涙は語り手の瞳に映った物語
『バハールの涙』(フランス・ベルギー・ジョージア・スイス/2018) 監督エヴァ・ウッソン 出演ゴルシフテ・ファラハニ/エマニュエル・ベルコ
解説/あらすじ
女弁護士のバハールは愛する夫と息子と幸せに暮らしていた。ある日クルド人自治区の故郷の町でISの襲撃を受け、男性は皆殺されてしまう。バハールは人質にとられた息子を取り戻すため、クルド人女性武装部隊“太陽の女たち”のリーダーとなり、戦う日々を送っていた。
見事なまでに女性映画だった。クルド人女性武装部隊の映画だからどうなんだろうと思っていたがフランス人ジャーナリストの従軍記者の視点で描くことで単なるヒロインものでもない(でもヒロインものか)映画になった。一つ重要なのはバハールがヤズディ教徒で性奴隷にされていたこと。
バーハルが何故?クルド人女性武装部隊の隊長になったのか、ISとの戦闘と過去の性奴隷の日々(『ナディアの誓い』のナディア・ムラドの証言)とISに捕われ少年兵としれる息子を救出する為に決意する。母親というテーマが奥行きを与えている。それと戦闘歌に込められた想い。(2019/03/15)
日本公開されてすぐ劇場で観たのだが記憶がなかった。今回観た感想は別のものになっていた。
三年前に観ていた。すかっりストーリー忘れていた。今回はバハールの物語というより、隻眼の女性ジャーナリスト・メリー・コルヴィンの視点から見ることが出来た。前見た時はメリー・コルヴィンの存在を知らなかった。その後、『プライベート・ウォー』や『メリー・コルヴィンの瞳』を観た。『メリー・コルヴィンの瞳』はドキュメンタリーだけどもろタイトルが被っている。コルヴィンが戦争に刺激を求め、戦場中毒のようになってしまったジャーナリストなのだ。普通の生活が出来なくなった。彼女の視点だから、バハールはヒロイニズム的に描かれている。
『メリー・コルヴィンの瞳』と『バハールの涙』はタイトルからもわかるように対となっていた。
バハールと子供との関係を描き、捕虜になっている子供がバハールに銃を向けたときに撃てなかった。母親としての感情が入っていたのだが、むしろ戦場では逆で撃たなければやられる。その後、爆死するのだ。
クルド人の女性兵士がこの戦争に参加する意味。イスラムでは女性に殺されると天国に行けない。だからISにとっては屈辱なのだ。それを利用しているのは軍隊なのである。そこは描かれていない。女性の従属的に支配される側から闘う女性としてのフェミニズム的要請もあるのか。またカラシニコフという銃によって、女性でも銃撃戦ではハンデがなくなった。最後に爆死するわけだが。
その姿を見て、メリー・コルヴィンは讃歌を書いたのである。女性たちの置かれた状況と戦場に銃を持って参加しなければならない意義を。ただ彼女のその後を想像すれば(生き残ったとして)、スヴェトラーナ『戦場は女の顔をしていない』に描かれた女たちと同じだったろうと想像する。