堀田季何流俳句塾
『俳句ミーツ短歌: 読み方・楽しみ方を案内する18章』堀田季何
堀田季何は新興俳句の流れを汲む俳人であり、俳句を短詩と捉える。だから有季定型ではない俳句もあるという。その点は共感するところがあった。季語については疑問も溶けたのだが(無季でも季重なりでも構わない)、俳句の切れについては難しいと思ったらNHK俳句で四週にわたって「切れ」をやると言う。この本の中では「切れ」はそれほど重要視する必要はないということなのだが。「キーワード」という強度を持つ言葉、それが季語になったり切れになったりするという。私性に関しては虚構性は文学では当たり前なのにと思う。俳句や短歌でも寺山修司から入ったから当たり前だと思っていたが作中主体=作者という見方がまかり通っているので驚く。
短歌と俳句の違い
堀田季何『俳句ミーツ短歌』より「短歌と俳句、寺山修司の場合」。
すきな歌人を一人あげろと言われれば寺山修司を上げる。でも寺山修司の俳句はそれほどいいとは思わない。寺山修司の特徴として本歌取りのテクニックがあると思うのだが寺山修司は俳句でも本歌取りをしていたということだ。
寺山修司の短歌の本歌取りはのちに非難を浴びたのだが、それは俳句から取ってきたからなのだと思う。俳句には本歌取りの伝統がないのだ。だからそれをパクリ認定してしまう。
まあ、これは鳥を雁にしただけなんでパクリと言われてもしかたがないかな。
この歌は桶はキリスト教の厩の桶なのではないのか?黒人悲歌(ゴスペル)はキリスト教の讃美歌を大地に返したものだ。意味が深まっていると思う。三鬼の歌は軽いコメディのようではあるが。堀田季何の説明だと黒人奴隷の紋切り型の歌だというのだが、黒人悲歌が聞こえてきくるような気がする。
自分の俳句から短歌も作ったと言う(わたしもよくやる)。
この犀は「犀(さい)の角のようにただ独り歩め」という経典(『スッタニパータ』)なのだろう。それを幻視したという象徴性は見事な俳句なのかもしれない。「父親になれざりかば」は説明になっているという。つまり仏教経典の輪廻転生を拒否するもの(父の否定)と考えれば犀の幻視も頷ける。
俳句のほうは切れが明確に入っているが短歌ではそれが続いてしまう。それは散文的な文体なのだという。なるほど確かにそうであると思うのだが、散文ならばなぜ悪いと思ってしまう。
俳句の短詩系の形が短歌では決まらないのは、寺山修司だけの歌ではなく、他もそうではないのか?それは寺山修司の欠点というよりも短歌の欠点であるのだ。しかしその欠点故に短歌は俳句よりもわかりやすい(意味を汲み取りやすい)のではないか?
そして夏井いつきの言葉として河東碧梧桐の自由律で長い文章でしまりがないのを切れがないという。俳句の十七音が切れの働きやすい効果だと言うのだ。それが事実としてあったならば、みな俳句を詠んでいるのに短歌を詠むものもいるのである。切れ以前に短歌は短歌の効用があり、それは俳句の効用とは同列に語れないと思ってしまう。
たぶんこの短歌は寺山修司の代表作として歌壇では認められているのだ。しかし、それが富澤赤黄男の俳句や西東三鬼のパクリだと言われる。
まったくパクリしか思えない俳句の並びである。寺山修司のオリジナルティはマッチよりも祖国にあるのだ。これは俳句から短歌への成功例というのだが、失敗をおそれては成功も有りえぬではないか?短歌の本歌取りという手法がある以上それを利用しない手はない。芸術は模倣から始まるとは数々の文学者が言っていることである。そして、本歌取りというのをカット&ペーストとしてバロウズ流にアレンジすれば素敵な短歌になると信じるのだ。
歌語ネバー・ダイス 短歌・俳句の語彙
「ネバー・ダイス」の意味がわからなかった。「諦めない」とか「不屈の」とかという意味だという。歌語とは和歌で決められた、和歌では大和言葉を使うということなのだが、それは紀貫之が漢語による歌よりも和歌を特徴づけるものとして大和言葉で作るという指針にしたのだ。大和言葉のサイトもあるという。これは便利だ。
そういう約束事が嫌で俳諧は俗語とか入れてもいいとしたのに、芭蕉が言葉遊びの下劣な俳諧ではなくという論がまかり通って、今のように俳句にも約束事が増えていく。それは俳句というよりも発句や俳諧のことなのだが、それを俳句の約束と勘違いしているのだ。そうしたルールは江戸時代に保守的な和歌としてあったのだという。そして戦後短歌ではそれが逆転していく。俳句のほうが規則に縛られ短歌は自由を獲得していくのである。ただ短歌の世界にも保守派はいて、和歌のルールで行こうという者もいる。そのシステムをつくっているのは結社主義なのかもしれない。
