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シン・短歌レッスン166
『短歌研究 2024年 10 月号』
坂井修一「擁腫」
以前から言っているのだが漢字が読めないとさっぱりなのだが、これは短歌を読むうちに「癌」だと理解できた。「 擁腫」という意味に荘子の諺があるようだ。
歌やらむ仕事はやめむ AIに告ぐればぽつり「結をいそぐな」 坂井修一
同じことをしていた。孤独な老人の話し相手としてのAI。利用している人は多いと思う。
うらわかき女医にぞいらふ「人生はもう十分だ」本音のごとく 坂井修一
坂井修一でさえこんなことを言っているのかと安心する。
まつぴるまパンツ下げて背中をまるめ 髄注受けるわれは空蝉 坂井修一
入院していた当時の記憶が蘇る。若い看護婦におむつされたり浣腸されたり、なんの罰ゲームだと思ってしまう。
熊蝉をわが庭へ呼ぶ温暖化にんげんの悪はうるさいものよ 坂井修一
やっぱ老人になると環境問題に意識が行くものかと。
あと2千歌を詠みたし十年の、いや十五年の余命をたまへ 坂井修一
随分贅沢だな。わりと年齢的に共感するところがあるかもしれない。
平井 弘「憂さばらし」
寝そびれてさうだったんだこのところ壊されるものを見てゐないな 平井弘
かな書きでけっこうシビアな発言をする年寄歌人か?
ましなほうとればかうなる庇はなかつたひだりより撃つたみぎ手 平井弘
出口なしの諦念という感じなんだろうか、どっちに転んでも最悪というような。
同じ時間に目がさめてゐるちがふといへば撃たれないことくらゐ 平井弘
旧仮名遣いが味になっているのか。なんとなく惹かれてしまう。
これは新たまねぎ投げるにはおほきいが涙などにはつかへそう 平井弘
暴力老人なのか?子泣きじじいなのか?
前回やったのを忘れてしまう。
手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)
穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』は詠嘆の研究でも取り上げられていた重要な歌集だった。それまでの諧謔(批評)性を詠嘆という共感に変えていったのだということだった。
穂村弘の「アリス・イン・ワンダーランド」の歌集で、アリスが穂村弘でそこに案内するうさぎが「手紙魔まみ」という疑似家族的な物語世界。短歌に他者のコトバを交えて新たな世界観を創作していく。「手紙魔まみ」は旧世代にとっては「戦闘少女」(セーラームーン的な)であり当時の若者には巫女的な新しいコトバを持っていたのだ。今の人はどう感じるのだろうか?バブル時代のポップさと刹那さがそこにある。
目覚めたら息まっしろで、これはもう、ほんかくてきよ、ほんかくてきよ 穂村弘
サブタイルが「夏の引っ越し」とあるのに冬の情景という逆転した世界。その揺さぶりは「手紙魔まみ」の口語体なのだが、「ほんかくてきよ」の下の句の重ね方が呪術のようなのである。「ほんかくてき」な短歌の出現。
高熱に魔されているゆゆのヨーグルトに手をつけました、ゆるして 穂村弘
「ゆゆ」という登場人物が突然現れてくる他者性。「ゆるして」も何もすでに詠まれてしまっているのである。それは冷蔵庫の他人のヨーグルトに手を出してしまうような誘惑なのかもしれない。それは禁断の果実なのだ。
妹のゆゆはあの夏まみのなかで法として君臨いたさ 穂村弘
「法」というコトバが面白い。常に外部として存在する法の及ばない精神世界が穂村弘の短歌なのかもしれない。
「妹のゆゆ、カーテンのキャロライン、鍋つかみの久保、どうぞよろしく」 穂村弘
「」の口語短歌。わかりやすいが他者のコトバだという基本。名付けの文学と言うと高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』を連想する。そういう文化を経験している歌人であるということだ。
整形前夜のノーマ・ジーンが泣きながら兎の尻に挿すアスピリン 穂村弘
ノーマ・ジーンはマリリン・モンローのデビュー前のイメージ。「兎の尻に挿すアスピリン」は秀逸。バニーガールにならなければならない悲しみ。アスピリンで忘却するのだ。マリリン・モンローが薬中だったのも連想させる。
花束のばらの茎がアスパラにそっくりでちょっとショックな、まみより 穂村弘
