮でありその扉を開いたということだった。そこから妄想のように『聖書』を騙りだす。塚本邦雄は『聖書』に幻影を見ているのだ。それは古典の勅撰集を騙るときと同じようなものなのだろうか?

「金雀枝(えにしだ)や」金雀枝が魔女の箒と言われるようにこれも迷宮の句なのだ。そして基督に抱かれるという同性愛的なイメージ。魔女はマリアに喩えているが句は男同士が抱き合う秘儀として基督との出会いを捉えている。ここでは詠み手の石田波郷が基督であり、読み手は塚本邦雄の幻影の中で抱き合うのだった。

下村槐太の「自転車」の句は爽快だった。それが北斎忌というのが彼がこの句が詠まれたときまで生きていれば二百十歳と年齢を算出しているのが面白い。あり得ないことだが北斎なら可能だったかもしれない幻影の絵が見えるのだ。そのチェーンからスポークの一本一本まで明確に描写する塚本の解説。その自転車は東海道五三次の途中の河べりに止めてあるのだ。大井川あたりだろうか?

「みどり子の」と来れば誰もが「頬突く」にしても軽く突っつく情景を思うだろうが、ここではみどり子の頬から血が吹き出るほどに突くのである。その血の赤とみどり子のコントラストがこの一句に異常な絵を見せるのだ。それが五月の波止場という危うい場所なのである。西東三鬼ならではの句か?

「雉子の眸(め)の」の句は食べるために売られているのだが目は煌々と輝いている。その雉に射すくめられているのは、詠み手の楸邨なのである。ここに俳諧の逆転現象があり、「サタン生る汗の片目をつむるとき」よりも神の国を見るという。雉の声は聞けず(現実ではない)、目に映る(幻想の)詠み手との関係性の世界なのだ。

「転生を信じるなれば」という「なれば」にこだわりをみせるのはかつてはそう信じてなかったのに老いたるなればということだという。そして、唐突に「鹿」を持ってきたところにキリスト教を感じるという。その飛躍の仕方も良くわからないが、斎藤空華にキリストを詠んだ句があるそうだ。西欧思想的な解釈だった。

「ひばり野に」も西欧思想の父と子のフロイト的解釈を施す。イカロスの変身した姿がひばりなのだ。幻影者の俳諧だった。

寺山修司の俳句も統一される自己を見るのではなく、父との対立を虚構するのだ。寺山修司の虚構性はけっして統一されることなどなく「鷹」は彼の虚構の父のイメージ、まかり間違えばヒトラーやワーグナー的な神の使いとしての鷹なのである。この俳諧は父恋ひの俳諧だとするのだが、それは彼が青春時代を捧げたのは虚構性の俳諧との出会いだった。


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