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シン・俳句レッスン73

今日はクリスマス・イブということもあるので十字架の俳句に挑戦。写真がないので借りた。目標になる句を設定。

澄む水に映る十字架雨が消す  稲畑汀子

俳句界のゴッドマザーの句。虚子の十字架を背負っているのか?血より澄む水なのである。十字架が秋の季語なのは、十月から来ているのか?十字架祭というのがあるのだった。

クリスマス十字架背負ふ子供たち

今のうちだけチヤホヤしといて問題山積みの未来だった。

俳句の達人(上田五千石)

村上護編『俳句の達人が語る「私の極意」から。上田五千石。

変わった経歴の人だった。寺山修司と同期のようだ。この時代の人はわりと分かりやすい説明をしてくれる。

身体と足を使って、頭が空になると向こうから  上田五千石

これはちょっとわからないか?ノイローゼになって俳句もスランプがあったのだが山歩きとかしていてスランプを脱出したとか。引きこもってちゃいけないということだった。

最初は観念的な句ばかり作っていたがスランプになり、毎日山の中を歩いていたら、「目前直観」という状態になって芭蕉の言葉がわかるようになったとか。

物のみへたる光、いまだ心にきへざる中にいひとむべし  芭蕉

『三冊子』

上田五千石さんは宗教人だからそういうことばかり考えていたので悟りを開くような感じなのか?素人にはわからないのだが。

まあ言葉(観念)の世界だけではわからないことが多いが、心を空にして自然と向き合へということなんだと思う。「森林は私自身である」というヤバい言葉まで言ってしまうし。

例えば「桜」が我を脅かす存在と思って、それまでは観念的に我を全面に出していたのだ、次第にその脅かす存在の桜そのものを描写するだけでいい(写生)という。それはわれを徐々に消していくことなんだが、命を脅かされたときに一番ハッとして、詩的感興が生まれる。それがポエジーの根本にある。それが鈍ってくると観念の中で堂々巡りするだけなので、そうして自然と対峙することで我と自然が共鳴し合うということらしい。やっぱ難しいな。言葉の世界ではなく、宗教者だからな。芭蕉の漂泊する身体みたいなものだろうか?寺山的に言えば「書を捨てて街にでよう」とか。街じゃなく森に入ろうという感じか?

もがり笛風の又三郎やあーい  上田五千石

NHK俳句

最終週のNHK俳句は句会で面白い。こういう句会ならいいんだけどな、なんだろう批評もちゃんと出来てそれを言葉で解説してくれる。いきなり駄目とかいうのではなく、どこが駄目なのか。例えばまったく点が入らない句は、冬という言葉がいいすぎというような。冬の靴だったかな。それが雪を踏むというと冬を出さなくても冬だとわかる。そういう季重なり。それがもったいないと。どうせダブらせるなら「雪」をだぶらせる。「雪の靴雪を踏みしめる無音音」。後半の「無音音(むおんおん)」がいい。無音を音にする。これは印が付かないかったがかなり良かった。

<兼題>村上鞆彦さん「海苔」、高野ムツオさん「バス」
~2024年1月8日(月) 午後1時 締め切り~
<兼題>夏井いつきさん「蛙(かわず)」、山田佳乃さん「蓬(よもぎ)」~1月22日(月) 午後1時 締め切り~

俳句いまむかし

坪内稔典『俳句いまむかし ふたたび』から。

冬・新年

十二月キツネうどんに声の出て  あざ蓉子

年越し蕎麦だからうどんという注文に声がでたのだと思ったら、単に旨くて声が出たという句だった。別に十二月じゃなくてもいいと思うが。

クリスマス十字を切つてうどん喰う  宿仮

イブはうどんだったが、多分クリスマスも。十字は切らないか。

クリスマス十字を切つてきつね喰う  宿仮

キツネうどんだけど、緑のたぬきよりいいかなと。どっちもクリスマスカラーなんだな。

十二月火を生むものを身辺(みほとり)に  神蔵器

俳句より俳号に興味を持った。

「火を生むもの」は懐炉とか思うのだが今はホカロンだよな。企業名は駄目なのかな。「使い捨て懐炉」や「紙懐炉」だっけ。まどろっこしい。「使い捨て懐炉」とも。この場合焚き火でもいいのか?

