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シン・俳句レッスン159
NHK俳句(テキスト)
俳句パズル
さのしほのきあかてきかかしけぎごりうりぬみがどざんきよのもたきるんりなぎどぎみちあぎぐごんんせもじうくでまにぐもきぶめおゆくくりおくれんしうぶきんもくせいかまのうどんまていたのんめうやうよりどよひさあ
普段はパズルなんかやらないのだが、季語の練習らしくやってみることに。ただ15日締め切りで答えが出ても応募できなかった。下にヒントの言葉があるので案外簡単そうだ。のぎくやよ。違うな。難しい。
鴇田智哉誌上添削教室
自動詞と他動詞との違いについて、他動詞の句を自動詞にすることで発想を変えるという、けっこう高等テクニックだと思う。
ライ麦の穂が眩しさを混ぜ合わす
「混ぜ合わす」が他動詞ということだ。つまりこれは写生の句で光が混ぜ合っているということを言っているのかもしれない。
ライ麦の穂に眩しさの混ざり合う
「混ざり合う」が自動詞。これはライ麦が自ら光と混ざり合う感じを読んでいて、こちらのほうが自然だという。この辺の感覚が評価のポイントなのかもしれない。先日の句会で無得点句。
病み上がり樽柿喰つて獺祭忌
「喰って」が自動詞なので他動詞に変える。「食う」の他動詞は「食わされて」か?与えられてということなのか?
病み上がり樽柿一つ獺祭忌
枕元に樽柿が置いてあるイメージ。他者との関係性が匂わされる。ただ忌日句はあまり評価されないみたいだ。
ネット句会反省会
今回も落ち込む。自分が考える句と評価される句の落差だった。そこが見当が付かない。有季定型のうんちくにあふれる句が取られているようである。写生句もあったけど、それほどでもなかったな。
蜘蛛の巣に匂ひ果てたり金木犀
これが一点だったのがショックだった。似たような金木犀の句があり、そっちの方が点数が出ていた。違いはなんだろう。咲くときの匂いと匂い果てたときと両方を詠んでいることか?これはかなり観念的な句だと思うのだが、観念句の方がいいのか(匂いは観念)?この句も観念句と取られていた(終末感)。写生句だと思ったのに。写生句はよほどでないと取られない。
「悪の華」夏のかさぶた剥がしけり
これこそ観念句なのに、単に夏のかさぶたを剥がす句だと読まれていた。「悪の華」と「」しているのにな、そこを見る人がいない。ニーチェとかカントとか出すと注目されるのに。哲学は良くて詩人はダメなのかと思ってしまう。うんちくがないからだろうか?初歩的な文語のミスなのか?
まあリアル句会もダメでネット句会もダメだと思うともう俳句を作るのも嫌になってくるよな。無理してわかりやすくする必要もないし、取られなくとも詠みたい句を読むべきなのか?まあ、めげずに一年ぐらいは続けていくべきなんだろうな。2点入ったことを素直に喜んで。ネット句会は無得点句はコメントもないのが辛い。どこが悪いのか自分で判断しなければならない。
NHK俳句(テレビ)
題「蓑虫」で句会を開催。鬼の子って何?インパクトのある俳句が好評の能町みね子だったが…。逆張りで挑んだ中西アルノの俳句の評価は!?オリジナル蓑虫Tシャツに注目
テレビのネット句会はなんでこんなに楽しそうなんだろう。次々に意見が出るところが勉強になる。「逆張り」を読むか。そういう考えもあるな。今まで正攻法すぎた。驚きが高得点になるような。それでなければものすごく平凡なただごと句なのだが、実はいろいろ読み込めるみたいな。ホトトギス系か?
鬼の子はあはれと書いてあわれと読む 池田澄子
うんちく系。蓑虫をイメージから作ったという観念俳句。このぐらいのハイセンス系なのか?古文とかの方がいいのか?『万葉集』を出すとか。これは『枕草子』だということだ。
蓑虫に背をむけられているような 堀切克洋
一見たただごと句のように思える。ただ良く読むと蓑虫に後ろ前もないのに、作者がそう思い込むという気持ちか。「むけられている」という他動詞が関係性を表しているのか?
