見出し画像

集団ヒステリーの恐ろしさ

『羊の怒る時 ――関東大震災の三日間』江馬修 (ちくま文庫 )

1923年9月1日11時58分32秒、関東大震災が発生。関東一帯の大地が激動し、東京は火の海になった。突然起こった惨禍に、人々は動揺し、流言蜚語が発生。「朝鮮人が暴動を起こす。火をつける」というデマにより、多くの朝鮮人が虐殺された。自らの衝撃的な体験をもとに書かれ、震災の翌年から連載が開始された記録文学の金字塔。巻末に石牟礼道子によるエッセイを収録。
目次

第一日
第二日
第三日
その後

映画『福田村事件』を見て、関連書籍を漁っていたところこの本を知ったのだ。それで図書館で予約したが結構予約する人がいて、今頃になって読んでいた。江馬修という作家もこの本のことも知らなかった。けっこうこういう本には敏感に反応するのだが関東大震災後すぐに出版されたのに、どういうわけで埋もれていたのだろう。1989年「影書房」という権力側にとっては良からぬ本を出すところが出版したようである。最初に連載が載ったのも台湾系の新聞なので、あえて無視されたのかと思う。それでなくともこういう記憶は削除したい国だから。国がそう思えば思うほど世間では興味を引かれて、こういう本が文庫で読めるようになったのか(映画『福田村事件』で初めてこういう事実を知る人も多い)?

内容はけっこう壮絶だと思ったのは著者は朝鮮人の知り合いがいるのに、その場面に立ち会ってもと助けられなかったと告白しているところだ。関わってしまうと自分の命が危なくなるからだ。それほどの集団ヒステリー状態は、「鮮人」(そう呼ばれる)は見つけ次第殺すべきだと張り紙までされる始末。それは彼らが大地震に乗じて叛乱したというデマが流されて、火災を引き起こしているのも彼らのせいで、すでに横浜あたりから東京に向かって鮮人たちが攻め込んでくるという噂がその日の午後には広まっていくのだ。地震直後に日本人の赤ん坊を助け出した朝鮮人も殺されそうな目にあっている。

彼は放火未遂ということで、警察に捕まったから殺されずにすんだという。その警察署には朝鮮人だけではなく多くの日本人も収容されたという。実際に大杉栄親子がこのデマによって逮捕され、虐殺されたことは本にも書かれている。そのぐらいの事件だったのに、どうしてこれらの事件が知らされずにいるのだろうか?

今日図書館で『<普及版>関東大震災朝鮮人虐殺の記録: 東京地区別1100の証言』という本が新刊本コーナーの棚にあったので借りてみた。

それによると荒川近くの小学校の教師が放水路が人の手で掘られたというのを信じられないという生徒の質問で調べているうちに朝鮮人・中国人の虐殺事件があったということを知って、それが本になって出版されたのが『九月、東京の路上で』という本によって明らかにされた。都知事は朝鮮人の慰霊を確認が取れないこととして中止したのものの、それが世間を騒がせるニュースになっていく。そしてついに証言集まで出版されることになっていくのだ。後半に小学生の作文まで改ざんしていた文章が掲載されていた。

そうした虐殺の集団ヒステリーというような現象を『羊の怒る時 ――関東大震災の三日間』丁寧に描き出す。地震直後の情況から次第にデマがひろがっていく様子、そして著者もそれを信じて一日目は眠れなかったという(ほとんど記憶にないという)。そのときの不安な眠れない(家族の被害を考えてしまう)が臨場感あるように描かれている。二日目も逆に朝鮮人がこれだけ虐待されるのなら朝鮮人の方も自衛するだろうから、最悪の状態になると思っていた。それでも兄の生存を確認するために都内を彷徨するが、そのときに検問所でも疑いを掛けられる。浅草で区長をしている兄が住む本郷までやっと辿り着くのだが、浅草の吉原では門を抜け出せないように閉めたので火事が起きたときにみんな池に飛び込み多くの女性が被害にあったということだ。

別の兄弟が地方から見舞いに来てくれたが彼も缶詰を爆弾だと疑われたという。その缶詰を投げると一目散に逃げていくので、そこから脱出したとかいうエピソードも。

そういう悲惨さは底辺の人ほど酷いようだ。個人の力では防ぎようがないこうしたジェノサイドは、国が率先して記憶して国民に伝えていくべきだと思う。またそのようなジェノサイドが起こらないとも限らない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?