シン・現代詩レッスン40
百人一詩
『百人一首』を詩でやったらどうなんだろと思った。詩の方向性を定めるのだ。多分あっちこっち散らばると思うが。「シン・現代詩レッスン」で本歌取りのような模倣詩をやっているので、まずそこの詩人から。
1 石垣りん『家』から「きんかくし」
石垣りんの「きんかくし」の破壊力ろ言ったら。
2 ボードレール「信天翁」
ボードレール「信天翁」の本歌取りの詩を書いたのだが誤動作で削除してしまった。レッスンから百詩上げようと思ったら、早くもここで試みが絶たれようとしてしまう。その間は、まだレッスンしてないけど良さげな詩を上げていく。
3 中原中也「朝の歌」
中原中也で思い出すのはフォーク歌手が中也の詩を歌にしたのを聞いたときにいいな、と思った。中也の詩論に詩は歌であるというのがある。
友川カズキには中也の詩を歌ったアルバムがあった。
4 寺山修司「裏窓」(作詞)
寺山修司は詩よりも短歌や俳句から入った。それと昔聞いたフォークソングの歌詞が寺山修司だと知った。現代詩という枠の中に収まる人ではないマルチ作家だが時代に取り残された昔聴いた歌が良かった。
5 アンドレ・ブルドン「ナジャ」
これは詩ではないか。ただ青春時代にブルドンのシュールレアリスムの与えたインパクトは大きく、すべてここから発しているのかもしれない。
6 宮沢賢治「春と修羅(mental sketch modified)」
7 ヴェルレーヌ「秋の歌」
ランボーよりヴェルレーヌの哀れさのほうが共感できる。「秋の歌」はまだランボーと知り合う前の二十歳の時の詩だが、すでに哀愁だった。
8 ランボー「酔っぱらいの舟」
ランボーは青春の酩酊感なのかな。自信家で勘違い男で大胆で、ようするに若いということだろうか?そういう若さがヴェルレーヌには羨ましかったのだろう。金子光晴の訳がいい。
9 イェイツ「レダと白鳥」
金子光晴の翻訳で思い出したのがイェイツだった。イェイツは大江健三郎『燃え上がる緑の木』の詩も印象深い。
10 上田敏 『海潮音』
日本の近代詩(新体詩)に多大な影響を与えた上田敏も今読むとその文語と言葉のいびつさが面白いのかもしれない。