夢現の鏡花の世界
『春昼』泉鏡花
「春昼」は俳句の季語でもあった。読みは「しゅんちゅう」。あまり聞いたことがない言葉である。そういう美文調(古語)によって書かれた「春昼」は文体がまず幻惑的で、俳句や短歌で使えそうな美文調のコトバで満ちている。そこをクリアして始めて物語に入り込めるわけだが、そこにすでに鏡花の文学の狙いがあると思われる。
つまりそれはすでに忘却してしまった言葉で、主人公が散歩しながら、それが逗子で主人公も散策子というのは散歩する人の意味で、それは読んでいてもなかなかわからない。泉鏡花の文体を辿ることが散策子であり、逗子という実際の地名よりもそこの和尚?から話を聞く摩訶不思議の世界から成り立っているのである。
それは例えば小野小町の和歌の世界。
そのコトバに導き出される夢現の世界が広がっていくのである。太宰治にも『春昼』という短編があるのだが、鏡花のこの短編を読んだのか、こちらは読みやすく桜見物で桜の感想をする夫婦と妹の会話の短編
『春昼後刻』泉鏡花
『春昼』の続編。こちらの方が読みやすいのは語りが三人称で、夢現でも直接、女(玉脇みを)に出会うからか、先の和尚の話(間接話法だったことも分かりにくさの原因か)に馴れたのかイメージされやすい。最初馴れないのは着物とかの描写が多いのが現代人にはイメージしにくいからだった。そこをクリアすると女の身体が見えてくる。エロスの世界。「エロスとタナトス」。
こっちは和泉式部の歌から導かれている。
鎌倉に行きたくなる短編だった。美文調なのに、絵を◯▢△で語るのも面白いと思った。