シン・現代詩レッスン8
今日も『春と修羅』から「青い槍の葉(mental sketch modified)」。
宮沢賢治『春と修羅』は「心象スケッチ(mental sketch modified)」という詩なのだが、同じように(mental sketch modified)で示されている詩は三篇ある。
宮沢賢治の最愛の同志というべき妹の宮沢トシが亡くなったことによってそれまでの賢治の信じていた宗教(法華経)が危うくなる。トシが死ぬ間際になって地獄に落ちるかもと言ったことが、宮沢家は浄土真宗なので父との争いがあった。その妹の魂が成仏できないと考えた賢治が妹はこの世の果てにさまよい続けていると考えた。そして、当時ソ連の流刑地だったサハリンに行くのである。そこにまだ妹の魂は彷徨っていると考えていたのだ。
その過程が『春と修羅』の道行き(鉄道と船)による紀行詩であり、最終目的地のサハリンは春の真最中でその情景に妹も成仏できたと信じたのだった。そして『春と修羅』を創作する。
その詩は心象スケッチという物語詩の試みがなされて、のちの『銀河鉄道の夜』に繋がっていく。そのことを踏まえていれば、賢治の現実世界(理科系的な物質世界)があり、電気によって霊と繋がっていくという心象スケッチがあり、彼岸(サハリン)の情景があるのだ。全体的にモダニズムの象徴詩というようなイメージもあるのかもしれない。ただそれはモダニズムの宗教詩なのだ。
タイトルの「青い槍の葉」はやなぎのことで、その言葉の矢が「ゆれるゆれるやなぎはゆれる」のフレーズでリフレインしていく。リフレインはポーが「大鴉」で解説していたように詩的効果を生み出すのだった。そのことから、この詩が西欧の象徴詩のモダニズムを受け継いでいるのがわかると思う。
自然の情景詩だが、「エレキ」という言葉がモダニズムであり、それは見えないエネルギーという霊に繋がっていく言葉なのだと思う。
自然の中に「黄金(キン)の幻燈(げんとう)」というエレキに導かれて、心象スケッチが幻影(映画のように)のように映しだされているのだ。
エレキを起こすものが「かわやなぎ」という象徴的な言葉で示されている。たぶん、その川沿いのやなぎ(幽霊としてのイメージか)が何かを伝えようとしているのだ。その気配に馬もはねて黒光りが起きているのだ。