電話が苦手じゃなかった頃の話
Tom Waits『Franks Wild Years 』(Island Records/1987)
トム・ウェイツのミュージカル作品『フランクス・ワイルド・イヤーズ』から派生したアルバム三部作(『ソードフィッシュトロンボーン』、『レイン・ドッグ』)の最後の作品。ミュージカルは観たことがないのだが、音楽から感じられる猥雑感と反抗スピリッツからクルト・ワイルと同じような臭いを感じる。
トム・ウェイツを最初に聞いたのがクルト・ワイルのリスペクト作Hal Willner”Lost in the Stars: The Music of Kurt Weill”(1985)だった。ちょうど同じ時期ぐらいにトム・ウェイツにはまったのだろう。
その当時、付き合っていた彼女がイタリアへ修行に行った。まあ、いいようにアッシー(当時の言葉で、お抱え運転手のような彼氏)されていたのだが、イタリア好きもあって(文学の方なんだけど)羨ましいのもあったのかもしれない。パヴェーゼの今も読めない本2冊買ってきてくれたけど。
その時に国際電話で電話するのだが、バンバン小銭が落ちるのだった。当時はテレフォンカードもまだそんなに出てない時期だったのか、100円玉入れる公衆電話でかけていた。大した話はしてないのだが。そんなイメージ的なものがトム・ウェイツの「イスタンブールへの電話」を聴くことで自分を重ねていた。
昨日プルースト『失われた時を求めて』を読んでいたら、語り手が初期の電話で祖母に電話して、その声の遠さと近さに黄泉の国から来た亡霊のようだと記述があり上手い言い回しだなと思った。今のスマホ時代には感じられないかもしれないが、あの頃はそんな感じだった。
大江健三郎の小説に国際電話は海底ケーブルにシロナガスクジラが絡まっているから悲しいノイズが入るとかいう文章があったような。「雨の木」だったと思うけど。
トム・ウェイツの歌は、移民なのかな?アラブ系移民なのかもしれない。今考えるとそういう異邦人性の歌だと思う。だからダウンタウンの飲み屋街をうろつき回る吟遊詩人(ミュージシャン)というところだ。
音楽は国境を超える。例えばウクライナの移民が故郷を思い出し歌を歌う姿。トム・ウェイツはそうしたものを感じる。スマホで電話して突然画像が固まってノイズが入るような絶望感。朝からこんな話をするのもなんだが。
電話からいろいろ思い出したこと。そういえ母は電話に出ると高い声になるので少女のように聞こえるのだった。すぐに自分だと分かると普段の低音の呪われた声になるのだが。最後に母から電話がかかってきたのがボケてしまったときだった。夜中に仕事が朝早くあるというのに、スマホに電話がかかってきて、怒ったことがあった。
電話にまつわるいろいろな思い出。