おふくろの味は、イデオロギーをも煮込む
『スープとイデオロギー』(2021/韓国/日本)監督:ヤン ヨンヒ
解説/あらすじ
朝鮮総連の熱心な活動家だった両親は、「帰国事業」で3人の兄たちを北朝鮮へ送った。父が他界したあとも、“地上の楽園”にいるはずの息子たちに借金をしてまで仕送りを続ける母を、ヨンヒは心の中で責めてきた。心の奥底にしまっていた記憶を語った母は、アルツハイマー病を患う。消えゆく記憶を掬すくいとろうと、ヨンヒは母を済州島に連れていくことを決意する。
『かぞくのくに』のヤン・ヨンヒ監督のドキュメンタリー。『かぞくのくに』では北朝鮮を支持している親世代との断絶を描いていたが、和解的作品なのか?単純に和解とも言えないのは、まだ兄たちが北朝鮮にいるから。
『かぞくのくに』ではチェチェ思想の北朝鮮を描きながら、それに反発する日本育ちの在日朝鮮人を描いていた。家族の中で自由主義の教育を受けた者が、北朝鮮の全体主義に馴染まないのは想像できるが、母親がなぜそこまで北朝鮮の肩を持つのかという疑問が、済州島にあった。
済州島四・三事件は、日本でも最近になって知ることになるがほとんどの日本人は知ることがない歴史だ。金時鐘『猪飼野詩集』や『朝鮮と日本に生きる――済州島から猪飼野へ』、金石範『火山島』が日本でも出版されたが一般的な興味は引かなかったと思う。
それは、高度成長期の朝鮮戦争とアメリカ民主主義を疑いなく信じていたからだろうか?私が興味を持つのもかなり後で、金時鐘の著作によってであった。金石範の小説は何か遠い世界(すぐ近くで起きたのにもかかわらず)のように感じていた。それは、日本社会が韓国と朝鮮を知ることがなかった。どちらも敵対する国として、社会は捉えていたのかもしれない。一方は軍国主義の国として、もう一方は全体主義の国として、アメリカに守られていた平和国家日本は隣の国を直視出来なかったのではないか?
その最大な矛盾が済州島四・三事件ではなかったのか?矛盾はアメリカの民主主義というものが、一方では血塗れれた虐殺の歴史であったということを。少なくともそれをベトナム戦争では知ることになるのだが、もう一つの朝鮮戦争は隠されしまった。その最も悲惨な事件(事件というより虐殺)済州島四・三事件だった。民族の分断ということ。
そういうイデオロギーとして日本で育った者には隠された歴史が母の過去にはあった。しかし、それを母は語ることを良しとはしなかった。語れなかったのだ。その理由は推測するしかないのだが、もっとも多感な青春時代を奪われてしまったからとしか言いようがないのかもしれない。
母が伝えられるのはサムゲタンのスープの味だった。それは母のイデオロギーでもないが母なる民族の伝統の味なのだろう。鶏の内蔵に青森のにんにくを詰めて、長時間煮込むことでできるスープの味は何を語るのだろうか?イデオロギーを語ること無く一緒に食事を出来た家族の食卓なのだ。