シン・俳句レッスン81
今日は野路菊。普段はこんな言葉使わないのだが俳句用語とでもいうべきか?菊で満足できない人は「野路菊」で路上に咲いている菊だと思うのだろう。4文字だし。上五に乗せやすい。
おじさんと小さな花という歌があったんだよな。怪しい歌だがあの頃は純粋にいいと思っていた。
摘んでいくのが危ないオヤジの歌だと思ったのは、山崎ハコの「望郷歌」を聴いてしまうと少女を汚してしまったのかと思うのだった。
俳句の達人(野澤節子)
ほんと知らない俳人が沢山いるな。
野澤節子は在学中(フェリス女学院)に脊椎カリウスになり、その中で俳句を見出したということだ。「気迫」というのは、そういう生きるチカラのことだろう。フェリス女学院というお嬢様学校の中で「脊椎カリウス」という病気はほぼ絶望的な青春時代だったろう。
病弱だからこそ自然の変化(季節)を敏感に感じたという。
師匠の大野林火に、梅雨の句なのにジメジメしてないと褒められてとか。
俳句いまむかし
坪内稔典『俳句いまむかし ふたたび』から。
春
小学生の句だと思ったら大人だった。いまいち意味がわからないが、タンポポもウィルスのようにどこへでも拡がっていくということだろうか。従兄弟の漢字は従姉妹や従兄妹のほうが好きだった。「又従兄弟」か。そこまでは知らないかも。大家族の家なんだろうな。何気ない言葉で生まれが出るかな。
尾崎放哉の俳句に似ているけど「たんぽぽ」なれば大家族的なのかもしれない。「咳」だったら、尾崎放哉になってしまう。「たんぽぽと言つても一人」では、尾崎放哉にはならないよな。お花畑じゃんみたいな。
土筆も摘んでも食べ方をしらないから。湯がいてマヨネーズを付けたら食べられるのかな。穂は取ったような。レシピみたらけっこう面倒だった。
昔はけっこう土筆は食べていたんだな。スーパーにあるものしか食べられないと思ってしまうから。高級料理店とか。
かつては「水温む候となりました。いかがお過ごしですか。」と起筆したと稔典さん。手紙なんてまったく書いてなかった。昔の通信手段は手紙だったなんて、信じられないメール世代だった。ペンフレンドとか懐かしい。
こういう仕事とプライベートをごっちゃにするオヤジがいるから日本の男は肩身が狭い。「二月尽」ということで新学期がそろそろ始まる予感の期待だという。
虚子一族の末裔がこれだった。
富安風生は「どこまで行っても、余技としてたしなむ遊俳の感じがつきまとう」とあるなるほど。俳句は深刻になるより楽観的な方がいいのかも。
そういうのはないが。気持ち的には。
野焼きの後の蕗の薹だという。作者は遠野を詠んだみたいだった。同じ句集に
蕗の薹が土から生えてくる時代。
そういう時代もありました、という感じか。
あまり香りとか敏感でもないんだけど、マスクしているし。
NHK俳句
山田佳乃さん、題「寒造」。NHK俳句は酒題が多いな。関係者に酒好きがいるのか?酒の句はあまり作らん(作れん)。