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シン・俳句レッスン72

今日はポインセチア。赤が緑の葉とのコントラストでクリスマスカラーだと思うのだが、ショッピングセンターは白ばかり。多分クリスマスを過ぎても正月用と代用するのかもしれない。花屋のポインセチアはクリスマスが過ぎるとシクラメンに代わり一気に売れ残りケーキ状態になるのだった。

ポインセチ聖夜を過ぎて隅つこに

聖夜は性夜か?

俳句の達人(稲畑汀子)

村上護編『俳句の達人が語る「私の極意」から。稲畑汀子。

高浜虚子ファミリーだった。虚子は俳句界のアル・カポネか。孫娘ということだが、父が高浜年尾だった。伝統俳句協会の名誉会長であり、ゴッドマザーという感じ。「ホトトギス」が一つのシンボル的な組織なんだな。

それにしても、俳句協会は、現代俳句協会と俳人協会、伝統俳句協会とあるのか。一つでいいのに。短歌はどうなんだろう。短歌も現代短歌協会と日本歌人協会とあるようだ。いろいろ協会があるのはいいことなんだろうか?

常に自分の心を閉ざさないように  稲葉汀子

これは自然に対して心を開けということだ。それが季語の必要性となるようなのだが、だったら季語ではなく自然ということでいいのではないか?自然に対峙することによって季語性も帯びてくるし、季重なりも気にする必要ないと思うのだ。

あと客観写生という。主観的に書きたがる人は自分本意で相手に意味が伝わりにくいということなんだが、伝統俳句でもすぐに意味は伝わるものでもなく説明して貰って伝わるものもある。それで納得すればいいわけで、無論人による解釈も自由なので極端に客観とか主観とかいう必要なんてないんだと思う。客観写生でも言葉を選択する以上主観的なものが入っているのだ。理解し合える人がいるとそては客観になったりするのだろう。キリストの神がいると主張しても、それに頷けない人もいるし頷ける人もいる。科学的にということを持ち出す必要なんて無く、俳句は文学的なものなのだから信じるものが救われるのである。

兼題は写生じゃなく昔のことを思い出して作るのもありということだった。写生するものが目の前にないのだからそういうこともありだと言うのだとしたら、写生しているときでもふと強く昔を思い出すならそれもありなのではないか?

観念的な句だとみな同じになるということだった。これも写生だから同じにならないとは限らないことで観念的でも変わった考えの人もいることだし、別に避ける必要もないのである。ただ、いいか悪いかの個人による判断にしか過ぎない。新興俳句が自然消滅(観念的すぎて)したように書いているが、弾圧したということをわすれているし、個人の中にはくすぶり続けている火は残っているのである。こういう上から目線が嫌なのだった。

俳句いまむかし

今日から坪内稔典『俳句いまむかし ふたたび』から

冬日向雀ちよんちよん猫だらり  稲畑廣太郎

なんだこりゃと思ったが「ちよんちよん」のオノマトペ。雀が遊んでいるところを猫が狙っているのか?それとも猫もぐーたらしているのだろうか?多分後者だろう。冬日向という平和な風景なのだろう。それにしても彼も虚子ファミリーだった。恐るべし。俳句を家業として継いでいるとか。

猫はしゃぐポインセチアのプレゼント  宿仮

いまいちだった。クリスマスツリーに猫がはしゃぐ動画とかあったんで。

冬日射わが朝刊にあまねしや  日野草城

「あまねしや」の意味がよくわからんが甘い感じなのか?日野草城は『ミヤコホテル』の人だった。「あまねしや」は隅々まで行き渡ることだという。日射しが朝刊に拡がっているのか?これも新婚時代の句なのかな?坪内稔典さんによれば今の子は朝刊という、新聞が朝配達されるものだとも知らないという。ネットでニュースを知る時代なのかもしれない。私も新聞とってない。

あと新しい言葉を使うというのがあるのだが、今だから絶滅しそうな言葉を使っておくというのもあるよな。

新聞で鉢を包むかポインセチア

ぞんざいな花屋さん。

天動説地動説よそに日向ぼこ  追口あき

無関心はよくないと思いながら、日向ぼこも必要だ。ただ日向ぼこばかりでも困った社会になってしまう。未だに地動説を信じるような社会とか。

陽を溜めて体ときどき冬と話す  谷佳紀

擬人法かな。陽を溜めてないから冬に負けてしまう。またアグネス・チャンの声が亡霊のように響く~


凩に負けない赤はポインセチア  宿仮

やっぱ赤は白より強いイメージ。ポインセチアで赤をイメージするから赤はいらないのか?

凩に負けそうな白ポインセチア  宿仮

これならいいか?

ドーナツの穴から覗く冬の雨  上森敦代

これはなんでも出来る句か?

ドーナツの穴から覗くポインセチア  宿仮

ドーナツがクリスマスリースになる。

面白し雪にやならん冬の雨  松尾芭蕉

雪になったほうが面白いのに。これも雪になるだろうという句だった。「雪にやならん」が面白い言い方だ。

面白し花にやならんポインセチア  宿仮

赤い葉のことを言ったのだが、花も咲くからこれは駄目か。白と赤も配置しているからいいと思うんだけど。

かはいそうな人が沢庵ばりばり嚙む  櫂未知子

沢庵をばりばり噛める人はかわいそうでもないと思うのだが。嚙むの旧字が趣深いのかな。沢庵をたくわんと打って変換できなかったりする。

たくわんと犬が吠えるかばりと嚙む  宿仮

沢庵が消えた。

妻と我沢庵五十ばかりかな  島田五空

この沢庵は食べないで大根干している情景かな。戦時は沢庵一切れが新兵の食事のおかずだったという。『兵営食物日記』から。

人参三大根七のなますかな  森下秋露

そのぐらいだったように感じる。大根一本に人参一本かな。そんなにはたべれん。っていうかなます好きじゃない。

緑七赤が三の鉢ポインセチア  宿仮

このぐらいが美しいのかと。

人参を君と呼びたき日和なり  進藤一考

これはよくわからないが大根や牛蒡だと怒られるかな?玉ねぎは黒柳徹子。ビートルズ聴きたくなってきた。





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