シン・俳句レッスン77
今日はカツラの木にしよう。さすがにこんな木は季語になってないだろうと思ったが、季語になっていた。桂黄葉、月の桂、桂男、桂郎忌。最後は石川桂郎と俳人の忌日だった。
秋だった。桂男はいい。
映画「パーフェクト・デイズ」からなのだが、元歌は単数形だった。月を仰ぎ見る日だから単数形だろう。桂男はルー・リード?ありえる。
俳句の達人(後藤比奈夫)
後藤比奈夫も二世俳人だった。
父が後藤夜半でわりと有名俳人のような。息子というのは父と比較されるから大変ではあるな。父親がまったくどうしようもない人だったようで、むしろ父親に親近感を覚える。
境涯俳句の人で、花鳥諷詠も客観写生(これは自分自身を見つめているのか)も関係ないような人にも思える。ただこういう父親だから息子は反面教師としてしっかり養わなければならないという気持ちがあったようだ。また兄弟たちは能楽の家元の養子になったりして、その道を極めているのだった。そんな中で貧しい俳人である父の後継者となるのは、なんか泣けてくる話だな。俳句より実業家としての才能がある人のように思える。だから俳句に対しても小言が多いような。
これは父親を詠んだ句みたいな気がしてくる。「圭子の夢は夜ひらく」じゃないが「父の夢は夜ひらく」というような。
俳句いまむかし
坪内稔典『俳句いまむかし ふたたび』から。
冬・新年
箱根駅伝でも観ていたのかな。正月からTV漬けの俳人のような気がしてくる。そのぐうたらな人が人生を語ったりするんだよな。坪内稔典さんは徒歩派だという。徒歩だから見えてくる風景もある。
破調だな。リズムはいいと思うが。
これは好きな句かもしれない。橋は境界であり向こうにゆくのは彼岸なんだよな。息白くが魂が抜けていくようで。
先にやった後藤夜半に似たような句があった。
後藤夜半の句は好きになりそうだ。何も言ってないんだが、写生だな。これが客観写生か?
三重季重なり。かの頭韻だから詩にはなっていると思う。逆のほうがいいのか?
五輪真弓かよと思ってしまう。凍った道を恋人と歩いているという句だというが、滑るのを期待しているのか。こういう恋人を見ると二人共転べと思ってしまうな。
桂男かなり気に入っている。
霜柱も踏んでないな。畑とかに出来るのだが、そこに勝手に入るわけには行けないし。
これは最重要俳句の一つかな。切字を作ればなんとか俳句らしくなる?そうなのか。
「かな」は詠嘆だからここはやっぱ「けり」がいいのかな。「切り」にと音韻的にいいかもしれなない。
踊ってどうする?
ぱっと読み意味がわからなかったが「目を上ぐる」はそれを見に行く(目を向ける)というような意味だという。寒い海もいいのかな。年明け海に行くか?
二代目で親父を超えているのはこの龍太かもしれないな。けっこう好きな俳人である。詩的にいいんだろうな。月を俳句にするというのはありだよな。
桂男と枯木立のイメージから抜け出せなくなっている。桂男が好き過ぎる。
渋いな。相撲取りでもいいような気がする。桂男でもいいのか?
語順だな。
いまいちだな。
一瞬じゃないな。ずっと追いかけているのだから。
このぐらいか?
三七子の句は面白い。勇壮な感じではなくエロチック。ホモフォビアなんだろうか?
ラクビーはしないだろうから。玉蹴りはするかも。
くだらない句しか出来なかった。NHK俳句見よう。
NHK俳句
今日はなかったのか?録画されていない。あっても再放送か。年末だから俳句なんて詠む人はいないのかもしれない。