詩は解釈するよりも詩作することが大事かも
『アメリカの詩を読む 』川本皓嗣(岩波セミナーブックス )
アメリカの詩と言いながら、エリオットが入っていると思ったがもともとアメリカ人で亡命してイギリス国籍になったという。ポーから始まりホイットマンとモダニズムの亡命詩人がエリオットやパウンドだった。その後にでてきたカミングスやウィリアムズに興味を引かれた。ウィリアムズはジャームッシュの映画『パターソン』のモデルとなった詩人で、ノートに毎日日記を書いている詩人だ。あと女性詩人のディキンソンも『ザリガニの鳴くところ』でリスペクトされているようだった。意外にアメリカの詩人のことは知らない。
川本皓嗣のこの本を読もうと思ったのは、先に日本の短詩の音律論(最近ではリズムというより調べと言うようになった)が面白かったのだけど、かなり学術的で実際に詩を書くには役に立つのかと疑問視していた。
英詩(アメリカ詩の解説本だが、基本となるのは英語の文体構造などだ)のリズムはアクセントが強・弱あって取りやすく、むしろ音韻は苦手ということだった。日本語の方が母音が5つしかなく、文末は助動詞で揃えやすいのだが、還って揃いすぎて詩としての驚きがないという。
アクセントと音韻がきっちりしているのが漢詩であり、だから日本では漢詩が教養として流行ったのかもしれなかった。仮名文字が普及するまで、当時の文章は漢詩モデルだった。和歌のリズムは極めて曖昧というか、字数による音律が強弱というのではなしに、四拍子であるというのは、例えば騎馬民族などが強いリズムの強弱があるのに、単純な四拍子の田植え歌なんだと思うと納得する。和歌の音韻論は面白いかった。
最初にでてくるエドガー・アラン・ポーは詩作を論理的に明らかにしたということで、フランスの象徴詩の神様的存在になる人だが、アメリカ人には理解されずにいた。それはリフレインの効用など確かになるほどと思わせるのだが音韻(文末の音韻)などはかなり適当だったらしい。ただその錬金術性がフランス人から見れば凄いことをやっていると思われたらしい。『ユリイカ』などの詩の理論書もかなりハッタリ的な誇大妄想なのだが、マラルメとかはその中に神秘主義を見てしまうのだった。
英詩はリズムは強・弱はっきりしているので、それだけで音楽的になりやすいということだった。そこにポーなどは絵画的イメージを象徴として入れるのだ。詩による音楽的な部分と絵画的なイメージは頭に入れといた方がいいかもしれない。
モダニズムの詩は絵画的イメージよりも音楽的伝統が強調されたように思える。それは古典主義的な神話学から培われてきたクラシックの古典芸術としての詩の姿が自由詩であるよりも規則的な古典手法に引かれていったのだと思う。モダニズムの詩人、パウンドやT・S・エリオットがパリで自由なボヘミアン的な詩を書いていたのに、後に亡命詩人としてイギリス国教会(国家よりも宗教的な思考なのかもしれない)に引かれていくのも、キリスト教が中心を求めて統治される思想にあったのかもしれない。イギリス亡命後に排他的になるのは(ふたりとも反ユダヤ主義で有名になってしまった)その根っ子にキリスト教文化があるような気がする。
それに反発するのがアメリカの辺境の詩人という、やはり当時はヨーロッパ中心主義的なキリスト観があり、放浪の詩人、郊外の詩人のスタイルは自由詩的にリズムの解放を目指したのかもしれない。
俳句から影響をうけたパウンドとカミングスの違いなどを見てみると定型俳句と高柳重信の多行俳句の違いのように感じる。それはカミングスがコトバのレベルから解体していく自由を求めたのに対して、パウンドはそこまでの解体を求めず、むしろパウンドが求めた漢詩には規則的なものが多かったところに引かれたのかもしれない。それは漢字が表意文字で絵をイメージする言語だから詩的であるというような漢詩の強弱のリズムや絶句の基本的音律論などはかなり厳密なものが求められるのだ。そうした古典偏重主義が自由なるものを排除していくように思える。
コトバは最終的に殻であり精神という中身が問題というような精神論とむしろコトバは多様性に外部からの刺激で変化していくものとしてみるか、そのへんの言語感覚の違いがあるのかもしれない。厳密な英語を求める人はピジン英語など排除するであろうし、そこから詩を感じることもないのだ。
日本人が漢詩から和歌にコトバを変えていくのは、中国の伝統文化を伝えるためでもなかった。それでも白文集とか文選とかの影響を受けているのである。それは中国の伝統でもなく日本人の四季に合わせて和歌が作られたのであった。ポーからフランス象徴主義が受けたのもアメリカの伝統(保守)主義ではなく、詩の自由なる表現方法であった。そう思うと毎日日記のようにノートに詩を書いていたウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩のように書きたいと思うのだ。それは詩を古典的な言葉から現在のコトバへと解放していく自由詩となるであろう。