蓑虫を飼う人のネイル紅くあり 能町みね子
インパクトの強い自己主張の句。「紅く」が蓑虫と対象的な取り合わせ。景が鮮やかに「あり」が強い主張になっている。
次回の句会はインパクト(写生句)とただごと句(イメージ)とうんちく句(興味を引く古典)で行こう。
<兼題>木暮陶句郎さん「湯豆腐」、高野ムツオさん「冬麗」
~11月4日(月) 午後1時 締め切り~
<兼題>堀田季何さん「双六・絵双六」、西山睦さん「初鏡」
~11月18日(月) 午後1時 締め切り~
大道寺将司
『棺一基 大道寺将司全句集』から。俳句の坂口弘と比べるとあまり事件のことは詠んでない。俳句だけど自然に託して自己中な感じがするのは、他者がいないからだろうか?
2001年
実存を 賭して手を擦る冬の蠅 大道寺将司
坂口弘の短歌に比べて虫の句が多いのは虫に自身を重ねているからだろうか?
ペン先に息吹きかくる寒の内 大道寺将司
実際に牢獄は厳しい寒さなのだが、俳句の季語によってそれを引き出している感じもする。
枯木立抜身のままでたじろがず 大道寺将司
植物の出し方も坂口弘の花は献花的な他者に捧げる歌が多いが、枯木は自身のことだった。枯れた蓮とか多い。
現身の世の匂い立つ夕若葉 大道寺将司
「若葉」を詠んでいるがすでに「夕」日に染まっているのだ。それを 現身という。
夢でまた人 危めけり 霹靂神 大道寺将司
「霹靂神」は激しい雷。あやめが「殺」ではなく「危」になっているのは、自分自身を詠んでいるからだろうか?
いつなりと起つ気配あり子かまきり 大道寺将司
小さき生物に託す気持ちは未来の革命の姿なのか?
石塔の鴉の群れ啼く原爆忌 大道寺将司
忌日を詠むこともあるのだが、個人よりは出来事(沖縄忌とか)。
帰り逢うことのあれかし秋燕 大道寺将司
鳥を詠むのも多い。自由に羽ばたく象徴的なものなのか?
其が影を背負ひて揺るる枯尾花 大道寺将司
枯尾花に託して自身を詠んでいる。この「枯尾花」は実景ではなくイメージだろうか?
冬ざれの空アフガンに続きをり 大道寺将司
時事詠もけっこう多い。アフガンの民衆に続けということなのか。
2002年
山峡に 寧日来たれ明けの春 大道寺将司
難解漢字を使うのは俳人の特徴だな。新年の挨拶句なんだが、アフガニスタンを詠んでいる。
濡れそぼつ軒端の陰の仔猫かな 大道寺将司
これもイメージの句かな。自分自身を重ねているように思える。
かぎろひて命の消ゆるまたひとつ 大道寺将司
イスラエルのパレスチナ侵攻を詠んでいる。
母の日やもの言わで行く坂の街 大道寺将司
母の句だけど「母の日」という題詠だろか?イメージ句だよな。
この道の他に道なし黒穂抜く 大道寺将司
「黒穂」は病気になった麦の穂。爆弾テロを肯定しているようにも詠める。
ムルソーを包みしごき熱波かな 大道寺将司
カミュー『異邦人』の主人公と自身を重ねている。
人を殺めし人の真心草茂る 大道寺将司
殺人犯の真心とか詠んでいるのか。「草茂る」というのはネットスラングでは「草」だよな。
いくたりか犯さば忠か敗戦忌 大道寺将司
「敗戦忌」というのは「終戦忌」と言わない言葉なのだ。
近寄るとみせて退く蜻蛉かな 大道寺将司
これは「蜻蛉」を他者として詠んでいるのか。
吹き降りにひた濡れてゐる破れ蓮 大道寺将司
蓮に自身を重ねているのか。
国ありて生くるにあらず散紅葉 大道寺将司
「