シン・俳句レッスン150
吟行
吟行の俳句を探したが見つからなかった。季語に初吟行というのがあって新年ということだった。忘れなければ新年に初吟行を詠もうかと思う。そういえばリアル句会のお代が「行く」だったから吟行も使えるな。と思って確認したら「引く」だった。難しい。
三句切れかな。こういう場合は逆転させる。
似たような句しか出来ないな。はるでもいいな。季語が動く。
このぐらいか?
高濱虚子
『観賞現代俳句全集』から大峯あきら「高濱虚子」のつづき。
詞書に「松本たかし死す(五月十日)」とある。俳句だけではよくわからないな。詞書があってもそれほどよくわからんが松本たかしが俳諧史では重要で牡丹の如き人だったのか?この例題はそういう説明ではなく、「花鳥諷詠」の誤解について。
「花鳥諷詠」は「花鳥風月」の季節の移り変わりを詠むことで自然現象だけではなく人事でもありうる。なんかな虚子の言動は「ホトトギス」内で歪めれて伝えらたという。それを反虚子論者の読解不足というのはちょっと言い過ぎのような。「花鳥諷詠」の意味をしらべてみい。
自然の花と同等の虚子の人生は、東洋のスピノザ主義という。また大きく出たな。要するに自然を愛したということだ。
昨日の吟行句が一句出来た。
「巨木」にしたほうがいいな。宇宙の直観があるという。
この辺になると写生句というよりも概念の句だよな。
虚子は子規の芭蕉観を受け継いで芭蕉には否定的な考えで、この句は主観的であるから芭蕉ぐらいの巨匠ならいざ知らずお前ら凡人は真似をするべからず(脚色が入ってます)と言って戦略的に写生句を重要視した。ただ純粋なる写生句が物との間に距離を取って俯瞰するならば、その中に自己という中心があるに決まっているのだ。写生が時間的生成を捉えたものではなく一瞬の静止というカメラアイによる視点は芭蕉のような時間的な俳句は捉えにくい。これが主観的に思ってしまうのが虚子の欠点だろう(晩年は概念句も作ったが)。まずさまざまな事という時間が存在するのだ。それは去年見た桜かもしれないし、十年前かもしれない。例えば入学式(芭蕉の時代にはなかったと思うが)で撮った一枚の写真。それは六十の桜と同じだろうか?あるいは桜というものが死の想念と重なってくる場合がある。それを故人と見た桜かもしれない。そのときどきの時間的変化の中で人としての生成がある。たぶん、桜にも生成があり、伐採された桜を見てこの句をイメージの中で詠むこともあるのだ。それは主観であるのか?時間というものは他者との関係でなりたっているのは、ちょっとした時間論を読めばわかるだろう。つまりここでは桜との関係で時間による生成変化があるのだ。
それに気が付くのが晩年になってからとか、ちょっと遅すぎないか?直観なんていいだすのも概念としての存在論なのだろうか(西田幾多郎とか)。
そのことによって花鳥諷詠の時間論が詠まれたのが芭蕉の句ということか。
高柳重信
また夏石番矢編集『高柳重信』から十首ぐらい。
高柳重彦は 多行俳句ばかり作っていたのではなく。一行俳句も作っていた。
高柳重信の師匠が富沢赤黄男だという。山川蝉夫は一行形式の俳句を作るときの俳号。
やっぱ山川蝉夫にすべきか?これもイメージの句で回想句だ。夕暮をひらがなで「ゆうふぐれ」と書く黄昏感とハーモニカの相性がいい。
山川蝉夫の名を表した句だという。「青き」のモダニズムと「唖蝉」という夢のイメージ。それに対置する日本海というイメージ(俳壇か?)。
このへんの詩的感性だよな。秋の真っ青な空が広がっていく。
「点鬼簿」は死者名簿。花の名は源氏名だろうか?はかない彼女たちの物語。
実際山川蝉夫は幼く亡くした弟がいるという。その弟が泣いているイメージ。
柳田国男の『遠野物語』の世界。高柳重信も幽霊好き。
尾崎放哉に似た句があった。「墓のうらに廻る」。澄んだ水だと生き返るような。
これも放哉を連想する。山頭火の句だったか?
最晩年の句。高柳重彦は若いときから結核を患い、自由に旅行も出来なかったのだろう。
「タソガレドリ」は「ホトトギス」の別名。子規を意識しての歌だと思う。
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