シン・短歌レッス93
紀貫之の和歌
『古今集 離別歌』で紀貫之が志賀の山越えで山中の清水のほとりで詠まれた歌だという。「むすぶ手の」は手をむすぶことではなくて、水を掬い上げて、その雫が濁らせてしまうという意味だという。美しい女性との別れだというがどこにそんな姿があるのだろうか?しかし、藤原俊成が歌論書で「大方うすべて、詞、事の続き、姿、心、かぎりもなき歌なるべし。歌の本体は、ただこの歌なるべし」と絶賛しているという。
鏡に映し出された自分の姿までも老いてしまったという意。「増鏡」は「真澄みの鏡」から転じた言葉。紀貫之は当時三十五歳ぐらいだったらしい。当時は四十歳で老人の仲間入りだと言うから、今の55歳ぐらいなのか?でも55歳でも若作りの人は若いよな。このぐらいの年で病気になって一気に老けた感じになってしまったが。ナルシスだったら絶望する年かもしれない。
『古今集 離別歌』
「離別歌」は漢字で「リベツノウタ」と読むべきなのだがあくまでも和語で読むべきとして「ワカレノウタ」と読むと注釈されている。
「立ち別れいなばの」は「いなば」は掛詞で「往なば」と「稲羽」の山。国守として因幡に赴くのを、まつに掛けて今すぐにも帰ろうという意味。惜別の宴席での返歌で、『百人一首』にも載る歌。
小野千古の母が息子を送り出すときに詠んだ歌。「せきなとどめそ」は「関」を留めるなの祈りの言葉。「まもり」はお守りの言葉(母の相思う心)。
寵は読みが定かでない。「うつく」「てう」。寵(妻か恋人)が常陸へ行くときに藤原公利に詠んだうた。「君とし」に「公利」、「ひたちぬ」「常陸」を読み入れている物名歌。
紀むねさだが東国に下るときにむねさだの女が詠んだ別離の心情を現した歌。男が他の女の家に行ったのなら耐えられない絶望の歌という。
殿上人である藤原の後陰が唐物検査員として旅立つのを宴会の酒の席で詠んだ歌。きりぎりすにたくして別れを惜しんでいる。
源のさねが筑紫へ行くので遊女であるしろめが詠んだ歌。身分の低い者であるしろめが別れを恋い焦がれているのだが、湾曲的にさしての別れではない風を装っているが死に別れにも等しいと感情表現をしている。
夕暮で帰ろうとする人を引き止めた歌。
荻の散る様を詠んで尊敬する人との別れを惜しんだ貫之の歌。荻が散るのは秋の終わりのもっとも悲嘆な表現とみる(雨に散っているので尚更)。
〈伝統〉と〈現在〉漢詩→和歌→俳諧
漢詩の白居易は日本でも好まれた。藤の歌の比較を通してそれぞれの詩情を味わう。夕暮の藤 白居易
春の景観の終わりを夕暮の藤に託して詠んだ歌。白居易の詩は「白文集」として『源氏物語』でも多く引用されていた。
『源氏物語』も紀貫之も白居易の詩から雅さを藤の花の「たそがれ」として表現している。
旅に疲れたときに藤の花が迎えてくれたという句だが、『源氏物語』や紀貫之の雅の世界から俗世間への転換が「草臥れて」という表現に醸し出されている。春の終わりの藤の花からたそがれてゆく人の心、さらにそれを旅愁として現実感あふれる「草臥れて」と表現した芭蕉の句の奥深さ。
葛原妙子
「しづかなる」という死の場面に立ち会うかのような病院内での描写。それは足音なのだが、その忍び寄ってくる足音に病院内の患者が耳をそばだてている森閑さ。
「マリアの乳頭」というそのような絵は作者の想像なのだろう。そのリアリティが絵空事の絵を排除するのだ。
「落しきし手套」とは手袋だが軍手ではないだろう。観光客が落した片手の手袋が踏まれていくのである。そこに存在を感じあえて「踏まれあるべし」と書いているのだ。それは逆説か?
「おほき薔薇」のリルケの詩からインスピレーションを受けた(本歌取り)短歌か?
「謝罪すべき」は通常短歌の音韻では収まらない感情があるのだ。
後半の畳み掛け(句跨り)の凄さ。
「ふしあはせなる」という顔は黒きコウモリ傘を差したひとだというのが面白い。コウモリは飛んでいるコウモリだと思ったら傘ということだった。なるほどと納得する。
「恋の工(たくみ)」で恋の歌も読むのかと思ったがやはりひねっていた。ガラスで出来たペコペコ鳴る奴だと思うが「ぽっぺん」とかいう。「脆かり」というのがぴったり当てはまる。
「椿の花」の管から覗くという写生句なのか?キリストの磔刑の釘の深さとかどうして出てくるのかわからん。「ふたつたならい」も何のことだか?
葛原の歌は面白いけど読むのは疲れる。
「うたの日」
今日は「遺」だ。遺書とか?
『百人一首』
♪一つでした。投票忘れたし、いまいちだ。
映画短歌
『ほつれる』
『百人一首』
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