シン・俳句レッスン29
今日の一句料理シリーズ。昨夜は夕飯食べずに寝て、今日のモーニングだった。トーストと味噌汁、目玉焼きぐらいしかなかった。ちなみに卵二つで目玉焼きだよな。一つ目は縁起悪いから「サニーサイドアップ」と呼ぶ。確かそんな曲があったはず。
高屋窓秋(たかや そうしゅう)
川名大先生によると高屋窓秋から俳句が変わった。それ以前にも変化はあったのだが、決定的にそれまでの句とは違っていた。テーマ主義。一定のテーマを明らかにして俳句を詠む。第一句集「白い夏野」だ。
白だろうな。自分もテーマ色を決めたいんだが青にしようと思ったがすでにくすんでいるから灰色かな?そう言えばパソコン通信時代のハンドルは灰ガン(灰色のガンダルフ)だったのだ。灰色ガンと勘違いされていたが。
なんか不味そうな目玉焼きだ。
明るくなったか?
カタカナの「ト」は何か意味があるのか?よくわからん。落葉の形かな?「ト」は休止符のようなものだと作者。切れということかな。
もう一つ口語の書き言葉を確立したということ。都会的なスマートさがあるような。
さらに口語の書き言葉から新詩情表現(エスプリ・ヌーボー)が生まれたという。
観念世界を俳句にする。
そして新詩情表現は社会詠と発展していく。
さらに戦後20年近い沈黙のあとに内的変化として異界や夢の世界に広がっていく。
川名大『モダン都市と現代俳句』は、新興俳句を中心にみた現代俳句史。個人ではなくグループやその時代に流行した俳人を並べているので俳句史として理解しやすい。現代俳句協会の分裂とか中にいる人はなかなか書けないだろうそういうトッピクもある。何より女性俳人についてこれほど述べた本はないのではないのか?戦時の女性俳人として、藤木清子に出会えたのは良かった。
藤木清子
川名大『モダン都市と現代俳句』は「女性俳句の世界」として女性俳人のジェンダーとセックスについても述べている。例えば杉田久女よりは竹下しづの女の俳句の大胆さを評価したり台所俳句とされた中村汀女の俳句の中にもそこしか生きる場所がなかった女性のジェンダーについて論じている。それは女性の自立ということに挫折した杉田久女よりも発展的なのかもしれない(少なくと昨今の俳句ブームは女性俳人が生み出したものだ)。そんな中で戦時の男社会を見つめながら新興俳句を作り続けた藤木清子は注目に値する俳人だと思う。
「通り魔」の句は「古衾」という男の論理に異議を唱える。戦時の弱い女の立場をこれほどの激烈に詠んだ句があったのだ。今も変わらない社会がそこにあるかもしれない。
「独りする」はヒロポンとか?
「亡夫(つま)の」は「未亡人を詠える」の詞書。