キース・ジャレットお勧めアルバム
「ジャズ・トゥナイト」がキース・ジャレット特集だった。賛否両論あるジャズピアニストだがキースの音楽にジャズという概念は取り払ったほうがいいのかも。ジャズもやるピアニストぐらいで。
最初のキース・ジャレットを聴いたときの衝撃は忘れられない。
キース・ジャレット『生と死の幻想 』というタイトル。その頃はまだジャズにのめり込む前でプログレ・ファンだった。そんな私をイチコロにするこのタイトルにジャケット。原題は「Death and the Flower」なのがなお素晴らしい。
表題曲はキースのアメリカン・カルテットの面々が抹香のようなフリージャズ。それはキリスト教音楽(キース・ジャレットはこっち)ではあるのだが東洋的(他のメンバーはこっち)な抹香の匂いも漂わせている。サックスのデューイ・レッドマンがポスト・コルトレーンのジャズ・ミュージシャンでありベースのチャーリー・ヘイデンはオーネットのフリー・ジャズの出自。ポール・モチアンもカーラ・ブレイ・バンドの重鎮として存在感あるドラマーだった。そこにパーカションのGuilherme Francoを加えたキースのアルバムというよりデューイ・レッドマンとチャーリー・ヘイデンの意向が強いポスト・コルトレーンの音楽のように感じる。それはレーベルがインパルスということもありコルトレーンのジャズの影響力が強いのである。タイトルからして追悼曲的なイメージである。そんなアメリカン・カルテットを全面に押し出したあとに、キース・ジャレットとチャーリー・ヘイデンの「Prayer(祈り)」が素晴らしいのだ。まさに献花というような曲。
チャーリー・ヘイデンのベース・ラインの美しさは他のアルバムでも感じられるが、ここまでとなるとなかなかない。それもキース・ジャレットのピアノとよく合うのだ。
そのアメリカン・カルテットが二年後にECMに残した傑作アルバムが『The Survivors' Suite (残氓)』。「残氓」という邦題にやられました。これはECMに残したアメリカン・カルテットの終幕にふさわしいアルバムでメンバーが燃え尽きている演奏。また「Death and the Flower」が即興的に演奏されているのもいい。
それからアメリカのメンバーは勝手に好き放題やると思ったのかキースの意向を汲みやすいヨーロッパカルテットを作るが、アメリカン・カルテットほど迫力はない。ただテナー・サックスのヤン・ガルバレクはここから注目され、押しも押されぬ北欧代表のミュージシャンになっていく。
キースに戻るとやっぱ他のメンバーはうざいと思ったのかソロ・ピアノの即興演奏で誰もが取り上げるヒットアルバムを作る。それが『ザ・ケルン・コンサート 』。
なんでそんなに人気があったのか今聴くと断然ピアノの音がいい。それと即興演奏なのにメロディアス(肘打ちとかない)。そういうことでジャズ喫茶ではかからない日はないというぐらいリクエストが集中した。まあ音大あたりの女子大生がいたらイチコロみたいな感じだった。ジャズ喫茶の常連はその後に客を帰すようなフリージャズをかけるのだ。『The Survivors' Suite (残氓)』のような。
キースのソロ・ピアノはECMは音がいいので人気だったが以外にクラシックもショスタコとかをやっていて、これがなかなかいいと思うのだが。バッハとか古典クラシックもいいんだろうけど、クラシックならそっち系を聴きたくなる。ショスタコはあまりメジャーな曲じゃないぶんキースとの相性もいいと思うのだが。
そして外せないのが「スタンダーズ」のモダン・ジャズ回帰の作品。キースがというより、ゲイリー・ピーコックとじゃく・ディジョネットを配したリズム・セクションはレジェンドに相応しいんだけど、その分何を聴いても代わり映えしない「スタンダード」になっている。好きな曲で選ぶのが一番だと思うが、わたしはライブ盤で有名曲を日本人のためにサービスしている東京でのライブ盤『TOKYO 1996 』がいいと思う。
こうして聴いてみるとフリーからクラシック、スタンダードと幅が広いピアニストで、もっとロックよりのアルバムもあるのだが今回はパス。最後はやはりチャーリー・ヘイデンとのベース・デュオで聞き納め。
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