シン・俳句レッスン71
今日はメタセコイアだった。全体像が見えない。
こっちはみなとみらいにあるメタセコイアで一本立ちの野毛にあるメタセコイアとは違うのだが、親戚のようなものだと思う。メタセコイアはもともと古代樹として中国で発見されたものなのだ。それを街路樹として日本各地に植樹したのである。
けっこう以前から俳句や短歌を詠んでいるのだが、俳句やら短歌をまとめて保存してないので、行方不明だった。noteは検索すれば出てくるか。
過去にメタセコイアレッスンはやっていたんだ。
こんな感じだったが一年前の句は拙いな。そして、今日作ったのが
最初マイツリーにしたのだが、より親しみを込めてマザーツリーにした。似たような句ばかりになってしまうな。冬木立が多いのは冬の一本立ちが絵になる木だからだろうか?今日はどんな句が出てくるか?
俳句の達人(伊丹三樹彦)
村上護編『俳句の達人が語る「私の極意」から。伊丹三樹彦。
これはそうだな。いつも最新作が自分の最高作であり、その限りに於いて横一線という感じがする。それまでの地位とか立場とか関係なく、作品だけで評価してくれという言葉のようだ。この人はけっこう好きかもしれない。自選句を見ても好きそうな句が並んでいる。
ジャムセッションの情景を思い浮かべる。自然と一人が楽器をかき鳴らすとそれに合わせて各メンバーが持ち寄った楽器を共鳴させて、オールナイト・セッションとなる。ハンプトン・ホーズにそんなアルバムがあった。
クロスオーバー俳句とか言っているから70年代かな。今はフュージョンとかだよな。懐かしいクロスオーバーイレブン。よく深夜に聴いていたな。
ほとんどこの番組で音楽をチェックしていたような青春時代。話を戻して、「俳句の作法なんてのは六十年も書いていますと総合誌特集テーマが三年とか五年周期で繰り返さている」という。その中で俳句は、いかなる言葉を選ぶか、その言葉をいかに並べるかということなので、他分野を知ることの方が重要だという。もっともな意見だと思う。
正月から「ざんざ降り」という、「軒破れたる」というのは初詣も古い神社とかなんだろうか?分かりやすい句だ。
短詩の場合、辞世の句が上手く残せるかどうからしい。芭蕉にしても正岡子規にしても残っているか?そのほかの人はあまりしらないけど。時代が変われば正統も異端も立場が逆になることがあるという。自分の俳句の道を信じることだ。
俳句現代派の方法論。「季語を超える」「定形を活かす」「現代語を働かす」「分かち書きを施す」。分かち書きは空白で示しているのかな。ここに出てくる自選句は一行書きだが。
やっぱこれは一行書きの方がいいような。
この句は分かち書きの効果がありそうだ。分かち書きは難しい。
坪内稔典『俳句いまむかし ふたたび』を借りれた。今日からテキストはそれ。ほとんど変らないと思うが。
冬
ガラス囲いだからと言って、実際にはエアコンが効いているから快適なんだろう。図書館でもガラス囲いのところがあるが、デザイン的にはいいんだろうけど、やっぱ落ち着かない気がする。そんな不安な気持ちだろうか?
字余り。字余りも気にしないことにした。五七七だから、リズムは悪くないと思う。下だけ余計なだけで。行分け俳句か?
こっちのほうがいいか?上から雨が落ちてくる感じ。「樹の下で」とかにすれば、収まるんだけどやっぱ街路樹だよな。
欧陽菲菲の『雨の御堂筋』という歌があったな。御堂筋は大阪だが、そんな感じだろうか?高浜年尾は虚子ファミリー。
これは収まりがいいな。御堂筋にメタセコイアがあるかわからんけど。そっか横浜にすればいいんだ。
これも馬車道には無かったと思うが付近にあるのでいいか?横浜に住んでなければわからない。イメージ的に馬車道とメタセコイアは似合うと思う。
コロナ禍前の句で、上五で切れるから「マスク捨つ」になる。その後も詠んでしまいそうになるが。この句集には「補導する側もマスクをしてゐたり」があるという。でもマスク捨てるのが己を捨てるというのがよくわからん。マナーがなっとらんということなのか?冬はマスクしたほうが保温にもなる。唇荒れるし。
接吻ができないと句なんだが。接吻の為にマスク外すということにも取られるかな。短歌にすればいいんだな。
やっぱ父ちゃんは上手いな。我と汝の顔半分が隠れるかな疑ってしまうわけだった。かなが効いているのかな。
もうゆず湯の季節か?冬至になると早めにかえらなきゃ真っ暗だよな。外仕事はキツイ。
季重なり。むしゃくしゃしてやった(早退を)という感じで。坪内稔典さんはこの頃「もう」をよく使うようになったと、二字の便利用語かな?
こんな感じか?
セロがよくわからんが衣類なんだろうな、と思ったらチェロだった。カザルスの「白鳥」とか弾いているヨーヨーマみたいな感じか?冬のNYでマフラーして。
セロという言い方が古風だった。バッハとかの古典派だな。
前に鯛焼俳人を紹介していたと思ったが。
この句だった。やっぱこれには敵わないな。軽すぎんだよな。鯛焼を半分ずつにしてみたいな。
三島由紀夫を見に行ったとかだったら面白いのだが。四谷には市ヶ谷駐屯地があるからか?
むりやりすぎるな。ここは素直に銀杏並木のほうがいいかも。
これも季重なりなるんだな。ただ「鯛焼や」と強調しているので、こっちの季語が主になっていて、銀杏並木は従属関係だからいいというような解釈もあった。
「黄をほどく」という結語が効いている。
いい木陰になるのだった。行きはそこから登り坂なのだが。
難しい。地名を入れるというのはいいアイデアだと思ったのだが。
ちょっと言いにくいか「や」を「は」にすればいいのか?
これはなかなかだった。つまり鷹女は黙ってないと。昔の日本の女の寡黙さがあるんだな。
赤はクリスマスまで。最近、白の方が多いような気がする。ピンクもあるが。今日はポインセチアやろうと思っていたのだ。