シン・俳句レッスン103
辛夷
辛夷の花が咲く時はいつも突然で驚いてしまうのだが梅や桜と違って期待してないからかな。モクレンとの差異があるようで紫木蓮は艶やかな貴婦人のようだが辛夷というと割烹着を来たお袋というイメージ。その分春の暖かさを感じるのかもしれない。
「長女、志乃誕生」という前書があるという。突然父になった驚きなのかもしれない。朝だよな。駐車場の近くにあって、いつも朝驚かされるのだった。春が来ていた。
句会の空間
小林恭二『俳句という遊び──句会の空間』から。先に『俳句という愉しみ: 句会の醍醐味』をやったのだが、こっちの方が先に出てようだ。メンバーは、三橋敏雄、安井浩司、高橋睦郎、坪内稔典、田中裕明、岸本尚毅、飯田龍太、小澤實。
第一ラウンドは「春」。出題者は飯田龍太。
三橋、小澤、田中、岸本、小林の五票。春を「くるしき」としたのと、無為を「なにもせず」と読ませたのがポイント。春は希望の季節でもあるが体調変化とか虫鳥たちは生まれることもあってくるしむ季節でもある。そこに老荘思想のような無為を見出す、大きな俳句か?春という漠然とした季語は難しいけど、大きく詠んだのが支持を集めたのか。作者は高橋睦郎。
駄目句。逆選3つ。
難しい漢字もなく単純な句だが、飯田龍太(会場を提供)の挨拶句。しかし、飯田龍太から逆選を食らったようだ。作者は坪内稔典。特徴は出ているな。こういう句会だと坪内稔典は駄目そうだ。
冬眠する動物を爬虫類にしたのだが、爬虫類が嫌な夢を観ている情景。爬虫類を具体的に言ったほうがいいかな。
いまいちだな。季語になりそうだし。
二回戦、「まんじゅう」出題小林恭二。
饅頭は春の土色甲斐の昼
三橋、安井、小澤の3点。「まんじゅう」は低調な争いだったよう。題詠の難しさがあったのか?作者は坪内稔典。
マイナス2点句が三作。
上から、田中裕明、岸本尚毅、田中裕明。田中裕明は2句提出して2句とも逆選だったのは痛い。「饅頭」は季語ではないので季語を加えなければならない。季題として立てるなら、饅頭の入った季語かな。
こんなもんか。
第3戦。題詠「眼鏡」。出題小林恭二
意味が良くわからんが、眼鏡を新調するのに眼鏡屋に行ったという句かな?ひらがな書きは目の検査のようだし、「はるうれひ」が上手いかもしれない。小澤、岸本、小林の三点。高橋陸郎作。
逆選マイナス2点句が三人。
上から坪内稔典、田中裕明、三橋敏雄。三橋敏雄の句はいいと思うけどな。これも季語をたさなければならない句だった。眼鏡の取り合わせだと小さいものがいいような気がする。
「蟻穴をいづ」は春の季語。春になって蟻が穴から出てきた様子だと。日が眩しくて思わず眼鏡を落として踏んでしまった。
第4R。題「坂」。坪内稔典。
同率二点。上は三橋、安井。「熱うして」が「暑うして」だと平凡になるという。デフォルメなのだそうだ。誤字かと思ってしまった。でも夏じゃないんだから。坂を登る内に身体が熱くなったという意味なのだろう。作者は岸本尚毅
下は小林、川上。八方のリフレインとあっちこっちに桃の花が咲いて居る情景が浮かぶ。坪内稔典
正選が安井、岸本、逆選が2。「蘖や」が難解。「蘖(ひこばえ)」は季語で切株からなどから芽を出すということだという。意味がわかると魅力的だな。伝承の木があったのだが、邪魔だとされ切られたのか?腐ってしまったのか?作者は田中裕明。季語によりかかり過ぎなのかもしれない。
更に逆選4つの句があった。
これはいいと思うが、句会の開いた飯田龍太宅がそのような状態で、負の挨拶句だったいうことだ。しかい作った当人は自分の家のことだという。作者は高橋睦郎だった。
第5R。三橋敏雄で題詠は「金(銭)」
三橋、坪内、川上の三点。木蓮と銭は繋がりがないようだけど。驚いて思わず銭を落としてしまうのだろうか?作者は安井浩司。
マイナス3点句。壮大な字余りだよな。散文だし意味不明だし。プロもこんな句を作るのか?田中裕明。
今日はここまで。
蘖を使いたかったのだが思い浮かばなかった。
今日はココまで。
昭和俳句史
川名大『昭和俳句史──前衛俳句~昭和の終焉』。最近、定形化しているので、もう一度前衛俳句を思い出そうと借りてきた。
「俳句評論」の中核となる著名人は、意味性に統率された冗長な文体、観念的で未熟な暗喩、強引なあ言葉の連結やねじ曲げ。一句が統一的なイメージを結ばない。これは、高柳や鳥海が批判した関西前衛派の表現をなぞったような表現で、この時代、関西前衛派や金子兜太の造形俳句の潮流から逃れ得なかった。「俳句評論」の成果は貧しかったが、そこから出た三冊のアンソロジー(『火曜』『現代俳句選集』『昭和俳句選集』)が「俳句評論」とは別に成果を出していた。
花粉症の句かなと思ったら、当時の俳句界が「まなこ荒れ」という危機感という。写生やリアリズムを超えたものを、言葉の喚起力によって捉えようとするという。高柳の晩年意識の暗喩。難しい。
まだ前衛俳句と俳句の境目がわからん。
当時の情況の危機感が俳句の中に出ているという。
おのが自身の自己表現の絶唱だという。
こうしてみるとベテラン勢に危機感があったということか?ここに上げた俳句は高柳重信の編集方針によって、研ぎ澄まされた俳句の表現が生まれたという。三橋鷹女を攻めてみるかな?
今回の成果。