シン・俳句レッスン24
なんだこの田園地帯は。さすが横浜のチベットと言われることだけはある。雲の感じが絵になる田園地帯を演出してくれる。秋の雲が清々しい。わからんけど雲は秋の季語でもいいような気がする。そう言えば先日天気予報の番組で雲の数え方をやっていたが羊雲のような小さいのは1片2片で入道雲の大きいのは1座、2座とか。山の数え方なんだそうで。すじぐもはなんだろうね。1反とか。「一反もめん」とか飛んでいそう。
「モダン都市」を視点とした現代俳句
今日からまた新しいテキストで川名大『モダン都市と現代俳句』。もう俳句史は大ちゃん(川名大)についていきます。
モダン都市の俳句が出てきたのが1920年代。日野草城の軽薄さと山口誓子の工場労働者の世界と。しかしこの後に関東大震災で廃墟と化すのだ。暗い時代前の明るさ。
草城のマンドリンやレモンは当時のモダンコードだった。梶井基次郎『檸檬』や高村光太郎『レモン哀歌』(この詩が大正浪漫の終焉となったような)。誓子の労働とキネマも大衆浪漫の言葉だった。その時代に虚子が「花鳥諷詠」を主張しているのが興味深い。それと俳句では根付かなったが、口語俳句が出てきたのもこの頃だ。
「テイタイム」は「ティー・タイム」かと思われる。お爺ちゃん英語なんだ。
三橋敏雄
池田澄子『三橋敏雄の百句』を借りてきたので今日から三橋敏雄研究
昭和十年代に天才少年として新興俳句で俳壇に登場する。その後社会性と俳諧を融合した古典的風姿になっていく。三橋敏雄は主宰誌を持たず同人誌を通じて活動。
「窓越しに」は15歳の作。「窓越しの」ではなく「に」にしたので空の写生だけではない思い出を描いたという。青春時代ということか。
「天金の書」とは金箔の書籍ということ。本を開いた様子がカモメだという。「天金」じゃなく普通の本のほうがいいのではないか?
三橋敏雄は勤労青年だったんだよな、でも出版社で働いていて白泉や西東三鬼に出会っているのだった。ピカソの「青の時代」だものな。そう言ってみたい気もする。
「労働祭」は戦時中で昭和十一年。太平洋戦争が始まった年でメーデー禁止通告が出ていたという。だから警察がいる場所では赤旗を巻いていたということだ。この頃メーデーの句を数句作っていたという。
「鉄条網」は十七歳で詠まれた戦火想望俳句。山口誓子がそれを読んで、雑誌に掲載して絶賛したとか。白泉の教えを受けていたのだからレベルも高い。
「出征ぞ」は最初「子供等犬も」だったという。一字変えて大きく意味を変えるという。
「いっせいに」は昭和二十年三月十日の東京大空襲の句。
「月夜から」はその後の敗戦の句。
「爆笑の」は敗戦の翌年から練習船の事務長に勤務して、海王丸、日本丸と乗船したそうだ。桜木町の日本丸にも敏雄は乗っていたという。
「人心」は26歳の頃の作品。すでに人心の「暗黒部」を見ていたのだが、その前に「銀河の」と付くのが素晴らしい。
これは「999」の方だな。
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