シン・俳句レッスン26
曼珠沙華(まんじゅしゃげ)、死人花、天蓋花、幽霊花、三昧花、捨て子花、したまがり、狐花、まんじゆさげ、といろいろと呼び名はあるようだが、彼岸花のイメージが強いかな。曼珠沙華と書いて(まんじゅしゃか)だと山口百恵のイメージか?
かなりの字余り。山口百恵を読んだ。「どぶ板」は横須賀出身だから。この時二十歳って信じられないよな。今のアイドルはいくつなんだよ。
少しは俳句っぽくなった。
戦争俳句の認識と表現史上の遺産
渡辺白泉らが詠んだ戦火想望俳句は今でもその表現が素晴らしければ有効だということ。ウクライナへのロシア侵攻とか随分そのような俳句や短歌は出てきたと思う。ただその表現形態として、一過性のものではなく、いつまでも心に刻む句はあったのだろうか?
三橋敏雄や鈴木六林男の句は新興俳句の表現形態から学び取ったものだという。「此世」の対比に「彼(の)世」があるということか。「擦過の」は平和の世にあってもトラウマとしての記憶があるということか。「雨の品川駅」は中野重治の詩『雨の降る品川駅』の本歌取り(プロテクストして重ねる手法)。後世の世代が今に通じる戦争俳句を残している。
なんとなく「日の出町」がいいと思ったのはいつも行く場所だし、関東大震災のときは一面焼け野原だった。
三橋敏雄の十句
「父ひとり」は大菩薩峠の温泉の歌で水を汲んできて適温にしているらしい。も世もぼちぼち咲いている。このへんの植物の共時性は不思議だ。天の定めというのがあるのかもしれない。ただ温暖化によって彼岸の時期からズレているのだが。
「めし碗の」は野辺送りで死者の茶碗を割って彼の世に送ることだという。今ではそういう風習ないからな。
「ははそはの」は「母」の枕詞で斎藤茂吉の歌、
茂吉の歌を「プレテクスト」(本歌取り)として重ねている。「桃の花」が可愛いアクセントか?
「世に失せし」はすべての生き物の失われた歯について歌われているという。そこに「桜餅」だ。取り合わせの妙か?
「居る船は」の句は、白泉の本歌取り。敏雄は船上で作ったという。
「夏百夜は」夏の夜の百日ということか?敏雄はマザコンだったという。看病の句なのだろう。
「撫でて或る」の句。「大旦(おおあした)」は元旦のこと。目を擦りながら元旦の日の寿ぎの句だという。
「春はやち」は、春の疾風。『鷓鴣』(シャコ)はキジのような鳥みたいだ。
「野隠しの」は雲雀の性質を詠んだ句。揚雲雀なんだけど卵が下界に隠してある。天に日と下界の卵との対句的表現。
「水筒と」の句は、三橋敏雄自身が好きな句だったという。孤独の中に守られている感じがするのはマザコンだからか?
ほとんど一緒じゃないか!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?