シン・俳句レッスン69
今日は山茶花が題詠。まずは目標とする句を見ていこう。
山茶花は椿とかぶるから椿との明確な違いを出さなければならない。そうなると散る山茶花か?
山茶花の散ったゾーンが赤く立入禁止を示している。
俳句の達人
村上護編『俳句の達人が語る「私の極意」から。井沢正江。全く知らないオバサンだった。
もともと茶道をやっていてその師匠が俳句にのめり込んで誘いこまれたという。本人はそれまで俳句には興味がなかったということだ。特筆すべきはその時の俳句の指導をしたのが皆吉爽雨という人で客観写生の第一人者といいうことだった。
第一回蛇笏賞か。同人誌『山茶花』発行。
客観写生と言ってもそこに主観性が入るので、要は哲学を持てということだという。美や宗教的概念などの精神世界の確立。究極的には茂吉の実相観入ということだという。井沢正江はあまり写生句が得意ではなかったという。キリスト教徒だったので聖書に親しんでいた。
生きていくためには死も見つめなければならない。
俳句いまむかし
坪内稔典『俳句いまむかし みたび』から。
春
すべり台の近くにたんぽぽが咲いていたのだろう。キリンが足を広げる様が想像できる。作者はこの句を英訳しているのも載せているという。
「つつみ草」はたんぽぽの別名。「うちすてて」が捨てると音を出すの掛詞だという。「つつみ草」は使いたい季語だ。
子どもが公園の山茶花の花びらを集めて、友達の頭に降らせている(結婚式のマネごと)。
マクドナルドより健康志向なのかな。マクドは若者向けか?ほとんどマクドしか行かなかった。安いから。桃の花は優しいということかな。
これは桃源郷の世界だった。蕪村らしいか?
山茶花は地獄のイメージか。椿の方が地獄のイメージだろうな。
「草青む」道が海に通じているということらしい。良さがよくわからん。
「青き踏む」が春の季語。「踏青(とうせい)」とも言い、春の野に遊ぶこと。この句は理屈みたいだが面白い。亀にならねば。
山茶花が散った後にやっと亀が到着したという句。いまいちか?
ヒメジョンぐらいしか思い浮かばない。ヒメオドリコソウ、ヒメコバンソウ、ヒメムカシヨモギと坪内稔典さんは上げている。他にヒメウズ、ヒメスイバ、ヒメマツバボタンのどが図鑑にあるという。
このへんの俳句は面白いな。一茶は虫とかこういう草が好きなんだろうな。
れれれおじさんが山茶花がちっていると掃除に来るという句。
この彼岸はなにゆえ春の彼岸?秋でもいいような気がする。むしろ秋の方が澄んでいて月山も際立つような?
子どもみたいな句だがそれが一茶の良さかな。これは春の雪だから春の彼岸とわかる。他に「ああ寒いあらあら寒い彼岸かな」も一茶の句。暑さ寒さも彼岸までというが、春の彼岸までは遠い。