寺山が否定した詩が輝く時代
『戦後詩―ユリシーズの不在』寺山修司
寺山修司の「戦後詩」は「荒地」派の否定から始まる。それは死の観念に憑かれた難解詩よりは今を生きて歌う星野哲郎の流行歌(演歌)を評価する。そこの抒情歌に対する評価と好みなのだろうか?今では星野哲郎の演歌など誰も評価しないと思うが。たとえば黒人ブルースを歌ったラングストン・ヒューズの詩とかには心惹かれた。ケストナー『抒情的人生処方詩集』とか。そうした言葉の癒やしとしての詩に惹かれる。
第1章 戦後詩における行為
いきなり現代詩の否定から始まるからちょっと思惑とは違った。寺山修司は詩は即興であり、それを活字かすることによって、個人の詩から社会の詩となってしまう(そう読まれるということか)。そこに詩人が代理人であるような存在にさせられると言う。それは流行歌が作詞家のものではなく、すでに歌手によって歌われることで社会化していき個性は希薄になるという。寺山修司が求める即興詩はジャズのようなもので、その日に歌われるごとに即興で場の世界と交感するようなことを言っているようだ。黒人のブルースはそのようなものであると。
第2章 戦後詩の主題としての幻滅
寺山修司が否定する戦後詩は「荒地」派の「日本の先行き真っ暗だぜ」という、今読むとけっこう惹かれてしまうのだが、寺山修司は今いる若者のようにそんなに未来がなくてどうするというものだった(現在の若者に対する論調を聞いているようだ)。そこで持ってきたのが朝の思想という「おはよう」詩というような谷川俊太郎を上げるのだった。だが今の日本の状態が谷川俊太郎のような詩が一人勝ちのコピーライティングのようでもあり、そこに希望を見出したとして老いていく者は切り捨てられるのだった(次の章では谷川俊太郎の詩は否定される)。彼らには「おやすみなさい」しかないのだろうか?それを弱者の文学というのだ。しかし文学は弱者のためにあるのではないのか?強者ならばイケイケで今の時代をアホみたいに謳歌すればいいだけのことである。弱者ならば弱者なりにその存在を賭けた意地があるのである。虫けらにも五分の魂ということだった(正確には「一寸の虫にも五分の魂」というのだった)。意訳してしまった。
寺山修司は十八歳の谷川俊太郎の自己紹介の詩『二十億光年の孤独』を親しい友人の手紙のようだと感じるという。そこが違ってしまう。谷川俊太郎が親から引き継いだ財産もあり、才能もあって、とても友達とは見なせなくなっているのである。そのことに気がついたときにどうするのか?
「からまつ」とか「しらかば」とかの風景が「浅間の美しいわがまま」と言われる非正規雇用で働く若者とは別世界なのだ。それは軽井沢の避暑地的な林間学校で行った朝の空気なのかもしれない。それらの歌える者たちは特別な者だけなのだと気がつくべきだった。僕の感傷と言っているそのセンチメンタルリズムを憎む。彼には驟雨も恵みの雨だった。
二行詩のリフレインから、三行詩になるのは、尹東柱「たやすく書かれた詩」でも出てきた手法だった。それは三行目が重要だということだった。「いぶかしいようなおそれの気持ちでみつめながら」に収斂していく詩なのだろか?と思う。つまり逆説の詩なんだ。おめでたいように若さを気取りながら、その底にあるのは不安だった。つまり空元気みたいな若さなのだろうか?谷川俊太郎のその底にある不安に触れることが出来るのはエリート詩人しかいないような気がする。その詩(記号的な言葉というのか)によって贅沢さが保証されているのだから。
第三章「詩壇における帰巣集団の構造」
詩より短歌や俳句にみられる結社主義みたいなもは、作者=読者であり、きわめて内輪的な「鬼ごっこ」をしているという。そういう場を以前なら否定していたかもしれないが「遊び場」みたいなスペースならそれもいいかなと思うのである。それは孤独になることは当たり前のように自分の中にあるからで、そういう2面性を生きるゲーム化はありじゃないかと思うのだ。句会はそういう世界なのかなと思う。ただ自分が入って楽しめる句会というものがないだけなのかもしれない。
だからこんなことをやっているのだ。ひとり同人誌じゃないが、まあ似たようなものだろう。そりゃ、寺山修司のように社会に出ていけるだけの才能があればいいが、はたして自分にはそんな才能があるのだろうか?あくまでも詩人は職業ではなく生き方の問題だと思っている。それで世に出ようと思う部分もあるのかもしれないが、それ以上に自分の好きなことしかやりたくないのだった。はたして自分は誰と鬼ごっこをしているのだろうか?
