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シン・現代詩レッスン63(九月の詩)


返礼(富岡多恵子『返禮』)

返礼

富岡多恵子様
確かにその言葉を受け取りました
好きな女の前でも沈黙は出来ない
尊敬する男の前でも歯向かってみせる
欲しない女の前は通り過ぎる
欲しない男の前も無視していく
そんな言葉ばかり発して
大切な言葉を見失って
ただ言葉だけの世界は
居心地が良かった
しかしまあ
とあなたは憐れむ
それはお互い様だと
こっちも憐れむ
今はきっとひとりじゃないと
あなたを見ていて
ひとりになれないひとり以上の
存在を感じる
そういうあなたに対して
嘔吐にならぬように言葉を吐いているのだ

蜉蝣の娘(吉野弘『I was born』)

蜉蝣の娘

生まれてこないほうが良かった
娘はそう口走る
説明もなしに母は頬を叩いた

お前は蜉蝣の娘なんだよ。これから生む機械となって沢山の子供を産んで国家に貢献しなければならない。「産めよ増やせよ」の世界なんだよ。お前の御託なんて蜉蝣のようなもんだ。馬鹿な蜉蝣さ。

母さんは蜉蝣なの?違うでしょ。その喩えは間違っている。蜉蝣だって、幼虫時代はあったんだよ。真っ暗な世界で翔び立つことを夢見ていたんだ。まさか産む機械となるとは思わないで、天下に自由に翔び立ってやりたいことを夢見ていたはずなんだ。母さんはこの狭い現実しかみえないから蜉蝣のようだなんて言うけど、蜉蝣の夢を考えたことはある?無数の可能性としての夢があったんだよ。それがわたしの生きるということ。母さんのようにならない人生を送ること。

そんなことあってから間もなくことだった。母は死んだんだよ。わたしの代わりに。そしてお前を産んだのさ。これも母さんの意志だろうかね。

秋の伐採祭(ライナー・マリア・リルケ『秋』富士川英郎訳)


秋の伐採祭

ばっさばっさ伐採だ
用済み老木の桜なんて折れやすいったらありゃしない
もう寿命なんだ、あきらめろ、
切り株には太陽の光線 
また苗木を植えれば十年もしないうちに育つよ。
ばっさばっさと伐採だ

そして夜々には、住処を失った鳥が
夜空を飛び続けて、孤独の中へ落ちていく

崩壊していく世界よ、崩れていく時間の渦、
砂時計の残された有限性の中で
ほかのものたちを見るがよい 
落下はすでに始まっているのだ

しかし一羽の鴉がけたたましく鳴いて
音痴な歌を歌っている 
取り残された切り株の上で

沈みし鐘(スチユアル・メリル『沈みし鐘』永井荷風訳)

沈みし鐘

我は鬼の子童子
姫の依頼で鐘を撞く
水に沈む 黒鉄 くろがねの鐘
その響は神話の中で蘇る

う み の底で鐘を撞く。
底なし闇は渦を巻き
女禍 ねがえり 姫は叛徒 はんととなる。
ひっくり返すは王の時間
渦潮うずしお は非可逆性の闇の世界へ。
咲くは 運命の女 ファム・ファタル の水中花。

湖畔の木々、鳥たちは歌う。
黄泉に沈んだ叛徒の姫を、
我こそはに、鬼の子童子。
忠実なる姫の下僕。

ジャズと踊り子と赤い汗の記憶(エミル・ヴオオケエル『音楽と色彩の匂いの記憶』永井荷風訳)

ジャズと踊り子と赤い汗の記憶

多少の変人 ウン・ポコ・ローコ 、ピアノ弾き
過去を呼び覚ます呪術家
花を捧げ、太鼓を叩け、散る花びら

多少の変人 ウン・ポコ・ローコ 、悪魔のジャズ
生贄の血、犠牲の山羊、踊れ!踊れ!
ノスタルヂアが黒い聖者を呼び覚ます
ドラムよ続け、カンカン踊り

多少の変人 ウン・ポコ・ローコ、音の魔術師
紅のお陽さま、海に沈むときまで、踊り続けろ!

