シン・俳句レッスン20
今日の一句
ヒグラシの亡骸。ヒグラシの鳴き声は秋なんだんけど亡骸にはなかなか気が付かない。ヒグラシがスケルトンなのもあるのかも。今日はヒグラシで10句(予定)。
リフレインはいいとは思うが、もう一つ何かが足りない。
おんなシリーズか?女性俳人の影響か。影響されやすい。
高柳重信
高柳重信はフリー・ジャズギタリスト高柳昌行と同一人物かと思っていた時期があったので期待が持てる。行分け俳句のテクニックとか。
「絶巓」は「ぜってん」読めなかった。虹がギロチンの刃になっているということか?石田波郷らの境涯俳句へのフィクションを否定したリアリズムの反抗が、暗喩を駆使して自己の韜晦させることで物語的世界を象徴的に描いたとか。難しい。
こんな感じか?
以上の句は「俳句は私小説である」、「フィクションは許さざるもの」という俳句のドグマに囚われた句だという。しかし高柳重信は仮構から自己を組み立てようとする。
ほとんど詩と言っていいが季語があるなしなのか?中七が膨らんでいる。「森の奥の」はいらない感じだがな。
なかなか形になってきたような。
これは詩からの本歌取りだという。一行開けがポイント。俳句は縦に時間をズラして(落していく)構造だが、そのままだと散文的になりやすいので、切れを入れる。高柳は横にズラして詩的効果を狙う。それは時間的な俳句に対して空間的な俳句になるのだ(絵画のような)。それを意識して通常俳句と行分け俳句を作ってみよう。
夜のクラブのイメージ。刹那さのイメージ。
絵画的イメージから借りるという手もあるのか。ゴッホの絵から。
これは普通に一行俳句でいいかも
高柳重信の決定作
ここまで来ると俳句じゃなく詩でいいと思うが。高柳の主張として季語にあぐらをかいて季語の変化を追いかけるカルチャー俳句や決意のない観光俳句のような安易な俳句は覚悟がないという。意外に精神派だった。人間探求派から出てきた人だからか。ゲームのように楽しむものじゃない!と怒られそうな。
杉田久女
杉田久女も結局は虚子派なんだよな。ただ虚子に拒否された女性俳人ということであって、虚子に認められたら女帝俳人になっているような雰囲気がある。
最初の紐に次いで着物俳句だが、紐の数で着物自慢の俳句である美意識とか言うが。
「雛」は雛人形。人形愛の偏愛的なのが久女らしさか。けっこうおどろおどろしい俳句だ。
けっこう説明的すぎる気がする。仮名を書かせたりそら豆を剥かせたり教育ママ的な感じがする。母親の目が微笑ましいと見えるのは環境の差だろうか?
「むかご飯」の台所俳句。このへんは虚子に忠実な俳句を作る人なのだ。
「しぼり咲き」に美意識のこだわりがあるような。「碧」の漢字と合わないような。「しぼり咲き」だったら「あを」だよな(和風)。前半はあ行の韻で後半はい行の韻だという。
もう一つ朝顔の句。久女は朝顔が好きだったそうだ。「濁りたる」は雨雲か。「あさがお市」かと思ったらどこにでもある市街地のようだった。そこに咲く朝顔を詠んだという。
「かな女」は長谷川かな女。「あららぎ」破門の後だろうか(前だった)?四Tではないところが味噌か?
「葉鶏頭」も「鶏頭」より派手な感じがする。英名は『旧約聖書』の聖者の上着に喩えられる名前とか。
菊は久女が晩年入れ込んだ花で、松本清張『菊枕』の題にもなった。菊の花びらで枕を作ると長寿になるというので虚子に贈ったとか。その時の句かな?違った娘の結婚式の時の句だった。
こっちの菊の句は虚子事件の発端となった句のようだ。「東籬の菊」は漢詩から桃源郷を夢見るというような意味。それで「菊枕」を作って虚子に贈ったというわけだった。
「逆潮」は破門後の苦しい立場の頃句。
「寒雀」はけっこう胸に来るものがあるな。制作年不詳とか晩年だろうね。
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