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昭和の阿修羅たち

『阿修羅のごとく』(2025年1月9日(木)よりNetflixにて世界独占配信(全7話一挙配信))監督・脚色・編集/是枝裕和 原作・脚本:向田邦子 出演:宮沢りえ、尾野真千子、蒼井優、広瀬すず、本木雅弘、松田龍平、藤原季節、内野聖陽、國村隼、松坂慶子

オープニングの音楽がいい。普段は飛ばすことが多いんだけどこの音楽は聴いてしまう。映画版のブリジット・フォンテーヌ『ラジオのように』も良かったが。これは現代風でいい。


第一話

キャスティングがすごすぎる。今の日本で最高の役者ばかり集めたような。そして監督が是枝裕和だから、NHKドラマより面白いかもしれない。歴代でもベストメンバーの四姉妹だろう。長女が宮沢りえ、次女が尾野真千子、三女が蒼井優、四女が広瀬すず。さらに母親が松坂慶子で浮気する父親が國村隼。その他に松田龍平とかもっくんとか。セットも昭和テイストで昭和のドラマになっている。ストーリーは変わらないと思うんだけど向田邦子だから、何回見ても面白い。前のドラマも映画版もおもしろかったけど、それ以上な期待値を持ってしまう。NHKでやらないのが惜しいな。でもNetflixは金があるんだな(2025年1月14日)

第二話

昭和テイストのドラマなんだが、商店街とかシャッター商店街みたいな感じだが夜撮影していた。家とかはセットで出来るが外の風景は難しいよな。なんとなく路地みたいなところでロケしていた。あと三女の蒼井優が中心なのかな?やっぱ専業主婦の次女との対比だろうな。長女が宮沢りえというのもナイスなキャスティングだと思う。四女は風吹ジュンが好きだった。というかその初期のドラマのイメージが強いよな。三女はいしだあゆみとか。(2025年1月16日)

第三話

帰宅してドラマを二本観た。一つは最近ハマっている『阿修羅のごとく』でもう一本は「ふてほど」のドラマ。『不適切にもほどがある』だっけ?昭和にタイムスリップしてしまうのだが『阿修羅のごとく』よりは後の世代で八十年代か?『阿修羅のごとく』は七十年代。丁度青春時代が重なるのか、マッチや明菜世代のツッパリブームの頃か。クドカンがその時代の人なんだろうけど、全然リアリティがないドラマになっていた。むしろミュージカルとかあってそういう嘘っぽさを楽しむドラマなのかと。それは現代の嘘っぽさなんだが、そのドラマ自体も嘘っぽく楽しめないでいるのは、あの時代がいいとも思わないからかもしれない。(2025年1月17日)

『阿修羅のごとく』第三話。もうオリジナル超えている。お母さん死んじゃうのだ。松坂慶子はやっぱ存在感あるな。前の『阿修羅のごとく』お母さんは誰かよくわからなかった。いつの間にかいなくなっていたような。そして、最後の漱石『虞美人草』の引用(意訳だった)が痺れる。オリジナルの母役はあまり印象にないのだが、この松坂慶子は、最初はちょっとボケ役なのかと思ったら違って夫の浮気を知っていながら泳がせておくという昭和の妻役だった。最後のクレジットされる漱石『虞美人草』の引用(意訳)がいいんだよな。これは正確な引用ではなく、向田邦子がドラマ用に簡略された表記になっているのだが、向田ドラマの核心をついた言葉だった。それを体現したのが松坂慶子だった。