まっしろの月(ポオル・ヴェルレエン『ましろの月』永井荷風訳)


まっしろの月

ぼくの月は名月でもないが
ただ一つの月で
ただ一人のぼくで
気づくと後ろから付いてくる。
ああ、愛するものよと言う。

底なき沼の水溜り
ここはネット世界 木霊する
今日の月は美しい、と
ぼくの月と違う月なのか?

その月は鏡のように
ぼくを裏切る
ぼくの眼の前にあるのは
他人の月
ぼくの月は
ブラック・ホールに飲み込まれた

ああ、うつくしい夜と文字は刻む

暗渠の春(ボードレール『秋の歌』永井荷風訳)


暗渠の春

もののけはたちまち暗渠に閉じ込められてしまった。
闇の中で空想するのは「春の小川」の歌声、恋人よ、歌ってくれるな。
もののけは敷石のしたの暗渠の川に流され
轟轟音 ごうごうおとが響くのだが、誰も聴いてはしない。
誰かが線香を投げ入れた。
そんな光で成仏できるか!
ジュッという音ともにたちまち暗闇。

墓石の蓋は閉じられなんの刑罰の罪人なのか
首切り刺客きめつたい の一刀に
もののけは首を切られ、消え去るのみか、
鬼滅の刃の鬼 えじき となって暗渠に沈む

首は濁流に巻き込まれて、
首は転がり、転がって、
首は 何処 いずこ にか、
排水溝の外から夕陽が差し込み、夏を葬る秋の風、
風に揺られてもののけの 此声さけび
さながら月に吠える遠吠えの如くに
肢体は散らばり赤潮となりゆく。

意地悪爺さん(吉野弘「生命は」)


意地悪爺さん

そうして意地悪な爺さんは
娘から席を譲ってもらえなかった。
これが終点まで続くのだろうか?
「降りますランプ」を点灯させろ!
爺さんはそう想いながら立っていた

やっと駅につく頃はふらふらで
エスカレーター前でもたもたと
娘は爺さんをひょいと小突くと
爺さんは奈落へ転落して行った

夕陽の果てに(エメ・セゼール「帰郷ノート」)

夕陽の果てに

ここが行き止まりと彼は悟った。持ち物は何もない。素手で受け取る天の施しや、砂まみれの足を洗う井戸の水が癒やしてくれた。彼は秩序の中のコガネムシが大嫌いだ。そこに植えられたオリーブの木も。彼が願ったのは悪鬼である彼さえ居場所のある住処であった。魔除けの風鈴は邪魔だ。彼の眠りを妨げるものだからだ。次々に彼の孤独を求めて同業者がやってくる。抹香臭い堕落坊主の俳諧師たち。彼は死体をついばむ烏を見るのだが烏はここには住めなかった。ぼくが常に待っていたのは大鴉と信天翁だ。そして自由に羽ばたけるようになるまで休める住まいだった。

修羅雪姫(ボードレール「踊る蛇」くぼたのぞみ訳)

修羅雪姫

二つに裂かれた快楽の舌は男と獲物を喜ばす
  あなたのために舌を這わせる白雪
隠された毒牙は男の肩にしなでかかり寝首を伺う
  あなたのための毒牙はゆっくり修羅雪

黒々とした髪は首にまとわりつきあなたの息を止める
  鼻腔にクロロフォルムの白い布
白い柔肌はどこまでも冷たく絡みつく
  直に熱いキスがご褒美と首筋に毒牙の跡

オン・ザ・ロックの氷を身体に這わせる
  あなたはすでに死者なのだから
あたたの柔らかすぎる皮膚を噛む
  わたしの口からあふれ出る血

あなたが感じる獲物としての諦念
  捧げ物としては立派な態度
あたたの虚空の瞳に白い蛇
  わたしの口から温かい血


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