シン・俳句レッスン142
雷雨
雷雨は夏の季語。盆過ぎると秋雨前線なのか?まだ降りそうで降らない天気なのかな。家は職人の家だから盆休み過ぎに夏休みを取る感じだったような。それまで祖母の家に預けられたりしていた。盆過ぎると高波やクラゲが出るからと言って海へは連れてってくれなかった。市民プールはよく行った。先日みた『宝島』という映画が懐かしかった。
豊島園と老人を掛けた。養老院ではない。流れに任せてぐるぐる廻る老人。雷雨だった。今日の一句。
NHK俳句
関根麻里は久しぶりに見た
。もう立派な主婦になっていた。英語のHAIKUの披露。才女だな。俳句の方は一人称主体でプロデューサー目線とか言われていたけど、それが何故駄目なのか明確な理由がなかった。
ただ「西瓜」という兼題は良かったと思う。作りやすいし様々な句が浮かぶ。西瓜泥棒の句もあったけど正岡子規にもあった。
虚子だった。でもこれは学校の先生かもしれないので子規ということではないんだな。ただ子規が西瓜泥棒となるとインパクトが大きい。
渡邊白泉にも西瓜泥棒の句があった。これらの句は一人称主体でもないんだけどな(三人称的な句)。
涙の塩です。これはもろ一人称の俳句でした。
気になったのは生け花の西瓜
あとシベリア抑留者の句で換喩と言ってたが、ちょっと違うような気がした。省略なのではと思ったのだが句が出てこない。換喩はかなり高等なテクニックだ。
佐藤信夫『レトリック感覚』がそのへん詳しい。
直喩
そういうことで佐藤信夫『レトリック感覚』を読み始めたのだが、序章は飛ばしていきなり比喩の章から入ったほうがいい。序章は「レトリック」という言葉が演説術から「修辞法」として明治に紹介されたのだが、もう少し広い意味で捉え、言葉のセオリー(学術的なもの)ではなく創造性(芸術的なもの)の部分で面白いのだ。
森鴎外は遣り手ばばあを「轡虫のように」と表現している。「轡虫」が良くわからなかったで調べてみる。
つまりガチャガチャ煩い下足番としての婆さんだということだが、この「轡虫」をしらなくても意味を汲み取れるという。それは玄関から女郎部屋に案内するので靴を脱ぐのだ。その下足番としての婆さんだから「靴わの虫」という婆さんの特徴を捉えている。ただここに鴎外の上から目線があると思われる。下足番としての轡虫のような婆さんというような。それと対比して、ヒロインの女性は鈴虫の鳴くようなと表現される。
そして女郎屋は小鳥が囀るようにと耳に聞こえる意味不明な言葉を比喩的に語るのである。
太宰の直喩表現は女性を「鳥が飛び立つ一瞬のような感じ」でと書く。そこに太宰の文体の特徴もあるのだ。先の未来は明るいようで雛鳥が飛び立つ瞬間のような危うさと希望があるのだ。
安岡章太郎だった貧乏青年が給料を貰って野毛の飲み屋街に一直線に向かう様を「ふところの紙幣が自ら上がったばかりの魚のような」と表現する。不良学生気分だという。
川端康成は『伊豆の踊り子』で「美しい蛭の輪のようになめらかであった」と表現する。つまり美しい唇は蛭のように吸い尽くす女なのである。その官能性が川端康成の女性を表現しているのだ。そうした比喩は作者特有の性格をも表している。これを文体というのだ。つまり好みとして女のねちっこさ(淫靡さか?むしろ太宰の女性の方を好んでしまう)を好まないとこういう比喩はあまり引っかからない。
漱石の『倫敦塔』での比喩で日本からイギリスに留学してきた自分を「丸で御殿場の兎が急に日本橋の真ん中に放り出されたような」と表現する。現在のモーテル街の御殿場ではなく首都高の下にある日本橋でもなく、当時の日本人にはその比喩がよく理解出来たという。今も途方に暮れるのは同じかもしれない。
其頃は方角もよく分からんし、地理抔(など)は固より知らん。丸で・・・・・・・のような心持ちであった。
の「・・・・・」に入れる直喩を考えるのだが兎である必要はないのだが作者の好みが出るのだ。それはそこが無くても通じる文体なのだ。しかし饒舌に語ってしまうのである。それ故直喩は類似性を語るよりも意外性を語るほうが印象的なのである。これらのレトリックは芸術的挑発的なレトリックだとする。
丸谷才一の『年の残り』では
この語り手は病院長で賑やかな場所が苦手なのだが、それは丸谷才一に人生論を語るようなものであるのかもしれない。そして直喩が類似性によるものという概念は教条的セオリーであり、作家はそこに微妙なズレを生じさせているのだ。
百人一句
あと20句か。数を気にしているようでは駄目だな。
81 宇宙広すぎ炬燵を出でられず 関根誠子
痛いほどよくわかる。炬燵じゃないが寒すぎてホットカーペットから抜け出せない。パソコンは机だから30分ぐらいのエネルギーしかない。ウルトラマンか?でも暑いよりいいか。
82 つくづくと物のはじまる火燵かな 上島鬼貫
コタツの句が続く。暑いのに。「明易し」が季語。青春18きっぷの旅を思い出す。始発駅だから「夜明け」が眩しいのかな。神戸だっけな、駅の屋根が透明だったのは。そこから朝日が差し込んでいたような気がした。
83 手が冷た頬に当てれば頬冷た 波多野爽波
波多野爽波はもう上げたかな。もう誰を上げたかも覚えていない。
84 未来おそろしおでんの玉子つかみがたし 山口優夢
玉子を箸で掴もうとするから大変なのであって串でさせば一突きだと稔典さんの解説を読んでそういうことなんだろうと思う。マナーとか言っていると美味しいものも食べれず持って行かれる。もっと貪欲になれということなんか?。おでんの玉子の食べ方教室とか、笑ってしまうだろう。
85 こんなにもこんなにもこんなにも鶴 奧田好子
言葉遊びの世界の句。鶴が飛翔してくる様子だという。鶴だから「こんなにも」が驚きろきと歓喜を伝えているのか?雀だったら当たり前すぎるか?椋鳥はちょっと怖いかも。
86 裸木に太陽ひっかかっているよ 夏井いつき
夏井いつきの口語俳句。口語の破調だという。
87 図書館の司書のあだ名は「かまいたち」 清水れい子
意味が良くわからないが紙で手を切り人なのか?
88 改札を鬼が抜けゆく師走かな 草野早苗
[今流行りの「鬼滅の刃」風。鬼はやっぱ夏よりも寒い季節だよな。海水浴をする鬼とかいるかな?
89 長き夜の楽器のかたまりゐて鳴らす 伊丹三樹彦
ジャムセッションとかの句か?クロスオーバー俳句とか言っている。70年代か?
90 鯛焼を徹頭徹尾食ひ尽くす 相生垣瓜人
鯛焼俳人とかいわれている人。何俳人と言われたいかな。やっぱ月かな。月の句だったら誰にも負けないとか。
やっとあと十句まで辿り着いた。今日は冬の句が多かった。