シン・俳句レッスン108
切株
「切株」は季語ではないが、富澤赤黄男の名句があった。
今朝の一句。
字余り過ぎか?
整えた。「なくて七癖」が諺だった。こういうのは良くないのだ。
もうあの世しかないというような。
菜の花は他の作物の肥料になるために利用されるのだがその最終形態が宅地開発なのだろうか?という象徴句のつもり。
富澤赤黄男
坪内稔典・松本秀一編『赤黄男百句』。
昭和10年作。『天の狼』は「青空文庫」で読める。
「恋人は濡れている」が安っぽいポルノ映画のような題名だが、「土竜」が象徴的なのか?無季俳句。
これも『天狼』収録。「旗艦」10月号では「南国のこの早熟な青貝よ」となっており、「な」を「の」の変えることで「の」のリズムが心地よいという。ただこれは一句だけで読むよりも連句として読む方が、青春時代の回想風で趣深い。
『現代俳句』第三巻(昭和15年収録)。先の青貝と同時期の作品だと思われるが『天の狼』では外されている。貝殻の青さは青春の青さなんだろうか?最初の「恋人は濡れている」にも通じるような。貝殻と中身の肌(はだえ)の対象か?それが土竜だったのか?連句として読むといろいろ想像出来て面白い。無季。
これも『天の狼』の連句として読むならば(青空文庫の『天の狼』には収録されていないのだが)、ガラス窓は象徴として、青春時代のあとに戦争が来てガラスが破壊されてしまうのではないか?よい天気で通常はガラスは割れないから。無季というのも戦争という時期だからかもしれない。解説では「よい天気」がのんびりとした明るさが不思議な共鳴音を奏でいるとするのだが、逆だろう。ガラス窓が割れる音が響いてくるのだ。
これも時期的には戦時なのだろう。「絶壁」「冬」「落日」が戦争と共に吹き寄せてくるイメージ。下五の字余りは、受け身形として、戦時を享受しなければならない、緊張感ある景だという。
骨牌の裏には絵はない。「骨牌」という漢字から兵隊の姿が描かれているのではないか?戦意高揚骨牌とか。この時期は戦時をテーマにした句が多いのだと思う。
『ビルマの竪琴』という映画があったがビルマで僧侶になった男の話だった。この「竪琴(ハープ)」も祈りのようなものがあるのかもしれない。
井上陽水に「さみしいペリカン」(「とまどうペリカン」だった)の歌があったが、ここから来たのだろうか?「うつくしい」姿が孤独を表しているようにも読める。
「鶴の叙情」収録とある。ここでの鳥は先ほどの「ペリカン」と同じように象徴なのだろう。秋風が吹き抜ける季節に南国の鳥。飛び立てない寂しさを感じる。
「冬園」とある一連の句。動物も象徴なのだろう。象徴句はこういう使い方をするんだな。「黄昏」に諦めに似たもの、「冬」に「苦痛と悲痛の時代」を思うと解説にある。「象徴の怪」を発見すべく「声一ぱいの詩おう」とした赤黄男だという。それが「俳句の純粋孤独」を標榜するものの俳句であったという。
象徴難しいな。
三橋鷹女
『観賞女性俳句の世界2 個性派の登場』から「三橋鷹女」。三橋鷹女の句集を検索したが単独ではなかったので、この本を借りた。三橋鷹女だけ写真が若い時でブロマイドにしたいぐらいの写真で出ている。なんで?略歴は動画に詳しい。
角川で出している俳句観賞シリーズのようだ。解説は池田澄子。
季重なりだが、気にしない。26歳の作。蝶の方が主体なんだろうな。菫は供え物ぐらい。連句として「すみれ摘むさみしき性をしられけり」の後に上の句が来て「折りあげてひとつは淋し紙雛」と続くので性的な句なのだが、他人に知られたことが重要だということだそうだ。今のような時代ではなかったから噂になるほうが事件だったのか?「蝶とべり」と言っているのだから噂をあえて望んでいるのか?
「つはぶき」は日陰で咲く日本の耐える女のイメージがあり、そういう俳句も多く作られたのだろう。このへんの言い切り方が三橋鷹女の俳句なのか?それによって敵も多く作ったという。
これらは日中戦争が始まる前の句で三橋鷹女の俳句が言論統制される中で警句として作っていたようである。
日中戦争が始まった年の句。
新興俳句が弾圧されて、戦争翼賛一色になっていく中で鷹女もそうした俳句を詠んだのか。
鷹女には一人息子がおり軍国教育の中で兵隊として出兵せねばならなかった。
戦争俳句との落差が凄いな。これは自分のことを言ってしまっているのか?
そういうことだった。
NHK俳句
一番評価が高かったのは。
なんだが。定形じゃないし、LINEを使っているのでどうかと思ったが、俳人からの評価が高かった。これはアルノと分かったからかな。「LINE」は普通取らないと思うのだが、NHK俳句だからかな。高野ムツオは俳句は新しい言葉ほどいいと言っていたが。「LINE」は、「ポケベル」とか一緒で今だけの流行り言葉だと思うのだが。時代が過ぎると通用しなくなるのでは?まあ、脚注に記せばいいのかな?
