シン・短歌レッス136
『源氏物語の和歌』
「三瀬川」は冥土に繋がる川。つまり「三途の川」。玉鬘が髭黒大将に嫁ぐことなったときに光源氏との相聞歌。光源氏は
川遊びはしなかったがまさか他の男の背負われて渡っていくとは思わなかったという意味だという。ただそのお膳立てをしたのは光源氏であり、玉鬘の義理の父ならばどうにも出来たはずなのだ。しかし、そうならずに暗黒大王のような髭黒大将に玉鬘をさらって行かれたのも、玉鬘による意志もあるのだと思う。
夕顔よりも存在感が薄い朝顔だった。前の斎院とあるが賀茂神社の斎院で「葵」での車争いに出てきたのかな。ここでは源氏の古くからの知り合いで明石の姫君の裳着の儀式用に薫物比べに光源氏が依頼したのだった。
朱雀院は光源氏と対立していた帝で『窯変 源氏物語』で嫌われ者なのだが、光源氏が准太上天皇までのぼり詰めたときには里山の秋の人だった。その自身の果敢無さと娘女三の宮を光源氏に託すのであった。
光源氏四十の祝(今の還暦か?)に孫を連れて玉鬘がやっていく。こういうところが玉鬘の出来たところか?光源氏にしてみれば黒髭大将に持ち逃げされた形だが、事後処理として上手くあしらう玉鬘だった。
女三の宮の降嫁と朱雀院の賀宴の間に紫の上が病になり二条院へ移る。その隙に柏木の女三の宮との情事が起き、六条院の不和のきっかけとなっていく。紫の上は六条御息所のもののけに憑かれながらも持ち直すのだった。しかしこの病の連鎖は次々と六条院の不幸となっていくのだった。
一条御息所は更衣であった朱雀院の女房であり、女三の宮の異母姉妹である女二の宮の母上である。女三の宮の母が藤壺の女御であり位が高い血筋ということで柏木は女二の宮(落葉の君)を妻にしながら女三の宮に言い寄って行ったのだった。それは藤原氏の家系であり、源氏の血筋である夕霧も惑わされてしまうのだった。つまり一条御息所には更衣だった光源氏の母と御息所と埒外に置かれた女の情念が宿っているのだ。母なる悲しみの関心はこの場合は取り残された落葉の君にあるのではないか?
紫の上が病で二条院に移り源氏も付き添う形で六条院を留守しがちの隙を見て、柏木が女三宮を襲い薫が生まれるのだが、柏木は源氏の圧力によって急死してしまう。そのことに罪を感じた女三宮も父、朱雀院のあとを追って出家するのだが、その出家が源氏に反抗したことであったので、それ以後は父について源氏からも解放されてゆくのだった。光源氏は紫の上が出家したいのに引き止めた手前女三宮の出家も引き止めるのだが、もう彼の言うことは聞かずに父、朱雀院と強い絆で結ばれてゆくのである。
冷泉院は朱雀院の息子であり女三宮の兄である。光源氏との確執は女三宮の開眼供養に光源氏が参加せず、その後に鈴虫の会を開いた冷泉院は当日参加しなかった源氏に上の歌を贈る。
このところ都から山里の歌が多くなるのは、時代の変わり目を表しているからなのか?折口信夫『女房文学から隠者文学へ 王後期朝文学史』の歌論とも一致するように思える。
『源氏物語』の後半が都の宮廷よりも隠者の文学としての山里へ舞台に移していくことによって変化を描いているのだろう。光源氏はまだ都の文学なのか?途中須磨という貴種流離譚があったが。夕霧となると都から落葉の宮が籠もる山荘へと尋ねていくのであった。そして都へは帰らぬと突っぱねて山荘の中に留まるのであった。そして、それを受けての落葉の宮の返歌。
紫上の御臨終の歌。荻の露が儚さを象徴する歌語となっている。その歌に光源氏と明石の中宮が唱和する。
紫上の一周忌に紫上の文を燃やして詠んだ歌。手紙を燃やすことで紫上を断ち切りたい思いはあるがむしろ断ち切れない未練が感じられるという。こうして光源氏の『源氏物語』は幕を下ろす。
NHK短歌
NHK短歌の二週目は俵万智の『光る君へ』のコラボ。、今回は嫉妬という題詠。光源氏の政治的な嫉妬はおどろおどろしいものだが、俵万智が扱うのはプチ嫉妬というべきもので、それを楽しんで歌にも活かせれば生活が潤うというような内容だった。そもそも俵万智が嫉妬など持ちようもない位置にいるのだから、そうエンジョイ(遊戯)する短歌で楽しむという方法論なのだと思った。それはサロン文化で赤染衛門が指南する歌道スタイル(『光る君へ』の)であり宮廷文化の中心となすものであるのか?
男が愛人邸に行ったのを月を眺めながら待ち続けたというメロドラマのヒロインの歌であり、むしろそこからまひろは離れて『源氏物語』を執筆するのだと思う。この違和感はなんだろうか?違和感はこちら側にありあちら側ではそういうプチ嫉妬の歌がもてはやされるのだろうかと思ってしまったのだ。
それを『魔の山』ではデカダンというのかな。デカダンはもっと欲望を徹底させたものだからプチ嫉妬では小市民的なブルジョアということなのだろう。
短歌における批評とは
『短歌における批評とは』藤井貞和「批評の根拠──人間の声──」から。
例えば中国では天の楽器が鳴らされて(雷とか)、そこから詩が生まれたとされる。日本でも和歌の起源は神話として神々の物語があり、『古事記』ではイザナキ・イザナミの歌が語られる。そうした歌の起源について神謡から求める国文学を説いたのは折口信夫だが、祝詞としての歌、例えば万葉集のスサノヲ命が歌ったとされる歌が上げられている。
しかし、『古今集』の仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。」とあり、そこに『古今集』紀貫之の最初の歌に対する批評があり、それは歌の起源を神の物語に求めるのではなく人心に求めたのだ。
そのことから天皇の歌を神々のものとするか人間のものとするかは、近代の論理からは神々の歌とするには無理があり、やはりそこには人間の声が響くのであった。