これはまみの手紙文だが、全く定型から外れているが、薔薇の花とアスパラの共通点を見出したことが詩的なのだろうか?それにショックを受ける女の子がということか。後追い情報。映画『花束みたいな恋をして」で二人が好きなの本が穂村弘ということだった。絶対、この歌集だと思う(別にそれでアスパラが好きになるわけじゃあないんだけど)。
巻き上げよ、この素晴らしいスパゲティ(キャバクラ嬢の休日風)を 穂村弘
渦巻きは一つのキーワードになっている。巻き込まれるということかもしれない。ここではスパゲティに。()内の説明も短歌ではよく使われるテクニックだった(俳句は使われたのを見たことがない)。
早く速くいきてるうちに愛という言葉を使ってみたい、焦るわ 穂村弘
「愛」にまつわる物語なんだが「愛」は言葉だけのものなのか?現実感の乖離があるような。
ハロー 夜 ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち。
夜の夢のような存在物たち。そこは逆転した世界があるのかもしれない。
おやすみなさい。これはおやすみなさいからはじまる真夜中の手紙です 穂村弘
不眠症まみの手紙か。そもそもこの物語は手紙から始まった。
めずらしい血液型の恋人が戦場に行っ。て。し。ま。っ。つ。た。悪。夢。 穂村弘
ヴァーチャルな世界の戦争があり、それはTV画面の向う側かもしれず、分断されるコトバに痛々しさを感じる。
包丁を抱いてしずかにふるえつつ国勢調査に居留守を使う 穂村弘
不法不在者のようなまみだった。
午前四時半の私を抱きしめてくれるドーナツショップがないの 穂村弘
中心のないドーナツの暗示は、バルトの日本人論を連想する。
吐く。ことの 震え。 る ことの 泣き。ながらウエイトレスは懺悔。をしない 穂村弘
今風の女の子だったまみなのか?バラバラのコトバが痛々しい。
赤、橙、黄、青、藍、紫、きらきらとラインマーカまみれの聖書 穂村弘
『ラインマーカーズ: The Best of Homura Hiroshi』穂村弘という歌集があった。
カラギーナン、ソルビン酸K、アゾ色素、さようなら、やな原材料たち 穂村弘
「カラギーナン」「ソルビン酸K」「アゾ色素」は有毒性の添加物。まみは自然原材料を好む。
いもうとが寝言で愛を叫んでいる、天道虫の毒がぐるぐる 穂村弘
まみと妹の存在。両立出来ない世界なのかもしれない。
なめとって応急処置をしておこう、うなずきあって舌を準備す 穂村弘
キスによる口封じか?ドラマではよくあるパターン?
なんだよおぜんぜんなんも食えるとこねえじゃねえかと蟹を怒る 穂村弘
語り手の静かな怒りなのか?蟹に対してよりもまみに対して不機嫌なような。
こんな嬢、全ぶ嘘でしょう?こんなの嫌、全ぶ嘘でしょう?嫌 穂村弘
イメージの相反か?語り手とヒロインの意見の違い?
「この道はまみのためのつくられたんだ」(神様、まみを、終わらせて)パチン 穂村弘
くり返される「パチン」連歌。ここがクライマックスのようで、まみから離れたがっている主体を感じる。
いくたびか生まれ変わってあの夏のウエイトレスとして巡り遭う 穂村弘
マミの正体がサービスを提供するウェイトレスということだろうか?「ウェエイトレス」は最終章のタイトルにもなっている(「手紙魔まみ、ウエイトレス魂」)
夢の中では、光ることと喋ることは同じこと。お会いしましょう
短歌で一つの夢物語を語る。
NHK短歌
「“私”に出会おう~2年目の飛躍~」。選者は川野里子さん。内藤秀一郎さんと深尾あむさんがレギュラー。司会はヒコロヒーさん。テーマは「自分以外の何かになる」。
今日は象徴短歌の作り方か。短歌で自分以外のモノになってみる。鳥になるのが象徴詩の始まりと見たが、そのことに関係あるのかもしれない。
猫やなぎそろりとコップに根を出しぬ なんぼなんでもここでは死ねんわ 浦河奈々
この短歌はいい。下の句は口語(大阪弁?)なのもいいのかも。上の句は文語なのか?
わたしという
紙飛行機を
ゆっくりと
ひらいてくれる
君の手のひら
「飛行機」というテーマでこれは上手いと思った。紙飛行機で手紙になっている。こういう情景の数学の授業とか想像してしまう。映画だな。
一分で
コンビニ弁当
あたためます。
あなたの心は
何分ですか? 深尾あむ
これは上手いな。今まで一番いいかも。
<題・テーマ>大森静佳さん「プレゼント」(テーマ),
枡野浩一さん「おつかれさま/ごくろうさま」(テーマ)
~11月4日(月) 午後1時 締め切り~
明日までかよ!
<題・テーマ>川野里子さん「カレンダー」、俵万智さん「日記」(テーマ)
~11月18日(月) 午後1時 締め切り~