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日本でも作って欲しいドキュメンタリー
『伝説の映画監督 -ハリウッドと第二次世界大戦-』(Netflixアメリカ/2017年)監督 ロラン・ブーズロー 出演フランシス・フォード・コッポラ/ギレルモ・デル・トロ/ポール・グリーングラス/ローレンス・カスダン/スティーヴン・スピルバーグ
当時の若手であった5人の監督はアメリカのプロパガンダの為にニュース・ドキュメンタリーを撮っていた。ジョン・フォード、ウィリアム・ワイラー、ジョン・ヒューストン、フランク・キャプラ、ジョージ・スティーヴンス。
それらの偉大な先輩監督の従軍戦争ドキュメンタリーやそれ以後の作家生活などを現役監督の解説で知ることが出来る贅沢なシリーズ全三回。Netflixなので順番通り観なかったのだが、知らずに第二回を飛ばしてしまっていた、どこから観ても面白いドキュメンタリーである。名画解説もあるよ。
当時はプロパガンダ映画の為だったのだが、彼らは負傷したりPSTDになって帰ってきた。次の映画がなかなか撮れなかったが従軍後の映画は人間の内面を描く作品になっていた。ジョージ・スティーヴンスは、ナチの収容所を撮っていた。もともとコメディ映画で人気の監督だったが、それ以降映画を撮れなくなってしまった。
彼は最初アフリカ戦線を任されていたが、そこはすでにドイツの敗戦が決まっていて撮るべきものがなかった。そして、ヨーロッパに向かいナチスの残虐行為を撮ってしまう。
スティーヴンスの収容所映像はナチスの戦争犯罪の証拠フィルムとして、裁判に使われ、ナチスの犯罪が明らかになった。この映像はよく使われているので観たことがあるかもしれない(『映像の世紀』とか)。かなりヤバいので注意が必要。全体的に死体が生々しく映し出されるので、TVでは放映されないだろう。
第二次世界大戦までは、そうした従軍監督によるプロパガンダ目的の映画だた。ベトナム戦争は、ジャーナリストがそれで名を上げた。湾岸戦争、イラク戦争ではメディア統制の中でのプロパガンダ。そして、今の時代は誰もがスマホ撮影で記録して発信することが出来てしまう。その変化も面白い。スマホ撮影のドキュメンタリーもあるのだ。そういう映像テクニックにも役立つドキュメンタリー。
キャプラとフォードは対立していたようでハリウッド時代からライバル関係だった。フォードは後にアカデミー賞なんて関係ないというのだが、彼がドキュメンタリー賞を作ったのは自ら受賞するためだった。フォードは保守的なんだけどDデイなんかの撮影では力を発揮する。フォードは戦争の悲惨さの中でアル中になって帰ってきた。
アメリカに戻ってから、ジョン・フォードが軍隊経験のないジョン・ウェインをいじめる話や軍隊経験者に気を使った話なんかもあって興味深い。やっぱ彼らは軍隊式撮影方法とかになってしまったいう。それに途中で気がつくのだ。
多くの戦争体験者は、負傷したりPSTDになって帰還する。従軍監督も例外ではない。彼らはプロパガンダ映画として、アメリカ兵の英雄的活躍が必要だとして撮影していた。しかし戦争の悲惨さは、彼らをもPSTDにする。ジョン・ヒューストンのその映画は軍部は取り上げなかった。英雄行為の映画だけが広まった行く。
ジョン・ヒューストンは女性関係が元でハリウッドから逃れるために戦争プロパガンダ映画に参加したのだった。ただジョン・ヒューストンは戦争で死んでいく者たちを撮り続けた。けっこうヤラセ映画とかあったというが死体だけは本物を使った。当時はイギリスのプロパガンダ映画の方が出来が良くて、アメリカは素人並の映画だった。従軍後PSTDを描いたドキュメンタリーを撮った。
キャプラはナチスのプロパガンダ映画『意志の勝利』を観て、愕然としてこれは戦争に負けるかもしれないと危機感を持った。アメリカの自転車に乗っている若者を戦車に乗せるにはどうしたらいいか?それでナチスの映画を編集して利用した。ヒトラーはチャップリンのように。ムッソリーニは道化役者だ。日本の天皇は?という風に。
それに熱狂的に従う大衆をセットで見せる。ただ日本人にはドイツ人に比べて差別的な表現もあった。眼鏡や出っ歯などの均一した顔や猿や虫けら扱いなど。後の『猿の惑星』は、日本人が第二次世界大戦に勝利していたらという発想を元に描かれたSFである。
編集の力でレニ・リーフェンシュタールの意図を逆転させた。これは映画に係わる人は必見。とくに河瀨直美は。
ワイラーはユダヤ人だから人種差別に目が行く。黒人兵や日系人の収容所問題。プロパガンダでは、ドイツに比べて日本人は卑屈に描かれていた。後に赤狩りがあったときもワイラーは仲間を庇った。ワイラーは自ら飛行機に乗り、耳が聞こえなくなって帰還した。後の映画で観られる映像美はそうした影響があるのかもしれない。
日本でも小津や従軍監督はいたが、こういったまとまったドキュメンタリーはない。その頃の戦争プロパガンダ映画には黙ってしまうことが多い。黒澤の映画とか、円谷英二の特撮とか、その後の怪獣映画にも繋がったものだし、明らかにすることが必要だろう。ただ敗戦国だけにイケイケにならない悲しさはある。
よく知られるのは市川崑監督の『母』が軍部からクレームが来たとか。そういう裏話も聞きたい。当時はどこの国でもそうしたプロパガンダ映画は作られ、それが映画の技術や撮影方法に影響を与えていたのだ。負の部分もあるし技術的進歩を促した部分もある。そうした両面を捉えるドキュメンタリーは貴重だ。称賛と反省の上で映画はさらに面白くなっていくのだ。