シン・俳句レッスン10
今日の一句
百合。鹿の子百合という種類。「鹿の子」は模様か?「百合」にレズビアン的意味合いがあるのはなんでだろう?男同士のは「薔薇族」と呼ぶので「百合」だったんだ。白百合学園とかも関係あるかも。
佐藤鬼房
坪内稔典『俳句発見』から。鬼房は社会性俳句を詠んでいたが、その中に幻想的な句があり、そこに惹かれるという。
「馬の目に」は「馬の目」とクローズアップして、全景の雪の湾との取り合わせ。
「魚の臓(わた)」もクローズアップと月の埠頭の取り合わせ。
「寒月に」は全景が季語で、「仲仕」(湾岸労働者)が「ばさとはばたき」は鳥になったように「酔う」。「仲仕」の現実だが中七の表現によって、人を超えて鳥になる。
「時化(しけ)きざす」も全景に「黄ばら(薔薇)に虻が」の中七でクローズアップの手法だった。
鬼房はプロレタリア俳句を作っていたが、西東三鬼に
と記されていたが、鬼房には技法的に意図的、試行的な俳句があり、それは山口誓子の「写真構成」を継承するものだった。そこに鬼房の繊細でかろやかな抒情が詠まれている。
俳句発見
「鬼房」は本名を「喜太郎」という。「喜太郎」から「鬼房」への飛躍(変身)する快感があるという。それは、子規が正岡常規から子規「ホトトギス」に飛躍する快感、例えば子規の「枝豆一二句」は『仰臥漫録』の亡くなる直前に枝豆に託した句。
その他枝豆の歌まで作っていた。そういう弟子の碧梧桐や虚子にはない遊び心があり、それが子規という俳人として身近にある草花を詠んで、例えば絶筆三句に達するのだった。
そこに正岡子規の「写生」という技法から飛躍する子規がいる。そんな子規の弟子と公言する坪内稔典にも甘納豆の連作は稔典(トシノリ)稔典(ネンテン)へ変身した句であるという。もともと稔典(トシノリ)と呼ばれず稔典(ネンテン)と呼ばれたり、ひどいと捻転と書かれて手紙がくる。そこからネンテンという俳号を得ることによって、甘納豆一二ヶ月の連作に飛躍出来たという。
それは山口誓子は本名の「本名は新比古(ちかひこ)」から「誓子」を「ちかいこ」と名乗ったのに「せいし」と呼ばれてしまうのを俳号としたのである。俳号による飛躍(なりきり)というのがあるという。
そんな坪内稔典が現代俳人採点表について述べる章が面白い。新人俳人のランク付けなのだが、櫂未知子がトップで長谷川櫂が最下位だった。長谷川櫂の句は「美味しんぼ」の料理みたいと評する。上手いんだけど印象に残らない。意外性がないのだという。例えばその座談会で注目された俳句は中田美子の第一句集『惑星』だという。それは今までの俳句のイメージを裏切るからで、そこに強烈な個性があるという。
さらに結社の俳人は「レッスンプロ」に成り下がってしまって自身の俳句観の枠から出られない養成所になっているという。坪内稔典は俳句協会に所属してないので、かなり批評(批判)的なことを書いている。その頃の現代俳句協会(俳人協会、日本伝統俳句協会の三団体が業界俳人を生み出すという)の会長だった金子兜太にも厳しかった。
今日のレッスンプロは結社を飛び越えて活躍する。それはTVというメディアだった。その業界俳人を生み出したのが虚子だという。それが今ではガーデニングのような俳句ばかり生み出すようになってしまったという
坪内稔典の俳句観は、柳田国男の
俳諧の「無限の新しさ」が芭蕉から子規を生んだという。そこに彼等の方法論があった。例えば「蕉風」は「不易流行」の革新性にあるという。子規の「写生」も革新性を求めたものだった。
もう一人、自殺した俳人として飯島晴子のことを取り上げていた。彼女は個人に徹した俳人だという。坪内稔典は「わかりあう楽しさ」も必要だとするのだ。
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