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シン・短歌レッスン183

 



歌集『『老人ホームで死ぬほどモテたい』上坂あゆ美


『昭和遠近短歌でたどる戦後の昭和』島田修三

原爆

ふさがりし瞼もろ手におしひらき弟われをしげしげと見き 竹山広

『とこしえの川』(1981年)

火の見櫓

みちのくの火の見櫓はみちのくの雲ひき連れて夕暮れてゆく 岡部圭一郎

『一点鐘』(2002年)

これだけでは大空襲とはわからんな。夕焼の情景かと思ってしまう。

物売り

耳を抜けて夕光に消ゆああ戦後ばくだんあられはじける音は 小高賢

『耳の伝説』(1984年)

ノスタルジー短歌だった。

「三種の神器」

電気洗濯器のあわだつ売場女らに遠く明るき未来がひらく 富小路禎子

『未明のしらべ』(1956年)

戦後の三種の神器とは、昭和30年代初期に普及した白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫です。その次が車、クーラー、カラーテレビとなっていく高度成長期。今はなんだろう。ドラム式洗濯機、ロボット掃除機、食洗機と出ていた。一つもない!

テレビ放送

屋根青くひかる丘見えあそこまで黒柳徹子のアブラカダブラ 今井恵子

『白昼』(2001年)

全然わからん。「徹子の部屋」じゃないのか?「魔法の絨毯」の歌だという。

もうTV時代も過ぎたからな。黒柳徹子はTVの初期から出ているような。

力道山

チンピラに力道山が殺された 現実の前に戸惑いたつ 竹村公作

『力道山が死んだ』(2003年)

これもノスタルジー短歌だった。むしろ街頭TVの力道山の歌が知りたかった。

美空ひばり

「角兵衛獅子」より「二人の瞳」なつかしき美空ひばりの八重歯が笑う 佐波洋子

『秋草冬草』(1997年)

両方とも知らん!代表曲じゃないだろう。歌じゃないんだ。映画スターの美空ひばりだった。これもノスタルジー短歌で分かる人にしかわからない。

生卵

厨べの妻より貰ひ宿直に持ちて来し卵の包みぬれてをり 田谷鋭

『乳鏡』(1957年)

こっちの方が時代感が出ている。生卵というとロッキーを思い出すが。今卵高くて買えない。昔に戻ったのか。

『短歌で読む 昭和感情史 』菅野匡夫

大君は道のべの民のぬかづくしを見して 御手をば挙げたまひたり 柴谷武之祐(20)

『アララギ』

「アララギ」が多いのは虚子がそういう歌を推奨しているからだろうか。昭和天皇の即位の街頭パレードなんだが、平成天皇でも同じだな。

千住あたりの空の雲りより あらはれしグラフツェッペリンはおもむろに来る 堀内通孝(25)

『アララギ』

「グラフツェッペリン」は「グラーフツェッペリン」で飛行船の創業者の伯爵の称号だった。この時代はモダンな感じの短歌なのか。「ツェッペリン」というと爆発する映像と「レッドツェッペリン」を思い出す。

こういう歌詞だったのか。イントロのギターばかり真似して歌詞はまったく無視していた。

ワガ門ノ薄クラガリニ人ノヰテアクビセルニモ恐ルル我ハ 芥川龍之介(35)

『芥川龍之介全集11』

芥川が佐藤春夫に宛てた書簡に書き込まれていた短歌だという。「ぼんやりとした不安」は白泉の俳句に似ている。

国遠き上り来し父に見せむとて ねおんさいんの銀座を歩みぬ 中村華子

『毎日新聞』

モボ・モガの時代の短歌。表通りは明るく、裏通りは暗い大正デモクラシーの時代。

モガがいる明るい銀座デートして 裏通りのモボぶらんぶらん やどかり

銀行の預金下げし来し人の列街かどをまがりなほつづくなり 山田武匡(28)

『アララギ』

金融恐慌の取り付け騒ぎか。

雨ふれる本屋にあれば はいり来し少女買ひたり雑誌戦旗を 溝淵龍也

『アララギ』

『戦旗』はプロレタリア文芸誌。当時は共産党弾圧などの社会で小林多喜二が惨殺されたのもこの時代。

はじめより憂鬱なる時代にいきたりしかば然かも感ぜずといふ人われよりも若き 土岐善麿

『近詠』

世代間ギャップの歌か。この時代の若者は明るい歌ばかりだみたいなボヤキか。土岐善麿はボヤキ短歌かもしれないな。

肉弾三勇士の映画見しならむ園児等はござをば巻きてそのまねをする 詠み人知らず

『アララギ』

重臣閣僚殺戮されしかと知れながら一行も触れぬ新聞をつくる 亀山美明

『短歌年鑑 第一輯』

2.26事件はその日は号外が配られたが、次の日には「掲載禁止」の通達が出され国民には知らせなかった。報道統制の時代。

貧しさはきはまりつひに歳ごろの娘ことごとく売られし村あり 結城哀草果(41)

『すだま』

農村部の極貧状態の歌で2.26事件の原因ともなった。

長病みてひさに出で来し街並のかがやかしもよ手をかざし見る 下村波留女(29)

『ぬはり』

当時は結核が不治の病とされた。女郎屋がそうした巣窟だったとか。

とだえゐし機関銃の音たちまちに川岸近くまた起きにけり 高木園子(34)

『アララギ』

日中戦争の始まりの歌。当時、北京で旅館を経営していた女将の歌。

撃ち撃ちて赤く焼けたる銃身に雪をかけつつなほし撃ちつぐ 今村憲(22)

『支那事変歌集 戦地篇』

二万余のいのちたちまち滅びしとわが驚く前のしかばねの山 三田澪人(44)

『短歌研究』

従軍記者が南京大虐殺を目撃した歌。

原子爆弾

目に入りぬ原子の実態か黄煙が大速力でクルクルまはりて過ぎぬ 正田篠枝(34)

「不死鳥」7号

正田篠枝は、原爆歌集『さんげ』を秘密出版した。それ以前は自省的な歌を詠んでいたのだが見たままを読むことで悲惨さを伝えようとした。

木端みぢん足踏むところなきなかに血まみれの顔父の顔なり 正田篠枝(34)
焼きへこむ弁当箱に骨を入れただこれのみが現実のもの

ソ連の対日宣戦布告

よしわれら髪を切るともかくし得ぬ乳房をもてばきびし行く先 中西恭子(26)

『かの戦ひは』

戦時の女性への性的虐待は今も行われているのだろう。

汝が命断たむてだてをもぐらせるこのむね知れや知らであれかし 岸野愛子(38)

「暴力によって貞操の危機が避けられないときは、みずから命を捨てよ」と教えられた母親が娘の命を絶とうとする歌。

ソ連参戦二日ののちに 夫つま が呉れしナルコンポン・スコポラミンの致死量 葛原妙子(38)

『橙黄』

一九四五年八月一五日

聖断はくだりたまひてかしこくも 畏 かしこくあるか涙しながる 臣斎藤茂吉(63)

「東京朝日新聞」

なおも茂吉は臣を名前の先に付けて忠誠を歌う。

あなたは勝つものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげいふ 土岐善麿(74)

『夏草』(1946年)

再び土岐善麿(74)の歌はここでも言及される。それと対象的な俳句があった。

何もかもあつけらかんと西日中 万太郎(55)

解脱感というが短歌の叙情とは違う。



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