シン・俳句レッスン37
案山子は秋の季語だった。
季語の本意
山本健吉に季語の本意という説明で俳諧は連歌から来たもので『十六夜日記』の作者阿仏尼が連歌の発句で
と挨拶句を作ったのに翌日にまた
と作ったのが発句の挨拶句の始まりでそこには季語の本意はなかった。
そのぐらいのものが連歌の発句であるという良基(室町時代の歌人)の指南書で、そこから江戸時代に蕉風という俳諧改革が起きたということだった。その挨拶の発句として名高いのが、宗祇の発句。
今だったら「雪」に「霞」に「夕」の季重なりじゃと文句でそうなのだが、「雪ながら」が明確な季語の本意であり、雪ながらをかすむとしたことで、春の雪だと明らかにしているという。そしてこの発句は後鳥羽院の
の本歌取りとして院の霊を慰(なぐさ)めるということも意味しているという。これが季語の本意ということなんだという。季題は和歌によってすでに確立されているもので、そこから季題のエッセンス(精神か?)を絞り込んだものが季語の本意というそこに連歌師としての意匠性があったという。それを蕉風で革新して行ったのが芭蕉一門だった。まず滑稽ということで、この季語の本意を無化する。
この発句を陳腐だとして「淋しからず」と否定してみせたのが『去来抄』での土芳なのだが、凡庸さを否定するのも凡庸だというので芭蕉は戒めたという。例えば和歌に墨消しというテクニックがあり、花を否定して、花を想起させるというう歌、つまり淋しからずという書いて淋しさを意識しているのにそれを否定しまう天邪鬼さ(こういうのが自分も多いと思う)では逆の凡庸さだということ。また其角の発句
この句は鶯が逆さになって鳴くのは実際の観察ではなく絵からの発想だというので否定したのが去来だった。其角と去来はライバルということらしいのだが、其角は芭蕉以上に改革者であったというので、ここで鶯が逆さになっても鳴くのは本性であると、虚構の中にも本性は現れるとした其角と発句の本意を忘れているとする去来のリアリズムとの対照的なのだが、その其角の虚構性の本性をも消してしまったというのが芭蕉なのだという。ここまでついてこれるかな。自分も最初はなるほどと思ったが意味がよくわからなかった。そこで芭蕉の問題作が出てくる。
この発句は『蛙合』という句会(みたいなもの)で出されたのに誰もが驚愕した発句だったという。それまで和歌の世界では季語の本意で、蛙なら声を聴くものというセオリーがあった。例えば去来が芭蕉に褒められたという一句。
蛙を鳴くものと捉えないで、鳴きやむのも蛙と捉えるがこれは墨消しの技術で残響として残っている季語の本意を汲んでいる発句なのだ。それを芭蕉の句と比べた場合、蛙の声を蛙の飛び込む音で消してしまう。そこに「古池や」ではなく「山吹や」の脇句として其角が付けたのが
「山吹や」は其角が「古池や」から変えたという説もあったが、和歌として美しい情景なのだ。ただ芭蕉はそこから「山吹や」を「古池や」にすることで其角の脇句を無きものにしてしまったという。そのぐらいの「古池や」の破壊力なのだ。これを蕉風という。
歌仙(連歌の意)で芭蕉が挨拶句として詠んだのが「涼し」なのだが『奥の細道』で書き換えられたのが「早し」というのが蕉風ということで、発句として後が付けようがなく、例えば。
だと後のほたるなんて吹っ飛んでしまうぐらいに句が重い(力強い)のだった。それ一句で句が立つような発句が芭蕉の蕉風ということなんだと思う。そこで先の「古池や」に戻って考えると「山吹や」よりも強度があるということなのだ。ただ「山吹や」も悪いというわけではない。それは蕉風というより蕪村のような絵画的な句だと言う。夏井いつきが季語の本意をずらすというのは、そういうことなのかな。凡人からの脱出。ただそこまで行くともう文学の世界だよな。
戦後の渡辺白泉
「稲無限」、敗戦後のどこか田舎の風景だろうか?車窓とかの。川名大はこの句を句を口ずさむと涙が出てくるという。「国破れて山河あり」というような情景。
「谷底の」、白泉は新興俳句の弾圧事件の後、俳壇から一人離れて古典俳句を続けてきた。その谷底である。いつまでも空が見えない沈みきった状態。白泉のこの句に重ねてしまう現代人は多いのではないという。
「蓋のない」も同様な心情を古典俳句に託した。
「終点の」はそれでも線路は続くよという感じなのか?「ふつ」はそれにはっと気づく様子なのかな。いつの間にか寝てしまい「ふつ」と目覚めるような。降りる駅は通り過ぎている。
詞書に「三島楽寿園」とある。白泉の晩年は詞書の日常を詠む作風になったという。妻子との岡山移住と教師生活。
「秋の日」は晩年に出された『夜の風鈴』に収められた最後の二句で、もう一句が「谷底の空なき水の秋の暮」だという。「紅蓮の国」は戦争と古代から読まれてきた紅葉の世界と二つの意味があるという。
「極月の」は12月の意で、「夜の風鈴」で注目されてから白泉の元に訪れる旧友に自選句を『俳句年鑑』に載せたという。また評論はときどき出していたようだ。
「あぢさいも」は評論で白泉が古典俳句(松尾芭蕉の蕉風だと思われる)の良さに言及して、自ら詠んだ句を上げたものだ。個人から世界へということなのだが、世界も押し付けがましい世界ではなく、「わび・さび」の世界か。
「底冷えの」の後戻りは「古典俳句」ということだろう。
「向ひ合う」は「古典俳句」もあるが「新興俳句」もあるという感じか。
「けりけりと」はその現れだろう。白泉は古典俳句のリズムや音韻、調べなどに引かれたようである。
「葛の花」は釋迢空(折口信夫)を連想させる。そして、最後の一句は