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マッチ一本歌事のもと(第一話)

マッチ擦る束の間の海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

『寺山修司全歌集』

寺川修司はマッチを擦っていた。俺は父の本棚からこぼれ落ちた本の見開きページにこの魔法のコトバを見つけたのだ。さっそく母に「マッチはないか?」と問う。百円ライターじゃいけないのだ!

「燐寸(マッチ)なんてあったかなぁ。あなた放火でもする気?未成年は煙草は駄目よ!」
「マッチというものを擦ってみたくなったんだ。この本………」と俺は父の本を母に示した。
「寺山修司?懐かしいわ。それでパパを勘違いしたの。」
「で、その父さんは今どこにいるんだ、お前のせいじゃないか」
「泣かないでよ、マッチ探してみるから。あなたにはわからない女の事情ってものがあったのよ」
俺は泣いてなどいない。それは母親の感傷にすぎなかった。こんな家燃やしてやってもいいんだぜ。そう心の中で嘘ぶいた。

母はジャズ喫茶と書かれている未使用のマッチを投げてよこした。その絵柄に懐かしさを覚えた。無論それは俺の知るよしもないことだ。かさかさなるマッチを確かめて俺は外に出た。

さっそく一本目のマッチを擦った。その匂いに惹かれて歌が再び蘇ってきた。

マッチ擦る束の間の海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

『寺山修司全歌集』

眼の前は昼間の庭ではなく夜の海だった。俺の本当の祖国を思った。ここじゃない。それはマッチの火の中にある仄暗い世界だ。俺も寺山修司のように、何か歌を詠みたくなった。

俺の高校には短歌部なるものがあるはずだ。ネットで調べて、メールする。返信メールにウェブのページが示してある。そこに俺の歌を送れと指示してある。題詠と書かれていた。「透」という字を入れて送り返せばいいんだな。俺は指折り五七五七七数えながら歌を詠んだ。

渋谷地下透かし見えれば都会人 恨み晴らせずホームで叫ぶ

翌日指定されたファミレスに行った。場違いなセレブな高校生の一団を遠くから伺いながら観察していた。やつらは皇室の「歌会始め」に出ていた俵田マチコ(歌名)の話をしていた。それは凄いことらしい。短歌部始まって以来のことだと言う。誰がその女なのか俺は探した。窓際に一人ただならぬ近寄りがたい雰囲気の女がスマホを観て大笑いしていた。

その女は俺の短歌を読み上げ、大笑いしていたのだ。
「こいつ何を叫んでいるの?いまどきこんな短歌詠んでくるなんて滑稽だよね。」
俺は殴ってやりたい気持ちでその女の席に近づいた。スマホを覗くと相手の女は専制パンチを浴びせてきた。
「何見てんだよ。セクハラ野郎!オレの胸をやたらと見るんじゃねえ!」

胸などないに等しいのに、馬鹿にされたと思い俺はそのスマホを取り上げようとした時に彼女の膝の上の本が落ちた。それを拾い上げタイトルを見たのだ。『中条ふみ子歌集 乳房喪失』。俺は笑ってはいけないと思いながらその女の胸をみながら笑ってしまった。その時、張り手が飛んできたのだ。

それが上条フミコ(歌名)との出会いだった。

「お前が俵田マチコならどう悪いのか説明してくれ。俺は寺山修司みたいな歌が詠みたいんだ」俺は泣きそうになりながらその女に訴えた。
「あんた、勘違いしないでよ。あたしは上条フミコ。歌名だけどね。みんなフミって呼んでいるわ。あたしはねえ、そんな歌会なんて問題にしてないのよ」
ファミレスに大声が響き、誰もが沈黙していた。そして、その沈黙の中で、誰かのスマホから俵田マチコの歌が読まれていていた。

窓際のをとめほおづえ雲ながめ やまとのもとにウィンクするわ


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