あと「どういうこともない桜」が文章ではなく写真だという指摘。それはなるほどと思ったな。それと定形外しは新しいと思うが句会ではある程度ルールは守るべきじゃないのかと?いつの間にか保守的成ってしまっているのだろうか?
次点はこれはずいぶん古風な写生句なんだけどアルノの句との落差がありすぎる。
これが一番だと思ったが無得点だった。「や」が駄目だというのだが、よくわからない。切れがあるからいいのではないのか?諧謔性もあって面白いと思うのだが、こういう句は取られないんだな。
なんか父の俳句はしんみり句ばかりなような気がする。今の父の弱さが出ているのかな。
これも兼題が難しいな?穴子は食べるよりも水族館のチンアナゴを連想してしまう。
昭和世代の台頭──昭和四十年代前半
川名大『昭和俳句史』から「昭和世代の台頭──昭和四十年代前半」。
現代俳句協会と俳人協会の分裂は俳壇ジャーナリズムの癒着し、現代俳句協会=『俳句研究』と俳人協会=『俳句』(角川)と明確な線が引かれた。このへんは短歌で遅れを取った角川の巻き返しだろうか?歌壇に比べて俳壇は角川の天下になっているような。
それは追悼特集号で、『俳句研究』は渡邉白泉、『俳句』は石田波郷を追悼したが、石田波郷は両誌に載るものの渡邉白泉は『俳句』では無視された。『俳句』は伝統俳句の俳句史や中堅クラスの俳人を紹介したが、雑誌の売上としては差が開いていく。そこで『俳句研究』は高柳重信らを編集に加えて巻き返しを図った。
その成果が渡邉白泉の追悼特集と引退状態にあった高屋窓秋の晩年の活躍である。
昭和四十年前半(1965年ー1970年)は経済成長期と共に個人主義の時代の幕開けであり、またその反動としてのカウンターカルチャーの反抗の時代でもあった。万博という科学的未来が信じられる一方で、地方での公害問題も起きてくる。鈴木六林男は大阪万博時にヘドロ地帯の俳句を連作する。
それは水俣訴訟で『苦海浄土』を発表する石牟礼道子の魁でもあった。
石牟礼道子が昭和四十年代の後半だが鈴木六林男は昭和四十年代の前半、万博の年には日本の経済成長を批評する俳句を出していた。
作品批評
角川『俳句2024年2月号』から。
水内慶太「奈羅逍遥」
タイトルが俳名かと思ってしまった。「奈羅」は「奈良」の古い書き方なのか?創作か?ネットで調べたけど出てこなかったので創作なのだろう。羅漢とか?違うな、「羅」は網とか出ている。捕らえるというような意味なのか?
説明文じゃないか?観光俳句なのか?
制多迦童子と馬酔木の関係がよくわからない。馬面ということなのか。馬酔木をも枯らしてしまうほどの力なのか?
やっぱ羅漢観光みたいだ。
『ローマの休日』に掛けたのか?彼女連れとか?許せんな!
ピアニストなのか?そんな雰囲気ではなかった。ピアノ弾くアインシュタインのイメージがマリリン・モンロー連れのお忍びのような感じなのかな?
坂本宮尾「文運」
俳人協会の人だった。所属する協会でだいたい傾向がわかりそうだな。伝統俳句系なのか?
「百目柿」は特産物だった。甲州盆地か。「空真澄」がいい。
日本家屋という家なのか?生活詠に伝統が見えてくる。
大げさ過ぎるよな。それほど寒い夜ということなのだろう。一本の針は比喩として、痛い寒さを表しているのか?
「水ぐるま」は水車なんだろう。雪蛍は比喩なのか?
雪虫の意味もあるのかと。幻想的な風景。
オリオンと針葉樹の取り合わせは月並み俳句だった。
「青邨忌」は山口青邨を尊敬しているのか、単にその日だったのか。クリスマスローズだと単にその日だっただけのような気がする。
依光陽子「解体された」
大きい句だな。夕日だろうか?渡り鳥?朝日かもしれないというか、「太陽は」という上り方が朝日だろう。けっこう好きかもしれない。
「累ね」が俳句読みなのか?「都鳥」は「ゆりかもめ」で季語。。囀りか?むしろ「都鳥」は特定しないで都の鳥の方がいいような気がする。かもめだと月並みすぎる。
これは好きかもしれない。枯野だから潤いを必要とするのか?
「襤褸」が難解漢字だった。意味を知ると大した俳句でもないような。アトリエというかコレクターなのか?比喩なのか?たぶん「凍蝶の翅の襤褸」が比喩なんだろう。そう思うと面白い俳句になっていく。かつては羽ばたくようなイメージがあったのだが、時が過ぎて襤褸のように感じるということかも。青春を懐かしんでいるのかも。
「解体された」というタイトルだからこの句はいい。都会の青春の回想という俳句のような気がする。俳号も太陽のような名前だし、名前までテーマ性があるような。この人の俳句は好きだった。
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