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富岡多恵子の詩

『現代詩手帖2023年9月号』

特集】詩論のクリティカル 分水嶺の先で
論考
蜂飼 耳 探究と精神の活発さ 文月悠光 詩の現在へ
森本孝徳 イン・プレイズ・オブ・ダーティーズ
松本秀文 ニンゲンの教科書 古賀忠昭小論
菊井崇史 「詩学」と「詩」の形態の閃光 平出隆詩集『雷滴』をとおして
野崎有以 安水稔和さんの言葉 「抵抗」は梨の礫か?[インターポエティクス]
尾久守侑 与太者の力学 清水哲男の私性について
福島直哉 戦後近代詩の現在(上) オウエン、賢治
笠木 拓 きれぎれの草原から うたいこがれる[短歌]
安里琉太 結社の変容 Ⅲ 到来する言葉[俳句]
【特集】富岡多惠子の詩の世界
アンソロジー
富岡多惠子代表詩選 伊藤比呂美 選
二匹の犬と/返禮/身上話/はじまり・はじまり/静物/女友達/水いらず/結婚してください/ひと恋いぶし/ニューヨークではなにもすることがない
レクイエム
菅 木志雄 わが妻・富岡多惠子
水田宗子 詩から小説へ、規範を逸脱しながら
井坂洋子 悪意と同情
巻頭詩
川満信一 世界市民への試練 新連載詩・言語破れて国興るか
連載詩
高橋睦郎 なぜ悪者噺 ラサリイリョ・デ・トルメスへ
平田俊子 鶏頭 なにが詩それが詩
山尾悠子 夜の宮殿とオネスティの犬 鏡の中の鏡
井戸川射子 舞う砂は、絵に描かれまい いい運搬
作品
安藤元雄 三つの「意向」
河津聖恵 破片
紺野とも thumbnail_path
萩野なつみ 晩光
クリティーク
貞久秀紀 「来有り」体験について(下)
連載
高良 勉 おもろと歌謡 琉球弧から
桑田光平 フランス語に住むチャド人 ニムロッド 声を集めて――フランス語圏の詩人たち
書評
倉田比羽子 現実と夢想の吃水線 神尾和寿『巨人ノ星タチ』
小島きみ子 ことばの糸は《たましひ》を歌っている 水嶋きょうこ『グラス・ランド』
伊武トーマ 「遠い庭」シンクロニシティ 大木潤子『遠い庭』
月評
北川朱実 現実からふっと身をすべらせて、 詩書月評
一方井亜稀 切り結び、揺らぐ 詩誌月評
新人作品
9月の作品
新人選評
山田亮太 「なぜそうしていたのか分からなかったし/実際のところ理由は」
峯澤典子 「いつでもまもつてばかりゐてはいけない」場所から

現代詩について本を図書館で物色していたがこれと言った本がないのでを『現代詩手帖』を読んでみようと思った。生憎、今年の『現代詩手帖』は借りられていたので去年の『現代詩手帖』から読んでみよと思った。特集で富岡多恵子だったのが良かった。詩人としての富岡多恵子よりも作家としての富岡多恵子に興味があった。最初に読んだのが『表現の風景』で驚愕したのは身体障害者用のダッチワイフ(今はラブドールという)のレポートしていた記事。それから『釈迢空ノート』『男流文学論』『波うつ土地・芻狗』と読むほどに好きな作家になっていく。

伊藤比呂美の編集した富岡多恵子の詩は、観念語が少なく誰にも読めるが詩自体は単純ではなく奥深い。それは詩の形が常識を崩す問いになっているからだ。『返禮(返礼)』の愛についての詩は最後が決まっている。「嘔吐のこないひとりの胃痛の返禮(おかえし)」「嘔吐」はサルトルを意識していると思う。もう一つの特集「詩論のクリティカル」で中学生詩人としてデビューした文月悠光に興味を持った。中学生で詩人というレッテルを貼られてしまうことに対してかなり大変だったようだ。

アンソロジーを編集したのは伊藤比呂美でこの詩はいいと思った。富岡多恵子が観念語を使う詩人ではなく日常語で比喩も少ないという。詩そのものが比喩というのか問いなのである。

返禮

あなたがた
すきな女のまえで
すきな男のまえで
欲しない女のまえで
欲しない男のまえで
あいしています
あいしていました
あいしてゆきます
いつまでも

富岡多恵子『返禮』

タイトルの漢字意外に難しい言葉はない。タイトルも旧字で書かれているから難しく感じるのであり、新字体では「返礼」だ。ざっと読んで「あい(愛)」のことを言っているのだろうと理解出来る。だがこの「あい」が難解だ。ただその決意書みたいな詩である。

あなたがた
あいしています というて
なんとまあ
ぎょうさんの法律をこしらえ
健啖家そのもの
いいパパ
いいママ
親ばかちゃりん
失恋は新薬広告のここちよさ
失恋とは失礼な
どだい失恋なんて
あなたがたには無用の長物
あなたがたには
ひとりがないように

富岡多恵子『返禮』

しかしまあ失望しなさんな
とにかく
あなたがたは
すぐにしょげることが出来るじゃないか
(略)(第七連 ラスト)
しかしまあ心配しなさんな
今に
今にきっともらえる
あいしていますというて抱いた
あいしていないというて抱いた
すぐに覚えてしまった習慣に
何倍にもなってやってくる
たくさんたくさんもらえる
今にきっと
あなたがたひとりひとりに
あなたがたひとりを
あなたがたひとり以上のものを
ひとりにひとり以上のものを
嘔吐のこないひとりの胃痛の 返禮 おかえし

富岡多恵子『返禮』

「嘔吐」はサルトル『嘔吐』を意識していると思う。しかしそういうインテリじゃないから「嘔吐」なんてないと書く。それは胃痛の返禮 おかえしなのだ。


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