クリスマスマッチを売るより懐炉売れ  宿仮

懐炉売りの少女だったら幻想シーンは無くなってしまうな。マッチも今は使わない。でもマッチを売って商売になっていたというのが不思議だ。今日のテーマは十字架なのにクリスマスになってしまう。もうクリスマスになったからクリスマスでいいか?

全集の二束三文漱石忌  遠藤若狭男

そういうことを言ってしまってはいけない。例え青空文庫で漱石を読もうと敬意を払わなければ。漱石が嫌いなのか?

お気楽に青空で読む漱石忌  宿仮

漱石忌の漱石を読むだけで偉い!青空文庫より青空の下かもしれない。

クリスマスキリスト忌と呼ぶ俳人あり  宿仮

それはさすがにないか?クリスマスは、降誕祭/聖誕祭/御降誕節/聖夜/聖夜劇。聖夜劇はイブなのかな。聖夜はクリスマスだからいいのか?よくわからない。やっぱイブに行われる劇だとか。イブに観たい映画は、『クリスマス・キャロル』『戦場のクリスマス』あとなんだろう?

『キャロル』はクリスマスだったか?それにしても一割も観てなかった。『レアエクスポーツ 〜囚われのサンタクロース〜』これは観てみたい。

全然進まない。ちょっとペースを上げる。

愚陀仏は主人の名なり冬籠  夏目漱石

漱石の俳号が愚陀仏だという。ここから漱石は俳句をつくり続けたと。俳号は大事。しかし正岡子規は愚陀仏と呼ぶことなく、ずっと漱石と呼んでいたので愚陀仏は広まらなかったと。他に芥川龍之介は「我鬼」という。

セーターの袖の余りで告白す  神野紗希

現代俳句で一番俵万智に近い人かな。セーターがこんなに長いよときっかけ作って告白するというテクニックらしい。よくわからんよな。そう説明されると納得するが。セーターの袖に告白を縫い込んであるのかと思った。

ルノアルの女に毛糸編ませたし  阿波野青畝

こういう男は駄目だよな。まず名前を正しく発音しなさいと。毛糸編ませたしよりも自分で編めやと言いたくなる。毛糸を編むためには手を貸せ。

球にする毛糸いるから手を貸して 宿仮

昔は球で売ってなかったのかな。そんな記憶がある。

クリスマスリースの扉から美人  坊城俊樹

クリスマスリースはいつ頃から飾り始めたんだろう。その分門松を飾る家は減っている?クリスマスリースを飾る家は帰国子女の奥さんだからか?そういうひとは身ぎれいにしているということか?俗な句だよな。

へろへろとワンタンすするクリスマス  秋元不死男

これはいい!へろへろは使いたいな。なんでも使えるような気がする。

へろへろとうどんすするやクリスマス  宿仮

NHKの俳句で中七のやは気持ちを強調するとやったからやってみた。強調したらへろへろが消えてしまうか?

へろへろと十字架背負うキリストか  宿仮

これは強そう。

白鳥になるまで試着することも  コダマキョウコ

意味がわからないが意外性を狙ったのかな。試着室を出る時に白鳥になっているぐらいに女性は堂々としているという解説。デパートで堂々と試着することが出来ない男だという坪内稔典さん。自分もそうかな。ジーンズの試着が精一杯かも。みにくいアヒル党だという。

妻が観る試着室という拷問

一回彼女と服選びに行ったときにそういうことがあった。逆はファッションショーになるのだが。

写真ほど白鳥真白であらず  宇多喜代子

修正が入るのかな。幻想をひっぺがえすのも俳人だという。

クリスマス子供たちには苦痛だった  宿仮

そうでもないのだが、ある日から苦痛になる時期があるよな。それはもう大人だからか?




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