もう神と鬼ごっこをしているとしか言いようがないような気がする。神なんて信じる者ではないが、宝くじが当たるように神に祈るとかそのぐらいの次元で神に気づいて貰いたいのである。まあ気づかれないでこのまま終わっても後悔はしないと思うが。それはこうした記録が残っているからだろうか?発信していく藻屑となるようなネットの中でも、そうした場でしか生きられないコトバなのかもしれない。
精神安定剤のようなものなのだろうか?詩人としての活動なんて、書くぐらいしかないのだった。寺山修司の言う社会化ということは詩でなくても散々やってきたことだった。だからせめて詩ぐらいは社会からドロップアウトしようとも続けていくしかないのである。そのぐらいの覚悟はあるのだ。
あと寺山修司が「自分の言葉」なんて言うとは思っていなかった。そもそも言葉は己以前にあるのだった。だからそれを借りて虚構世界を作っていることにしかすぎない。それは「他人の言葉」であっても借りているのだと思う。そうして言霊としての言葉を後世に伝えていくのだろう。
だから割と「荒地」派の詩が好きなのはその雰囲気だけなのかもしれない。趣味なんだろうか?寺山修司が上げる茨城のり子よりも寺山修司が下げる(批判する)吉野弘の詩のほうが好きだった。今日は交互に真似てみようか?
抽象的な言葉だけれども意味はつかめる。むしろおのれに当てはめて共感したり反発したりするのではないのか?寺山修司が反発したのは、それをサラリーマンの詩だと読んだからなのか?例えば帰ろうとすればいつでも帰るのが詩人なのであるという。そのあとは無職になるわけだが。たぶん、ほとんどの者はおのれの思い通りに出来ないことの方が多いのだ。だから考えるのであり、少しでもおのれを取り戻したいと思うのだ。ふたつは同じことを言っているので今回は一回だけでいいのかな?
描写が具体的なっているところは吉野弘の詩よりはいいのかもしれないが、そんなどうでもいいようなことは祈らないと思う。もっと強く祈りたいのはいい詩が書けることかもしれない。それ以外、例えば明石の鯛が食べたいとも思わないし、幾種類ものジャムも必要なかった。吉野弘が否定的な思考なのに、茨木のり子はおのれの肯定感なのか?肯定したいものは死ぐらいしかないような。だからそれを詩に変える努力をしているのだ。
ほとんど共感しかないが、抽象的なコトバからイメージするのは個々の経験なのだろう。そして時間と書かずに時刻と書くのがポイントかもしれない。その時刻という刻んでいくコトバがこの詩のリズムを刻むのだ。間にある時間ではなく、それは他人のための社会的時間なのか。
結末。短いけど上手い。「鍬」が象徴になっているのか。金に秋なんだよな。ただそれは黄金の光を纏う鍬になるのであろうか?その時刻。これは夢の詩のような気もする。
茨木のり子の詩は「欲望の資本主義」だ。ただその欲望から不幸が生み出されていく構図を分かっていないのか、わかろうとしないのか?欲望だけがすべてではないと思うのだが、詩を書くことも欲望であった。何が違うのだろう?自己肯定感なのか?
第四章「飢えて死ぬ子と詩を書く親と」
サルトルの言葉「飢えている子共たちの前で文学は可能か」を思い出す。詩ではなく文学となっていたのだが、そういうサルトルは文学を続けてきたのではないのか?ひとりサルトルだけが特例ということはあるまい。要は飢えている子供たちとは関係ないような資本家の手先になるような詩ばかりがこの時代横行していたのかもしれない。
こういう言葉は考えなくてもいい人が考えすぎて動けなくなったり、本来考えなければ行けない人はなんとも思わないということなのかもしれない。サルトルの言葉が力を持っていた時代ならいざ知らず今の時代ではそんなことを考えられるのはよほどのエリートなのであろう。世の中に役に立つ詩というものを売り物にしているのなら、無論詐欺師であろう。
「詩を作るより田を作れ」という成果主義はもともと田んぼさえない者は言葉巧みに生きていかねばならないのだ(詐欺師のように)。そこに正義の思想も悪の思想もなく、ただ存在する言葉があるだけだ。それがどんなに非難されようとも彼に必要なら存在する。
エーリッヒ・ケストナー『抒情的人生処方詩集』は、民間療法的な科学的知識を元にした思索的な言葉ではなないが、どこか納得させてしまうような詐欺師的な効用があるのかもしれない。それは詩なんて信じられないものいには何も響かないのだろうが、そういう詩的言語に触れたことがあるものはなるほどと思うものなのか?その秘密を探ってみたい。
思いっきりネガティブな言葉から始まる。ただそんなことは誰もが思うのではないか?ほとんど変えるところがないぐらいである。
憂鬱がない人間なんて信じられない。そんなノー天気なやつとは絶交だ。天地真理の歌が流れてきて天使の声だなと思う。天使の憂鬱。
当時は「萌え」の意味は「燃え」だと思って家が火事になった子の歌なんだと思っていた。それにしても天地真理の声は天使だった。後に腹黒アイドルと知り人が信じられなくなった。霊魂のせいなのか?