悲劇は喜劇より偉大である。
粟か米か、是は喜劇である。
あの女かこの女か、是も喜劇である。
英語か独逸語か、是も喜劇である。

凡てが喜劇である。
最後に一つの問題が残る。
生か死か、
是が悲劇である。

『阿修羅のごとく』

『阿修羅のごとく』は四女のすず(じゃなかったそれは役者名だった)がしっかり娘過ぎてボクサーの彼が嫌気がさすというシーンのあとに三女の蒼井優のシーン。蒼井優と松田龍平はコメディシーンで蒼井優はコメディエンヌというポジションだった。そのへんの是枝裕和の起用が上手いと思ってしまう。コメディエンヌの系譜は小津安二郎の映画の岡田茉莉子の役をそう呼ばれたことがあって、岡田茉莉子を悲劇の女優ではなく喜劇の女優として使う。それだから四女との対比が際立つのであって、広瀬すずは是枝監督の蚕養の役者という感じがする。

ボケたのは父だった。これは「母の喪失」というドラマであり「父の喪失」というドラマ(母でいられなく父でなく、女と男の昭和のドラマ)だから阿修羅の四姉妹だった。そうかそれで娘四人が喜怒哀楽という役なのかもしれない。上手いな、向田邦子。

そうだ、音楽はオリジナルが「トルコ行進曲」(モーツァルトではなく、トルコの行進曲)で映画がブリジット・フォンテーヌ「ラジオのように」だったのだが、今回も懐かしのジャズ風で良かった。オリジナルには負けるかな。大友良英のアレンジで坂田明の「赤とんぼ」とか「しゃぼん玉」メドレー(メロディとボケたこと書いてしまった。まあ主旋律はメロディーなのだが)だったら良かったのかも。贅沢すぎるか?(2025年1月17日)

一気に最終話まで

家に帰ってから『阿修羅のごとく』を観た。「阿修羅」の顔は三面だとラジオで言っていた。てっきり四面だとおもっていた。三面はなんだろう?四面だと喜怒哀楽かと思ったのだが。

善趣(三善道)といい、畜生道、餓鬼道、地獄道を三悪趣(三悪道)というが、三悪趣に修羅道を加えて四悪趣(四悪道、四趣)とする場合もある

四面の阿修羅もあるのかな。普通は三面なのか。それで四姉妹は阿修羅の数に合わないので一人だけ父親が違う子だとか、高橋源一郎が解説していた。それは四女なのか?

四話以降になると父役の國村隼がいい。妻を亡くしてからちょっとボケてしまったような役で煙草の不始末でボヤを出してしまうのだった。それで松田龍平と一緒に住むことになり、三女の蒼井優と結婚する。三女と四女の仲の悪さは、こんなに激しかったのかと思った。四女のボクサーの彼が日本チャンピオンになって羽振りが良くなるのだった。向田邦子のドラマは中流家庭なんだが、自然と上流になっていくのは、向田邦子を反映しているとの話だった。アメリカのドラマだと一つ上の生活を見せることで興味を引かせるという感じだが。次女が中流家庭だが。夫は秘書付きの上司という立場だった。宮沢りえもお花の先生という設定だっが。三女が図書館司書で四女はボクサーの妻という設定。その四姉妹のバランスが上手い。

あと電話によるコミュニケーション。現在はスマホとかすぐに連絡が付くが、当時はなかなか連絡がつかなかったり、違う人が出て切られたりするのだった。電話代も馬鹿にならなかったし、それなのに母親とか長電話だったな。文句を言うと相手からかかってきたと言い訳したり。そんなことも思い出す。そうだ呼び出しとか困ったよな。当時電話を入れることがステータスのようになって、自分で電話が引けるようになったのは嬉しく、やはり長電話をしていた。

『阿修羅のごとく』の最終話を見た。広瀬すずはあきらかに当て書きというような感じで向田邦子の脚本とは違う感じがした。阿修羅三姉妹説があるとすれば昭和の三姉妹が平成の妹を守る阿修羅という感じなのかと思った。四女はしっかり娘なのだが最後になって弱みに付け込まれる。それは今の時代ならではだろう。そういうときに姉妹が守ってくれるのだ。『海街diary』とも繋がる。広瀬すずは是枝裕和の蚕養の女優であり、その成長を見せているのだ。『海街diary』は小津的でもあるような。(2025年1月18日)


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