「わかる」って、なにがわかるということ
これも今直面することで「わからない」と良く言われてしまう。逆に俳句や短歌のよさがわからないと調べろという。
例えば歳時記なんかに出てくる俳句だけで使われる季語を使ったとして一般ピープルに理解できるのか?というのがある。それを理解するのは俳句経験者だけで、そうしたことを蘊蓄として句会とかで語られるのだ。
それが正しいのかよくわからないのは、知識としての俳句芸術ならば、別に俳句なんてやらなくともよくねえと思うのだった。そうしたルールが必要なのはゲームであって芸術ではない(だから虚子は文学ではなく文芸に甘んじたと思う)。
まあ、句会は俳諧の中のゲームであってというのが最近の学びだった。表現行為としての芸術ならば、「わかる」ことに囚われることはないのだと思う。かといってそれが理解されたくないということでもない。何故なら芭蕉の句は誰が読んでも理解出来ると思うからだ。名句とはそういうのを言うのではないのか?俳句ミーツ短歌「1+1=1 一つのものを見つめたり、二つのものをぶつけたり」
堀田季何『俳句ミーツ短歌』より「1+1=1 一つのものを見つめたり、二つのものをぶつけたり」。「一物仕立て」と「二物衝動」のことを言っているのだが解釈者によって違うようである。こういうのは困るよな。
季語「蛙」を中心とし、そのことを詠んだ俳句だから一物仕立て。しかし去来抄では、この句はもともと「古池や」という上五ができて無く芭蕉が其角に尋ねたところ「山吹や」といれたのだが、それは和歌での取り合わせで蛙と言えば「山吹」というのが常識だったというので、芭蕉はその常識を覆して「古池や」としたという。もともと上句と下句の取り合わせだということを主張する説もあるそうなのだ。
どうしてそういうことが起きるかというと実景+想念では一物仕立て、想念+想念は取り合わせということになるのか?芭蕉はもともと一物仕立ても二物衝動も考えておらず、ただ取り合わせの技法を活用したのが芭蕉だと言われている。しかし、実景+想念(主体写生)の場合、それが季語の想念を描いている(客観写生)の場合やその想念が外側(主体写生)のものだと二物衝動とみなすとか読み方によって違いが出てくるという。
だいたいの物は二物衝動で処理できるというのだが。
虚子と去来
正岡子規の写生の手法を突き詰めたのが虚子であるが子規は芭蕉よりも蕪村の俳句を好んでいた。しかし芭蕉の写生術を見出したのが虚子だったのだ。それは『去来抄』の接近であったのかもしれない。
虚子と誓子
虚子の客観写生は想念を写生のごとく詠む技法で、このことから山口誓子と対立することになるのだ。つまり山口誓子の写生は映画の技法を取り入れたもので、クローズアップとかモンタージュは主観描写の技法を俳句に取り入れたのだ。これは写生句を想念(観念)によって描いた俳句ではあるが、そこに季語がある限り観念句ではなく客観写生と言われる虚子に対して、多分にこれは山口誓子の都会的な俳句と虚子の地方性の俳句(松山主体)の違いにあるのかもしれない。山口誓子にはもはや虚子のいうような故郷(松山)の自然よりは人工的な都会性の俳句を求めていた。
その山口誓子が手法として取り入れた映画的手法は新興俳句だけではなく、「ホトトギス」の人間探求派と言われた俳人たちにも受け入れられた。二物衝動という中で季語の中で想念を切り離して(モンタージュか)描いたのでその繋がりがイメージできないと難解派と呼ばれるようになった。しかしそれらの句は解釈されることで新しい詠みを発見していくのだ。それが切れの効果であるという。
俳句の切れ
切れ字は芭蕉の俳句では秘伝とされるもので伝わるのは芭蕉の口伝である。
そのために切れ字の解釈は様々で一般的に切れ字「や、かな、けり」が使われるが短歌の場合一字空けを息継ぎにの切れとみなし、富澤赤黄男の一字空け俳句もあるが、それは断絶?だという。短歌も俳句も分かち書きする人がいるが、意識的に分かち書きしているのは高柳重信でそれも断絶ということで切れとは違うという。
参考図書:高山れおな『切れ字と切れ』
堀田季何は「切れ」がなくとも季語的なキーワード(場合によってはキーフレーズ)があればいいという。それは言葉の強度だろうか。切れ字という芭蕉の秘伝が俳句の極意とされて弟子たちのそれぞれ切れ字観が出来てきたのだはないのだろうか?
