シン・俳句レッスン106
蕁麻疹
流石に蕁麻疹の俳句はないだろうと検索したらあった。麻疹で季語辞典にも載っているということだ。
まさに今が旬の季語だったわけである。
今朝の一句。
季重なりもいいところだな。「花粉症」も今の季節だし、ここは工夫しないとな。
薔薇が聖なるもの。単に花でも良かったのだが季重なりになる?薔薇も春かな?薔薇は夏だったからいい。それに薔薇は見立て(象徴)だから。季語の本意では無かった。
昭和俳句史「前衛俳句の勃興」まとめ
今日は「前衛俳句」の集中講義。これまでのまとめという感じか?
金子兜太が神戸勤務になって、関西の俳人たちと交流が出来て、それで高柳重信(「俳句評論」主催者)の後ろ押しもあり「造型俳句」運動というべき「前衛俳句」になっていく。当時は戦後ということもあって社会詠俳句が席巻していたので、それが前衛俳句だと見られてしまう部分もあったが、それと表現形態の前衛性(アヴァンギャルド)は別だということで金子兜太の「造型俳句」という主張がなされるのだが、当の金子兜太からして、その論理性に危ういところがあって、前衛俳句運動は挫折していく。
それは高柳重信のイメージ(象徴)によって内面世界を掘り下げるという運動からは遠いものだった。
高柳重信の「前衛俳句」敗北の一句だという。「まなこ荒れ」のストレスは「前衛俳句」敗北の象徴となっているのである。ここから高柳重信は前衛俳句と決別して、自身の表現の可能性を追求していくことになる。
高柳が「前衛俳句」(金子兜太「造型俳句)の欠点として、和歌の伝統としてある「見立て」と「象徴」を一緒にしているというのがある。「見立ては」は文化的社会的コードによる共感があり、それは島津亮の俳句に見られるように当時の反権力運動というコード化の中で組織と個人というイメージされたもので似たような表現が多く見られていく。そこに反権力闘争ならばなんでもいいのか?みたいな、結局は個人の表現が組織の中に組み込まれてしまうシステムとしての従来の俳句と変わらないのではないか?という疑問。
やがて金子兜太は秩父という故郷を通して自然という花鳥諷詠に近づいていく。現代俳句協会という別組織であるが、組織に組み込まれてしまうというかその長に収まる。
加藤郁乎『球体感覚』の登場
今やっていることに一番近いと思うのは加藤郁乎かもしれない。加藤の方法とモチーフは、畳語・畳韻・頭韻・掛詞・もじり・パロディで、モチーフとしては江戸の俳諧や浄瑠璃の伝統的修辞ということだった。新興俳句の弾圧があり渡邉白泉や西東三鬼らが古俳句を研究していたことと重なるのかもしれない。三橋敏雄はその流れだった。
その頃はまだ高柳重信とは良好の関係だったが 『球体感覚』がでると高柳と決別していく。
「一満月」は吉田一穂の三連詩法に倣ったものだという。三つのイメージを入れ子型に交感させて広大な宇宙へと広がる球体的な造型を遂げた句。説明を聞かなきゃわからん。
「天文や」は学術的な観念語と砂漠を対にして天空間の交感という。天空というのがポイントなのか?よくわからん。宇宙的交感ということだろうか?
「斧一振り」という暗喩の力が全体を支配して圧倒的だというのだが、何が圧倒的なのかわからない。
どうも交感というのがポイント。言葉による精神の交感というような意味のようだ。言霊に近いものなのか?二物衝動よりも二物交感という。それをさらに発展させたのがLSDの人体実験を取り入れた阿部完市だという。フランス象徴詩からシュルレリスムの方向なのか?
それはマラルメ的な言葉の完璧さを求める(精神?)主義の高柳重信と決別することになったというが、交感と象徴の違いなのか?よくわからん。ボードレールの段階が精神の交感だというのが、このへんの俳人はフランス近代詩の影響を受けているようだ。
これだとまだ見立てなんだと思う。「薔薇の跡のようだ」という直喩的で象徴にはなっていない。
こんな感じが象徴なのかな。難しい。
多行俳句にするといいのかもしれない。俳句より短詩という感じだ。