シン・現代詩レッスン17
テキストは寺山修司『戦後詩―ユリシーズの不在』。長編詩、12p.以上あった。声を出して読むように指示があったのだ、途中で疲れてやめてしまった。詩が御経のように、言霊として、目前に存在する。長谷川龍生『恐山』。
日本現代詩人会の元会長だから現代詩の世界では有名なんだろうな。残念ながら初めて知った作家だったが。詩の世界ってそのぐらいなのかなと思う。寺山修司をテキストにしているぐらいだから、現代詩のことをあまりにも知らさすぎる。ちなみに寺山修司は現代詩というより浅川マキとかの歌だったよな。最初に歌謡曲の詞について書いていたが(詞と詩の違いか?)詩は最近までほとんど読むことがなかったかも。
「日本現代詩人会」は覚えておいたほうがいいかも。「H氏賞」だった。現代詩では芥川賞レベルかな。聞いたことはあるが、そのH氏が誰なのか知らない。
平澤貞二郎という人のようだ。
このペースだとなかなか進まないので、詩のレッスンに入る。
まず出だしから。人称が二人称だった。小説では二人称って珍しいが、詩ではなんとなく普通のように感じてしまうのは、二人称小説が現代詩のような感じだったからだろうか?詩は少ない読者との対話型なのかもいしれない。この二人称は有効だと思う。たぶん、こういうnoteの記事でもきみはと呼びかけるのは有効だ。きみはそう思わないか?今日の日記は二人称で書いてみようか。まず詩だった。
言葉の背後に存在する言霊を感じるということなのだろう。その分身が「恐山」のイタコのような仲介者としての詩人なのかもしれない。これは最近、言霊性を強く意識しているので、いい訓練になるかもしれない。イタコ訓練か。
口寄せの術ということだな。何を呼び出しているのかというと鷲なのである。「わし」という一人称というダジャレでもあるのか。臆病な鷲だから、そんなところかもしれない。これは象徴詩なのか?ボードレールの「信天翁」とか同じような感じがする。
鷲でも死者に取り憑くのだから「ハゲワシ」なのか?ますますグロテスクでボードレールみたいだった。象徴させるものは、重要だ。今回は何にしようか?神がかり的な、いや悪魔的な存在。
なんか韻を踏んでいるような感じだ。全体は行分け散文詩みたいなんだが。やはり韻文なのだろうか?リズムは三連符のような感じだ。
音韻的にはこんな感じか。最初の行が三四五でテンポがいいのだった。最後の「ち」はなくてもいいと思うが地が血と掛詞になっているのかも。
リフレインはやはり音韻的に調子がいいのだろう。そして、後半は行下げの言葉にならないうめき声のようだが。四拍子なのは農耕民族の血なのか?
突然われがでてくるのは背後霊みたいな感じか。
「きみも、他人も、恐山!」のフレーズがいいんだな。そのあとに会社での描写みたいな背後霊が現れてくる(日常描写か)「課長K」が「狼」になっている。
恐山の空想的イメージの世界(記号的世界)。その場面転換は「きみも、他人も、恐山!」のフレーズによってなされるのであった。
「極楽ヶ浜」が極楽世界なのか?ほとんど御経の世界観というような。
恐山に舞い降りたきみの鷲が、現実世界で苛まれ、死後の世界の恐山に彷徨い、イタコによって成仏させられる詩か?恐山をもっとファンタジー(銀河鉄道)にして行けばなんとかなるだろうか?