シン・俳句レッスン89
今日も月俳句と一月俳句にしようか?月俳句は月百句が完成してなかったので完成させたい。昨日少し作ったから、今日も少し作ろう。ただ百句は遠いよな。
72句しかなかったので続きを。なんとか百句作りたい。
山頭火
金子兜太・又吉直樹『孤独の俳句 「山頭火と放哉」名句110選』。金子兜太の山頭火名句55選から「行乞──山行水行」から。
山頭火の自由律俳句というと真っ先に思い浮かべるのがこの句だった。リフレインの心地よさ、そして「青い山」。兜太はセンチメンタルすぎるとか。
いよいよ乞食僧として放浪の旅に出るのか「炎天をいただく」とか「乞ひ歩く」とか謙虚なんだが、酒を飲むと本心が出る人だった。
あらためて言うことなのかな?鴉なんて毎日鳴いていていつも一人だが、そいう俳句は出てこない。衒いがあるのかな?山頭火は放哉の句をもじった句も多いという。
この時間は寒い。
山頭火の行乞は好きでやっているところがあるから何かポーズに思えてしまうところがある。本当に生死の中ではこんな俳句は作れないだろう。どこか休める場所で作ったのか。山頭火が本当に何を求めているのだろうか?精神の安らぎか?精神の解放か?俳句ではないと思うのだが、俳句を作るポーズなのか?
山頭火も句読点を使うのか?この句読点は1拍置く感じか。中七は「の」はいらないと思うが「の」があることで旅は続いていると感じが出るのかもしれない。つくつくぼうしは法師蝉ということで。この頃は俳句も充実しているように感じる。
「へうへう」というオノマトペ。頂いているという気持ちか?山頭火の水好きな句。
三年の大放浪が終わって家に戻ったときの句だという。
二回目の行乞に出発するときの句。死地を求めていたのかもしれない。清らかな水が流れる場所のような。
やっぱ行乞でも酒は飲むんだ。
俳句を順番に追っていくと山頭火のRPGみたいだ。
俳句いまむかし
坪内稔典『俳句いまむかし ふたたび』から。今日から「夏」。
夏
「かかと歩き」はいい。かかとに車輪が付いているスニーカーで滑っている子供を見るとやってみたくなる。大人用はないよな。あったけどもはやローラースケートだよな。懐かしの東京ボンバーズ。
爆破犯ではないです。
プラタナスは鈴懸。街路樹だそうだがわからないな。「鈴懸の径」という曲があった。
思い出したように月の俳句。
名前が凄いな。光源氏みたいな名前だ。包容力がありそうだな。でも包容感とは?感じるだけなのか?
そのまえのレッスンでやったけど「吾を統ぶ(あをすぶ)」がいつもわからなくなる。こういうコトバはどこから仕入れてくるんだろうな。
当たり前すぎるか?
11歳の句だった。11歳ぐらいだと特別なんだろうな。それから2~3年で親不孝が始まる。母が亡くなるとどうなるんだろう。ところで母の日はいつだ。5月の第2日曜日だったか?
中七は「母の、日傘の」ということだった。リフレインかと思って、「母の日、傘の」と思ってしまう。もしかして二通りで読ますことによって、最初は雨だったのに、二度目に読む時は晴れになるということだろうか。高等テクニックだ。普通こういう句割れは、句跨りにするんだけどな。そこまで出来たら良かったのに。
添削した。たまには偉い俳人の句を変えてみるのもいいかもしれない。
二月は「スノームーン」という。「ろうげつ」と読ましたのは、臘月(十二の月)との掛けて。
これも「まめご飯」で切れるから「子の友のこと」になる。餃子のことではない。餃子にしたら面白かったしれない。
三日月が餃子に見えたのでラーメン屋に入った。
豆の飯を炊いたのなら、なかなかの老人だな。名前も凝っているし。
「薄暑」が夏の季語。初夏の季語で、わずかに汗ばむ程度という。「髪を自由に」は結んでいた髪を解くということらしい。情景がいい句だった。
巫女さんか?
どういうことだ。夕焼けに染まる髪ということなのか?女にすればロマンチックかも。
銀狼にすればいいのか。
中途半端だな。
狼の遠吠えが銀世界にするイメージ。
今日は十一句。