池澤夏樹の十大世界文学
『世界文学を読むほどく』池澤夏樹 (新潮選書)
こういう十大小説という枠はその著者限定のと付くから、それを読めば文学が理解出来たと思わない方がいい。「十大小説」の走りはモームが「世界の十大小説」と世界文学の広告塔として上げたものなのだと思う。今では誰も読まないと思うが(読んでいる人がいたら謝っておく)。
その時代にジョイスは早すぎたし、卓見なのは池澤夏樹が一人も女性作家を入れてないのに二人も入っていた。これは池澤夏樹は反省すべきだな。自分の小説をいれるぐらいなら女性作家の一人ぐらいは入れなければ。例えば今話題にするのなら、紫式部『源氏物語』とか。ヴァージニア・ウルフとかデュラスとか現代文学にも革新的な女性作家はいくらでもいるのである。ただ十という枠がその選定者の個性が出ると思うが。
最初がスタンダールなのも今では?かな。フランス文学のこのへんもバルザックとかフロベールとかいると思うのだが何ゆえスタンダールなのか。むしろ現代文学ならジョイスと双璧であるプルーストを入れるべきである。篠田一士の「二十世紀の十大小説」の方がバランスが取れているかな?
池澤夏樹はカフカを選んでないのが痛いよな。
スタンダール『パルムの僧院』は読んでなかった。そうタイトルが抹香臭いというかなんか道徳的な本なのかなと思ってしまったが、当時は僧は持てたのだという。そういえば日本でも「西行」とか歌僧としてもてもてだったことを思えば頷けるかもしれない。どうも欲望の道に彷徨う坊主の話だったようだ。『赤と黒』(これは読んだ)も主人公は坊主だったと知って、そんな話だったっけと思うのだった。映画で先に見たのでジェラール ・フィリップの貴公子というイメージが強かった。
トルストイ『アンナー・カレーニナ』はトルストイが神の視点で書く三人称だから好きじゃないという。わたしは映画のイメージでそうそうたる女優が演じているので『アンナ・カレーニナ』というと美人の代名詞のような感じで読んでしまった。それと鉄道自殺という自殺の王道なのかな、そこに悲劇性があると思うのだ。
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』
ロシアの二大作家といえばトルストイとドストエフスキーだが現代性はドストエフスキーの方があるのか?池澤夏樹によればそれはジャーナリストの視線で覗き趣味的な家庭内の不和(スキャンダル)を描いているからだという。ドストエフスキーの人物の方が等身大で感情移入しやすいのかもしれない。『カラマーゾフの兄弟』以外にもドストエフスキーだけで五大小説が作れてしまうぐらいに『罪と罰』を始め名作揃いだった。ドストエフスキーにハマるときって一気に勢いで読んでしまうよな。それは彼の書き方が口述筆記というスタイルであったかもしれない。とにかくその語り口が面白いのだった。ミステリーだということもあるが。謎解きシリーズの作家だった。
メルヴィル『白鯨』はそれまでの小説とは違いデーターベースのようなオタク文学であるという。そのストーリーの中に『聖書』や『ギリシア悲劇』の物語が織り込んであるあるのだが、それが「白鯨」を追うエイハブ船長とともにRPGのような航海に出るのだ。その船が一つの世界を表しており、ピークォド号の乗組員はアメリカの白人社会の縮図なのだという。
そうした航海の物語は過去にもけっこうあって、ロックアーティストのテーマとなっている。「愚か者の船(Ship of Fools)」はプラトンの『国家論』からも引用された歌の数々。
ジョイス『ユリシーズ』は現代文学の必須科目なのかな。中上健次がフォークナーのコルトレーン、ジョイスのアイラーというので、当時影響されていたので必死になって読んだけど、文体フェチの文学でジョイスというアイルランド出身であるからイギリス英語の圧力が非常に強いのだ。日本における沖縄みたいな位置なのかな。絶えず虐げられている。アイルランド文学というとケルトのような神話文学だから現代の不倫の物語(と言っても妻が寝取られた情けない夫の話なのだが)からホメロスの神話を深層に漂わせて文体はその当時のジャーナリズムの三文小説とかハーレクイーン小説のメロドラマ風に一章一章変えて記述しているのだが、中に句読点がなく延々にフリー・ジャズのように吠えまくっているというような章があったりして読むのにかなり手こずる。もう読みたくないかもと思うぐらいに難解小説だがジョイスというとそんな極北文学のイメージか?
マン『魔の山』
読んだけどあまり覚えてない。サナトリウム文学という感じ(『風去りぬ』とか)。日本にもこういう閉鎖的な共同体文学はあるが一番は『ドグマ・マグラ』とかあると思う。マンだったらやっぱ『ベニスに死す』がいい。
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
これは今まで読んだ小説の中で一番感動したかな。ただフォークナーはこれからは勧められない。最後の方に取っておいてこれがフォークナーかと感動してもらいたい。
フォークナー以前に、日本ではフォークナーの影響を受けている作家が多いのでまずそちらを読むことを勧める。中上健次はフォークナーの世界を日本の紀州で描いた紀州サーガ三部作とか。もっと複雑なのは大江健三郎とか。軽いほうでは村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』とか。大江健三郎がフォークナーの息子たちと呼ぶラテン・アメリカ作家では後に出てくるガルシア=マルケス『百年の孤独』とか。
まだこの作品を読んでない人のなんと幸福なことよ。あとこの辺の欧米文学はキリスト教が背景としてあるから、そのへんの本も読んでいた方がわかりやすいかも。アメリカ南部だったら、奴隷制とかの本とか。
トウェイン『ハックルベリ・フィンの冒険』
マーク・トゥエインはアメリカ文学好きならいいかも。フォークナーと重なるところがあるので、それほど重要ではないが、ビルドゥングスロマン(成長物語)のピカレスク(悪漢)版。こういうのは若い時に読んでおきたかった。その年令で感じるものが違うのだと思う。
ガルシア=マルケス『百年の孤独』
ほとんど最初に紹介され、ラテン・アメリカ・ブームがやってきた時に読んだが最初はこれなら中上健次の『千年の愉楽』の方が上かなと考えていた。かなり共通していると思うのだが、マジックリアリズムと言われるのはラテン・アメリカ文学の入門書みたいなところがあるから必読書かもしれない。この本でも紹介されているが短編集『エレンディラ』がガルシア・マルケス入門にはいいかも。
池澤夏樹『静かな大地』
北海道とアイヌの歴史のような本だという。これは未読だった。そう言えば池澤夏樹の小説はあまり読んだことはなかったので、今度読んでみるかな。
ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』
これは今文庫で出ているのかな?自分たちの世代はサンリオ文庫があったから読んだけど。ピンチョンの中では一番読みやすいかもしれない。『V.』とか難解ものを読む前にこれを読んでピンチョンが合うかどうかだな。自分はピンチョン駄目だった。
『白鯨』がデータベースのパソコンゲームおたく文学というのが一番納得した。まだ『白鯨』は読み切っていなかったので、このあとに読みたい。