シン・俳句レッスン76
今日も画像も使いまわし。今日は映画館で俳句。年末は開いているところは映画館ぐらいしかない。映画館は大晦日まで休まないよな。休むところもあるがそれは公営の映画館だった。シネコンは正月からもやっているし。『ゴジラ』は正月に観るかな。
映画館が廃墟となる映画で鳥が巣を作るシーンがあったのだが、思い出せない。
俳句の達人(清崎敏郎)
村上護編『俳句の達人30人が語る「私の極意」』から。
何を言っているのかよくわからない。
虚子から直接教えを受けた(これが大事)客観写生と花鳥諷詠ということが俳句のもっとも大切なことらしい。ただ禅問答みたいなことを言っているので言葉では伝えきれないということなのだろう。俳論を書く人なのに俳論だけでは駄目だとか、観念の句はありきたりになるし、真似されやすいという。それで作者に取って大事なのは信念であるまいかという。どっちなんだ!
この俳句も良さが全然わからない。ほうれん草をはうれん草と書いたぐらいか。
ということらしい。季題を立てるということが重要だと。この場合梅か?桜でもいいような感じだが。
俳句いまむかし
坪内稔典『俳句いまむかし ふたたび』から。
冬・新年
これなんか観念句そのものだが、面白いと感じてしまう。この先例は寺田寅彦の「客観のコーヒー主観の新酒かな」だという。いろいろ真似は出来そうだ。
ちょっと前半が長いな。
イマイチだ。ミニシアターが長いんだ。名画座とかにすればいいのか
ちょっとは良くなったか?
これも写生句ではないが面白い。川柳みたいだけど。でもとりあえず蜜柑食べておこうというのはあったかも。今はそういう感じでもないが。
という気持ちだな。ちょっと映画見ようかな。バーンスタインのNetflixの新作。映画館とほぼ同時に配信されるんだよな。
自宅だ途中で飽きてしまう。
少ししか困らないのか?湯たんぽも妻もない生活。ホットカーペットがあるからいいだ。
この句の方がいいな。独り身の寂しさを感ずる。でも湯婆とかくと湯婆婆を連想してしまいちょっと困る。
「沈沈沈沈」というのはオノマトペなんだろう。アイデアだけのようなきもするけど「雪催」が美しい感じがする。沈沈というのは蘇軾の漢詩の言葉だという。
「雪もよい」は今にも雪が振りそうな天気だという。寄鍋も雪もよいも近代になって出来た言葉だという。いまは両方とも季語になっているのか?
三句切れだった。映画が終わったら銀世界という事だったのに。
俳号がふざけているな。
対句的表現は定形でなくてもOKかな。
映画とわからないと意味が通じない。こういう場合は連句にする。
詩になったな。
もとは漢詩の「笠ハ重シ呉天ノ雪」のパロディのようだ。この句は格言のように流行ったとか。
「修羅雪姫」という梶井芽衣子の映画があったが高倉健は出てなかった。
高倉健を梶芽衣子に変えればいいんだ。
「冷まつたうに」が旧仮名なのか?なかなか上手いな。違った。「底冷まつたように」となるみたいだ。「底冷」が季語。「待ったように」という意味か?なかなかいい句かもしれない。待ちぼうけというやつなんだが、哀愁がある。
当たり前のような句だがリフレインがいいのかな。親子あるいは恋人ということなんだ。一人でやっても当たり前の句にしかならんが二人でやると暖かい句になる不思議。映画の情景みたいだ。