シン・俳句レッスン102
河津桜
桜の風景も変わっていくのだった。西行の頃の桜と言えば江戸時代に開発されたソメイヨシノではなく、吉野桜だった。江戸から近代になって東京を中心としてソメイヨシノが植林されたのだと思う。
だから近代の桜のイメージと和歌で詠まれる桜のイメージは本当は違うのだ。さらに戦争を経て高度成長期と共に街路樹の美観として植林されたソメイヨシノもそろそろ寿命でさらに大きくなりすぎるというので河津桜に植え替えれているという。そういう景色の変化を読み取らねばならないのだろう。今日の一句。
句会の醍醐味
小林恭二『俳句という愉しみ―』から「2日目」。
題詠は各俳人たちが出し合うという。メンバー紹介と共に題詠も。
三橋敏雄「舌」、大木あまり「猫」、有馬朗人「日向ぼこ」、岸本尚毅「竹」、川上隆志(編集者)「線」、小林恭二「時計」、小澤實「雪」、攝津幸彦「土」、岡井隆「待つ」、藤田湘子「寒」。
二日目は、逆選がある句会だった。逆選とは駄目な句を参加者が一つ選ぶのだ。これは素人はなかなか出来ないけど面白い(逆選を多く受けても彼らは認められた俳人だった)。逆選に選ばれるのも一つ勲章だった。それだけ注目されたということだから。例えば今回一番多く逆選を食らったのは新興俳句の三橋敏雄だった。それは彼の句が伝統俳句に則っていないので、標的にされやすかったのだと思う(そのへんは相互理解がないと喧嘩になる)。
三橋、藤田、岡井、有馬、岡井。逆選が一人。小澤實の句。「雪晴れ」が照明効果だという。
大木、小澤、小林、川上の4票だが、逆選も2票。これ面白いと思う。フィクションで物語性がある。作者は岡井隆だった。普通の俳句とは違うな。
藤田、岡井、摂津、岸本、川上の5票。逆選1票。大寺というと歴史の焼き討ちとか戦争の焼け跡と日向ぼこという平和な情景か?なかなか上手い句だった。小澤實の句。「日向ぼこ」は死と相性がいいという。
三橋、岡井、有馬、小澤、小林。これはベテランの句だな。謡初(うたいぞめ)が効いている。でも「謡初」は新年で、雪と季重なりなのではないか?「濛々と雪の竹」は客観写生ということか?精神的な句だという。藤田湘子。
有馬、岡井、あまり、岸本、川上。これは岡井隆の歌を想像するな。
そうすると岡井隆への挨拶句かな?攝津幸彦の句。
このぐらいになると誰が誰の句だとわかるようになるという。つまり素人でもそのぐらいなのだからプロの俳人は、最初から誰の句かと分かっているのかもしれない。特に結社仲間だったら、これは先生の句だとかわかるのじゃないかという疑問。それが対抗戦みたいになっていくのだとしたら、この句会の座とは何なんだろうと思ってしまった。私が好きなのは岡井隆の俳句で、それは俳人からするとやはり違っているのだという。あるいはこの句会で圧倒的なブービーだったのは新興俳句系の三橋敏雄だった。明らかに毛並みがちがうのだろうか?
票を集めたのは大木あまり、小澤實、岸本尚毅だった。岸本尚毅は今回は体調不良で本領を発揮できなかったというが、それでも三位なのである。師匠たちは作るよりも詠み手として、例えばNHK俳句の句会で面白いのは高野ムツオの批評だったのだ、それは人を傷つけないような褒めの批評というものなのだろう。そういう役割がすでに出来上がっているのかもしれない。そこから革新的な俳句が出てくるだろうかと思うのだった。
三橋、藤田、岡井、有馬、小澤とベテラン勢の票を集めた。猪の檻なんだそうだ。そうするとボタン(しし)鍋で消えた猪かもしれない。わかりやすい上に魅力的な句だった。大木あまりの作。
三橋、藤田、有馬、川上。「潺潺(せんせん)と」の意味がつかめないとお手上げの句だった。浅い水がよどみなく流れるさま。さらさらと。この言葉が難解季語であり、これがわかればそれほど難解句でもなかった。要するに辞書の知識なのかなと思ってしまうのである。それは立派な辞書を持っていたりAI俳句の天下だろうと思ってしまう。小澤實の句。小澤實はこういう言葉を探してくるのが得意な俳人だよな。
藤田、大木、摂津、小林。上手い句かな。岸本尚毅の句。
逆選三つで大木あまりが票を入れ、作者の藤田も失敗作だと認めた。動物が二つ入るのが煩い感じなのだという、大木あまりが入れたのは単に猫好きだったから。そういうことなのだ。座が盛り上がれば楽しいのであるとすると藤田はあえて逆選狙いに行ったのではないか?と思われる。俳句のセオリーを知らないはずはないだろう。
これが最高得点。藤田、岡井、小澤、岸本、小林、川上。の六票。逆選が一票。「ぼろぼろ」な鴉がいいという。鴉は孤独でダンディなイメージなのだ。そこに季語「寒暮」の聖性かな。水墨画みたいなイメージか?大木あまりの句。
議論を呼んだ句で、これは詩だけど俳句じゃないという。「隣室に」が俳句より詩なのだという。よくわからん。三橋は「べき」が余計だという。海が荒れているのに「べき」はないだろうと言うのだ。このへんの議論は面白い。俳句じゃなくてもいいではないか?と思うのだが岡井隆の句。
昭和俳句史
川名大『昭和俳句史』から「前衛俳句の勃興」。句会の本の後でこの本を読むと俳句の違いに愕然とする。例えばこんな一句。
三橋鷹女の晩年の句はひたすら老いや死や孤独をモチーフにしているという。これも先程の議論を思い出すなら俳句ではないんだろうな。ただそこにそう書かなければならなかった三橋鷹女の孤高性という詩的表現があるのだ。それを否定できないというか、そっちに惹かれる。
これが昭和三十年の句なのだが、今のネット社会を詠んだと言っても通用すると思う。無名という存在を早くからテーマとして捉えている問題意識。
行分け俳句は高柳重彦が俳句に導入したものだが、その形式を受け継いだものだろう。これは俳句じゃなくとも詩の分類の方が合っているのだろう。多行表記は視覚効果を狙ったものだが、ここでは音楽効果を狙ったものだという。ただこの試みは破綻していくのは、関西の前衛俳句系がこうした音韻俳句を量産していくのだが、そこに意味性を問いはしなかった。そのことで関東の前衛俳句との議論となって潰れていったそうだ(内ゲバみたいなものか?)
この句の新しさはサイダーにあるのだろう。ラムネとの根本的な違いを俳句として象徴させたのだと思う。自分たちの俳句はサイダーであってその瓶の中に意味を汲み取ることは難しい(感性だからか?)
その発展系として、意味論的に象徴性でも意味を探っていくのか、全く無意味でも構わないのかというのが俳句の方法論として対立するのである。さらに前衛俳句として社会詠俳句の金子兜太が出てくる。彼が前衛俳句と取り違えられてしまったのが、前衛俳句の挫折を物語るものだと思ってしまうのだ。方法論的に彼の手法は前衛でもなんでもなく、やっぱ高柳重信にこそ前衛俳句に相応しいと思えるのだ。
今日はここまで。句作は
一句だけだった。本のレビューを書いていたから。