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ハリウッド映画の方向性

Netflix『映像と文化ーレンズ越しの景色ー』(アメリカ/2021)製作総指揮デヴィッド・フィンチャー 

観る者を魅了し、混乱させ、そして挑発し、さらには人生まで変えてしまうのが映画の力。映画への大切な思いがさまざまな角度から語られる、評論家、俳優、脚本家などが映画への思いを語る映像エッセイ集。
6エピソードで構成されるドキュメンタリーの語り手は、映画評論家のウォルター・チョウ、俳優のドリュー・マクウィーニー(Drew McWeeny)、脚本家/アニメーターのテイラー・ラモス、映画ブロガーのサーシャ・ストーン、フィルム編集者/脚本家のトニー・シュウです。

「サメの夏」

映画作品論ではなく、映画文化論だった。タイトルはそう書いてあるな。つまりポップコーンを映画館で食べてシネコンで楽しむ層の映画文化論。個人的な『ジョーズ』の思い出。

『ジョーズ』は見たことがなかった。当時映画雑誌でプールの中のハリボテだった写真を観てしまったからファンタジーを抱けなかったのかもしれない。一番最初に自主的に観た映画は『燃えよドラゴン』だった。ブルース・リーは本当に世界最強だと思っていた。

映画の作品論よりもアメリカの映画の需要。大画面の映像と個人で楽しめるスペクタクル。都会文化への憧れ(思春期の大人文化への憧れ)。

「復讐の倫理」

韓国映画『親切なクムジャさん』はまだ観ていないので観たくなった。復讐ものは、自分は出来ないことを映画の中でやってくれる。やっぱすぐ思い浮かぶのはフランコ・ネロの『続・荒野の用心棒』。『修羅雪姫』もそうだったっけ。また観たくなる。『復讐するは我にあり』。

倫理観より映画の中だから許される暴力や犯罪。その落とし前として主人公は、その世界にいられなくなる。去らなければならないのだ。「シェーン・カムバック」の世界。だから観客も暗闇の中で現実に戻ることが出来る。

「嫌いだけど」

『アラビアのロレンス』のロレンスの人物像。英雄として描かれながらも二面性に悩む。善と悪では計り知れない運命的なドラマ。葛藤する姿に観客は寄り添う。「嫌いだけど」惹かれてしまう。心惹かれる悪人。そういう人物像は、アメリカ(ハリウッド)映画のヒロイン像に多いのだろうか?一番わかり易いのは『ジョーカー』だろう。そういえばヨーロッパはこのタイプは少ないような。欲望の国だからこその人物像だろうか?

名作のハイライトシーンばかり流れるから退屈しない。こういうのなんか観たことあるなと思ったらゴダール『映画史』。ただ違う面もある。ハリウッドらしく作家性より協調性が求められその中で監督は作家性をどう出していくのか?

「魅力の二重性」

アニメータの仕事。アメリカは3D映像が流行り、日本は2Dアニメのままだ。ハリウッドだと3Dになるのは共同作業的なのか。なんか逆のような気がするけど、そこで監督の個性が中央集権的にある。日本だとそういうことだった。技術論の話は新鮮だ。ただ女性キャラの場合、目が大きく愛らしくという、男性キャラに比べて変化が少ないという。

アニメだと国によっていろいろあるけど、ある程度スタイルがあるような感じかな。アメリカは3Dとか、日本は可愛いキャラとか。アイルランドのアニメ、「カートゥーン・サルーン」は凄く新鮮だった。フランス・アニメはデッサン風。日本のアニメはリアリティよりもファンタジーだった。

「映画かテレビか」


まさに、今の自分の状態だな。寒くて映画館に行くのが面倒になっていた。今週はそれほど観たいと思わせる映画もないし。東京まで行けばあるんだけど、そこまでの意欲がないので、自宅映画館。最近は風呂でもスマホで配信を観ている。大画面とか映画によっては魅力だとは思うけどそれだけではない。

今は映画のセールスポイントがTVドラマの方へ移ってきてるような気がする。ネット配信の影響だ。多様性にしてもTVドラマの方がより描ける。映画だとそこまで複雑にすると物語の理解がわからなくなるというのもある。あとネットの影響か?ドラマだとリアルタイムで観ている人の情報がある。一体感が持てるというような。

ただその分大衆に意見を寄せてしまいやすい。多様性でありながら一面的な見方。まだ映画批評は多様性はあるのかな、とも感じる。最近ネットの影響でそれもどうかと思うようなこともあるのだが。なんだろう『風と共に去りぬ』が問題視されたり、犯罪者の監督の作品が観られなくなったり、時代の要請で映画を撮るのも視るのも大変になってきた。ヴェルナー・ヘルツォークの映画とか今は作れないだろう。昔の監督たちのセクハラとかどうなんだろう?作家論で語りにくくなった映画は、ハリウッド形式で行くしかないんだろうか?

「名作の光と影」


ウォルター・ヒルの『48時間』。黒人問題を突きつけた映画だという。観ていなかった。それより「名作の光と影」は、やっぱ監督問題だよな。このへんをもっとツッコんで議論していかないと。過去の監督の行為が今の映画の上映に影響を与えるとなると考えてしまう(キム・ギドク問題とか)。注釈付きで上映すればいいとは思うのだが。


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