「短歌」と「俳句」の私性
やはり一番戸惑うのがこれだった。それは小説の世界ではフィクションが当たり前とされているのに「短歌」や「俳句」は私性に強くこだわるのだ。俳句の無私というのを裏を返せば私性ということだし、現に「境涯俳句」などという石田波郷らもいる。これは波郷の弟子である野村登四郎が波郷に生活を読まなければ駄目だという言葉を真に受けて、秋桜子から美的センスがないと言われたのがわかるような気がする。
別に秋桜子のように「美」に拘るつもりはない(むしろ「美」は疎外するものと思っているから)、生活句でもいいのだ。ただそこに思想性というか一貫性が欲しいのである。漬物石が日本の家族制度の象徴であるならば、むしろ野村登四郎の句の方がいいとさえ思う。多分秋桜子の俳句は今だと季重なりの山本山ねと言われてしまうだろう。そういうことなのだ。
俳諧でも滑稽さを求めたのはリアリズムよりは言葉の遊びとしてだ。しかし、そのにリアリズムを求め真面目だから偉いということはなく、返って精神的で息苦しい俳句もあるだろう。息抜きとやっている俳諧なのにと思うのである。なんというか貧乏自慢ではないが絶望自慢的な俳句は駄目だと思うのだ。その機転の効かせ方がアイロニーになったり俳諧になったりするのだ。
俳句よりも短歌の方が作者主体を求められるというのはその通りなんだろう。寺山修司とか短歌を読めばそこに虚構性が含まれているのは当たり前なのだが。ただそこに寺山修司のリアルさがあるのだ。
それは文学にあるリアルさと同じだと思うのである。
地名を読む
これも歌枕としての地名は実際に現場に行かずともその地名によって引き出されるイメージなのだ。それによって逆に地名は強化されてきた。逢坂が男女の別れの地名となっている和歌はそういうことなのだ。
それは地名が持つ呪術的な力、例えば強者によって滅ぼされても弱者の中でその言葉を唱えるとそこに戻れるというイメージ力なのだと高橋睦郎はいう。それはそうなのだろう。パレスチナという土地が爆撃にあおうとパレスチナ人のイメージの中にいつまでもパレスチナという歌枕は存在するのである。
大和朝廷が滅ぼした陸奥の歌枕というのはそういうものだそうだ。その歌枕を詠んだ歌人に西行がいて、それを再び俳句で蘇らせたのが芭蕉なのである。それは定住に対しての漂流という思考なのだという。定住漂泊というには金子淘汰が言ったのだった。
恋歌と恋句
短歌の伝統ではフィクションの恋歌も許されている。最近このことを知ってもっと恋歌を読まねばならないと思っているのだが、俳句では恋句はすくないような気がする。それはアニミズム的な自然愛ではないのか。つまり季語を愛するということなのかもしれない。
そういえば芭蕉の恋句にはボーイズラブ的なものも多いとか。今度チャレンジだな。
海外詠(季語のない国で)
日本は四季がはっきりしているが砂漠地帯や熱帯などは季節が定まらない。そうした国でも俳句は詠まれるのであり、それは季語というよりキーワードとして「無季」俳句も詠まれている。それらは「超季」とされて、俳句は季語よりも短詩であることが、キーワード的な言葉を強度として成り立つ。それらを「雑」の句というそうだ。あまり「雑」の句も作ったことはないから今度チャレンジだな。それだと川柳になりはしないかと思ってしまうのだった。
AI俳句
AIによる俳句は平均値的なアルゴリズムの中で一番の問題点は疑わずにルールに忠実だということだ。そこに驚きはない。あるのかもしれないが「歳時記」で難解な言葉を引いてくることに似ているのかもしれない。その人間の主体性がその中にあるかだった。そのための読みでありAIひとりが俳句を並べるのとは違う。それを物語化できるかどうかは読者の力にかかっている。突然変異的な衝撃な俳句はできるだろうか?その時はAIの天下だな。