シン・俳句レッスン38
俳句の諧謔
蕪村の月の名句。
という俳句は西は夕焼けだったのかと気づいたのだ。薄暮に月。そして反対には夕焼けだった。
その情景を俳句にしたくて思案していたのだが、蕪村のこの俳句は観念で作られたものだと思っていたのだ。でも夕日をメインにしないで、菜の花を季語に置くなんて、ちょっと感動した。実際に春の満月でその日がいつかと考察したサイトがあった。
この句が印象深いのは赤塚不二夫の『天才バカボン』の主題歌で西と東を覚えていたからである(西と東ってよくわからなくなるんで)。
もしかしたら赤塚不二夫は蕪村の俳句を知っていたのかもしれない。それで諧謔性を歌にしたのだ。蕉風というのは、そういう破壊心のことなのだという。
と一句思いつたのだが、叫ぶ人の場合は西陽に向いているなと思い、それを東に向けるにはどんな人がいいだろうか?と考えて寝ていたのだ。まさしくバカボンなのだが。
このぐらいかな。月の季語の本意は「孤独」とか「寒々しい」というのだが、それは「冬の月」の本意らしい(「冬の月の冴るを本意とみるべし」許六)。このへんがよくわからないのだが、季語の本意をずらすということ。和歌の季語の本意から来ているのだと思う。例えば『古今集』だと月の歌が並べられた所を見る。
夏も詠まれているが主なのは秋でその個人の思いが季語の本意ということで秋なのだ(冬だと書いたがそれは山本健吉『俳句とは何か』で書いていたからそう思ったのだが)。短歌と俳句の違いは、短歌は人の心を詠み、俳句は「切れ」ということである意味達観する心と言えばいいのか世界と同一になる自己の世界だという。そのときに坊主臭さを諧謔に変えたのが松尾芭蕉であるという。
は「蛙」という季語の本意は「鳴き声」だったのを古池という概念(イメージ)を置いたのだ。その前に俳諧で読んでいたのは、以下の句だったと前回話した。これは和歌として五七五七七の形として完璧な歌に成っている。
そこから発句にするために切り離した俳句というのが芭蕉の蕉風ということなのだ。だから俳句で一番大切なのは切れだという。ただそれだけだと短詩の抒情詩なので(新興俳句はそれを寛容した)、俳句らしさという季語を主題にして私有する心を排して季語の世界に自己を投影するというのだが、山本健吉に言わせると俳句は象徴詩ではなく諧謔詩ということになるのだ。
社会性俳句論の行方
金子兜太「社会性と存在」という批評を巡って俳句と社会性について、議論が白熱した時代があったという。
例えばそれに対して伝統俳句側から社会性など誰も持っているものだという意見がある。社会の中で生きなければならない人ならば意識するしないに関わらず社会的人間なのだという前提か?そう言われると果たして今の自分は社会的に生きているだろうか?と自問せずにはおられない。
金子兜太の社会性とはそうした社会に対する自問していく姿だと思うのだ。それは直接社会性俳句と関わっていた時期。
しかし金子兜太も大家となり「伊藤園俳句大賞」にも関わる(選者というような地位)ようになるとそれまでの態度とは変化が生じるということだと思う。つまり、いままでそういうコマーシャリズムを否定したのに大企業の走狗としているのはなんということかというまあ学生運動で散々暴れといて親の遺産が入るとそれを元手に私服を肥やすというような起業家たち。
そういう人を眺めているとニヒリズムに陥る人も出てくる。永田耕衣はそういう人なのかな。金子兜太の永田耕衣批評はよくわからなかったが、そういうことなのだと思う。そして、かつて批判していた側に移っていく社会性を川名大は批評するのだが、ある部分そういうものがないと生き残れないかもしれない。それにつけてもお~いお茶新句大賞だが、今年は出すの忘れたな。
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