シン・短歌レッス135
王朝百首
塚本邦雄『王朝百首』から。
男かと思ったら女だった。馬の世話をする侍かと思ったら馬さんという高貴な方だという。
「やんごとなき人」に呼び出されたが空振りだったというような歌の意味だそうだ。「蛍」は夏の季語であり、ここでは「ふゆやみの空」とうたわれていることから儚い光の象徴として読まれていたのだ。俳句では季重なりとされそうであるが、人心を詠む和歌ではそういうリアリズムなのかもしれない。リアリズムの中に蛍火という幻が「ゆゆしき(忌まわしい)」という言葉を添えるのだ。
一条天皇の中宮定子に仕え清少納言と同期だという。さらに中宮彰子にも仕えていたから紫式部や和泉式部とも同期で歌を争っていたという。そういう歴史があるとすごい才女のようでもあり実際にすごい才女であったからこそ二人の中宮に仕えていたのだろう。『光る君へ』で清少納言と紫式部を取り結んでいたのかもしれない。実際には紫式部に清少納言の悪口を吹き込んだのは馬内侍かもしれないと想像が膨らむ。藤原公任や左大将藤原朝光との恋歌のやり取りがあったという宮廷歌人の華やかな時代の女房歌人であった。
『新古今集』に八首とられていてどれも素晴らしいと塚本邦雄が書いていた。馬さんと呼ばれたのは父の職業からだそうだがやっかみもあったのかもしれない。馬面とかイメージしてしまう。
『源氏物語 異聞 紫陽花』での歌。月は光源氏
崇徳院も宮廷歌人の第一人者でもあったようで、五月雨の夜のレジスタンスという。つまり秋の月と比較して、月なんてどうでもいいと言っているのだ。月は天に輝く地位なのかもしれない。それよりも花(女か)のかをりだという。後の物語で怨霊的なイメージで語られてしまうが戴冠詩人であったという。だから言葉の言霊性が怨念となるのかもしれない。
忠良は「新古今」調とは対立する
「樗(あふち)」は「センダン」という樹木。新緑の中で白い花が清楚なイメージだという。下の句「さみだれはるる風わたるなり」の軽やかさがいいという。五月雨はそういうイメージで詠む方がいいのか?紫陽花では鬱陶しい。
五月の爽やかな風に消されてしまう命もあるというような。
待賢門院は崇徳院の母である藤原璋子で彼女に仕えたのが堀河と安芸だとされるが、堀河に比べ歌が弱いとされる。それで堀河の妹分的な存在なのだという。
平清盛全盛時の夭折(21歳)の天皇。中宮は建礼門院徳子。後鳥羽天皇の父。
『新古今和歌集』の中心的選者だったが自身の歌は三首しかはいってないという。それでもこの「常夏の花」の歌は朱夏の歌の名歌であるとする。
『古今集』選者の壬生忠岑の子。天徳内裏歌合で平兼盛に負けて頓死したエピソードが有名。塚本邦雄はそれは創作だという。
NHK短歌
衝撃の初句、運命の結句
初句は口語体がいいのかな?あと命令形とか。初句切れで衝撃を残す。
広島の原爆記念館で見た遺品。最初にそれを持ってくるとただ説明だけの文章になりがちなので、前半に日常の楽しい姿を描き、最後の句でひっくり返すような悲劇を持ってくる。
今朝の短歌から
衝撃が全然ないな。
こんなもんか。
映画短歌
『ありふれた教室』
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