最終章はどうでもいい話になっているな。無駄話だった。ただ無駄話も必要なんだと思う。癒やしを求めているのではなく反発するためなのかもしれないから。
第五章「書斎でクジラを釣るたまの考察」
最終章はベスト7選出なのであった。ベスト5でもなくベスト10でもなくラッキー7が寺山修司らしさなのだろうか?あまり数は問題ではなく、寺山修司がどんな詩人を選ぶかだった。詩ということだけれども、俳句と短歌も入れている。それは桑原武夫「第二芸術論」を踏まえてのことだ。つまり俳句でも短歌でもそれが十分文学として成り立つとした上であるのだが、その句一句ということではなく詠まれてきた作家性に対してのような気がする。
「事物の経験」というカール・ヤスパースを引用したりしてかなり難解である。
事物(自然)そのものの現れは経験論でしか推し量れないということなのか?自己の問題として事物があるのだろう。それを見通す冷徹なる視線だらうか?
逆に塚本邦雄では、その反骨精神と諧謔性を評価するのであった。
その中で俳句からは西東三鬼で短歌は塚本邦雄だった。短歌ではもう一人近藤芳美に言及しているのは、戦後の叙情性短歌の青春性を体現しているのだが、それが後の彼の短歌には停滞感しかないという。
塚本邦雄は、そこをどこまでも異端者であり続け短歌の中心には組み込まれない気概があったのだ。また歌謡詩の叙情性は戦後詩には外せないものであり、その代表として星野哲郎を上げている。
歌謡曲を上げるのは時代の叙情性として例えば阿久悠だったり、井上陽水だったりするのだろうか。流行歌という大衆の心情はそもそもその時代の根底にあるものなのか、それともそうした情緒に誘導されるものなのか、なかなか難しい問題ではある。特に日本のように単一民族(事実はそうではないというが)とみなされる風潮は全体主義に染まりやすい(むしろ最近はメガヒット曲はなくなっている)。
例えば寺山修司『戦後詩』は海外の詩も取り上げられているが、ラングストン・ヒューズの黒人詩やケストナーのユダヤ人詩における情緒性は少数民族の中にある思考の違いを伝えているのかもしれない。そうした抒情性に感じるものがあるのだ。寺山修司のベスト7にどうして外国詩は選ばれないのか?翻訳の問題とかあるかもしれないが歌謡詩を取り上げるなら取り上げもいいと思った。事実本の中では取り上げているのだから。
そしていよいよ現代詩に入る。谷川俊太郎と岩田宏。黒田喜夫と吉岡実。このなかでは、吉岡実はこの本を読む前に注目していた詩人だったと気がついた(吉岡実は難解詩として寺山修司に否定させそうだが)。何よりも彼の代表作『僧侶』が収められている。
物語詩。想像力を刺激される。四人の僧侶という分身の術。「こうもり」が出てくるので象徴詩なのだろう。象徴詩は想像力を働かせて登場人物を膨らましていくことだ。ここでは四人の僧侶と女という登場人物たち。女は欲望の対象だろうか?こうもりに成る女なのだ。罪なる女なのか?悪魔の女なのだろう。
四人ぐらいに分裂していると人間楽な感じがしてくる。それぞれ思い通りに行動すればいいのだ。無論それは現実世界ではなく言葉の世界ではあるのだけれども。一人ぐらい死ぬやつもいるだろう。分裂する欲望はあえて統一させる必要もない。
物語詩なので結末は必要だ。好評ではなかったら書き直せばいい。それが自由詩というものだ。現実に合わせる必要はないが現実から大いに影響を受ける。
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